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(No.438)2015年3月31日

『業界紙』

私にとって業界紙の記事にいちいち反応することは、絶対に賢明ではないとの認識で今日まできましたが、今回の統一地方選挙に出馬しないことを決め、永年の議員生活に終止符を打つことにしていますので、平成27年3月24日発行の記事の中の『広島市二題』の「私」と「松浦」氏との今日までの事実関係だけは述べさせていただきます。

「市幹部時代から縁深く、いわゆる『息の合う』仲だったことは事実のようだ。」とありますが、私と松浦氏は基町高等学校入学時から今日まで約58年間の友人であり、高校、大学、就職、結婚等、折々に必ずそばにいる単に気の合う古くからの数少ない親友です。

私も彼も、議員と市役所職員との認識で接したことはなく、お互いの家族のこと、生活環境まで何の説明がなくても分かり合える仲です。

記事にあるように、市役所で知り合った議員と職員の関係では全くないのです。このことは、私も松浦氏も、変な意味での『息の合う』仲ではなく、気の合う身近な親友なのです。

他のことは記者としての憶測記事で面白く書くのが腕の見せ所ですので、評論することはないのですが、記者としてはどちらか一方への取材があってもいいのではないでしょうか。

この4年間には私にも彼にも松井君を挟んで色々なことがありましたが、彼は彼なりに考えた結果であり、彼の天性の優しさが今日の姿だと思います。

付け加えますが、今日まで何度も何度も彼と話し合っていますので、周りの人たちに心配して頂く事は全くないのです。

ただ一言、最近の広島市議会は議場に居なくても、議会情報をインターネットでリアルタイムに何の加工もなく発信していますので、扱いやすく簡単に紙面が埋められる、単なるテープ起こしの記事が多いように思えてなりません。

議員を引退すると決めると、時々昔のことを思い出します。

私の秘書駆け出し時代であった昭和40年代は、業界や政界には沢山の記者がいました。政界だけでも県議会や市議会専門の業界紙関係者で溢れかえり、その仕分けやお使いをするのも秘書の仕事でした。

その中でもリーダー格が基町にあった「日刊広島」の加藤可酔氏であり、これを継がれたのが、現在の山本茂生社長であったと思います。

そして「セミナー」の橋本三水氏であり、この流れを汲んだのが判読しにくい文章で業界紙を発刊していた柘植氏ではないかと思います。

もう一人、八丁堀の共産党支部の付近に今本寿氏がいたはずです。

秘書生活を含めると約50年を超えますが、業界紙の記者の人数も減り、現在ではほとんど廊下でも見受けなくなりました。過ぎてみればあっと言う間の50年でした。よくここまで無事に来れたなと、すべての皆様に感謝しています。