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(No.327)2010年11月2日

『オリンピック招致について(その20)』

広島市にオリンピックを招致しようと、ある日、突然、秋葉市長が提案されました。 最初に感じたことは、活気のない広島市に大きなカンフル注射を施し、活気ある、魅力的な安心で安全に暮らせる広島市を創り上げようとの為政者の大きなアドバルーンかな、と思っていました。

しかしながら、ここまで来るとブレーキのないぼろ車の暴走にしか過ぎないと感じるのです。

何故、そう感じるのかと申しますと、一年前の平成21年10月11日の記者会見で、秋葉市長は、長崎市の田上市長と広島市役所で、2020年の夏季五輪の招致検討委員会を近く設置すると発表しました。

被爆地開催の意義を前面に掲げ、両市を中心にした複数都市での開催の可能性を探り、平成22年春までに正式に名乗りを上げるかどうかを最終判断するとの意思表示と決意表明をしました。

その後、長崎市は議会と市民の反対で共催を断念し、お手伝いに変わりました。

秋葉市長は、核兵器のない世界だけが「平和」であるかのように発信されていますが、平和の構築には多くの道と方法があるはずです。また、オリンピック開催の平和と核兵器廃絶後の平和は少し意味が違うように思います。

オリンピック開催の「平和」は、世界が平和であるから開催できる、五大陸の全ての民族の祭典であり、争いのない社会の構築です。

核兵器廃絶後の「平和」は世界中から、戦争のない世界になった証の平和であり、政治闘争と政治力学上のパワーバランスの上に立った平和です。しかし、その様なことが本当に可能であるのでしょうか。

ひと昔前に、どこかのコマーシャルで流されていた「地球は一つ、人類みな兄弟」を思い起こします。秋葉市長が心の底から「平和」を望まれるのなら、私心を捨て、雑念を捨てて、今の職責に邁進されるべきです。

そして、まず、手始めに広島市議会や広島経済界、広島市民との「互譲・互助」の精神と悟りを開かれて、せめて広島市だけでも、争いのない平和な世界一住みよい広島市の構築に励まれたらどうでしょうか。

10月27日の読売新聞の広島版に、「8区で説明会」―「2020年広島五輪・市民の批判噴出」「他に優先すべき仕事」「市長の政治利用」の見出しで、

2020年夏季五輪の招致を目指して広島市がまとめた基本計画案について、市内8区で市民向け説明会が開かれている。26日までに5回あったが、21日の初日を除き、五輪開催に反対や計画案への疑問が噴出している。市政批判が出る場面もあり、意見集約は難航しそうだ。


とあります。

広島市民の偽らざる気持ちであると思いますし、記事の中の21日の初日の説明会は、出席者の一人の話によれば、かなりの数の動員があったような話をされました。

また、広島市議会の全員協議会では気になる答弁がありました。それは、桑田議員の「オリンピック開催は、政治主導というふうな言葉が先ほどありましたが、ボトムアップなのか、トップダウンなのか、」の質問に対して、三宅副市長は「始まりはトップダウンでございます。」と答弁しました。

有能な職員であれば市長の指示を受け、市長の政策指示がつつがなく遂行できるよう時間をかけ、各方面の了解を取り、市長に恥をかかさないように最大の神経を使うべきです。

始めのボタンを掛け違ったのが「市議会での再議」だったと思います。手法上からも市長の政策提示を間違わせているのです。市長の施策のアクセルでもありブレーキでもあるのが副市長をはじめとする行政職員ではないでしょうか。有能な職員として高給を戴いている自覚が本当にありますか。

よく、「あなたたち議会人もオリンピック開催を口にしている。」と言われますが、アジア大会以後、日本で、アジアで、世界で話題になるようなイベントを広島市はしておりません。

海島博覧会やアジア大会を経験した広島市民が少なくなり、今の、広島市の閉塞状態を打開するためには何かのイベントをすることが広島人の心を一つにする起爆剤であることは間違いないのです。

その究極のイベントがオリンピック開催ですが、一方で、努力しても叶いそうにない永遠の夢がオリンピックなのです。

現在、広島市の置かれている全ての状況を最良の状態として鑑みても、オリンピック開催は無理です。無理なものはどう考えても無理なのです。ここで手を挙げ、一敗地に塗(まみ)れることで次の世代の大きな夢まで摘むことを今の為政者はするべきではないのです。

広島市民として「いつかはオリンピック開催」でいいのです。為政者は、何処かで手を下ろし次の世代への夢を残してやるべきです。

もうひとつ気になる答弁があります。
   荒木オリンピック招致検討担当課長の答弁の中で、市民の皆さんが本当に了承できるのかどうか、甚だ疑問と危惧を感じる答弁があります。

「この招致経費でございますけども、この25億というのは、来年7月の国内候補都市選定の時期から2013年8月のIOCが開催都市を決定するまでの経費でございます」と答弁されました。

現在広島市が置かれている財政状況からして、オリンピックを確実に広島市に招致が出来ない限り、東京都の約150億円や、国内選定の段階で立候補を取り下げた福岡市の約40億円のように、招致活動経費はあとに何も残らない空しい浪費でしかないのです。

本当にこのような無駄な経費が出せるだけ広島市に財政上余裕があるのでしょうか。貴重な市民の「税」をどぶ川に捨てるようにならないよう細心の気遣いが必要ではないでしょうか。

本当に、心から広島市を愛しているのなら、次の世代に送る「大きな夢」を壊さないで欲しいものですし、仮にも、117万市民の代表なら確率の悪い勝負は絶対にするべきではないのです。ここで、招致に失敗すれば、広島市は二度とオリンピック開催の権利を失うことになるのです。

秋葉市長は、オリンピックの開催を自分の政治活動・選挙活動の道具に使わないで欲しいのです。

もう一つ、9月30日の中国新聞には、

商工会議所の大田会頭は定例の記者会見で、2020年夏季五輪の開催基本計画案に関し「一度も市から説明を受けていないので、答えようがない」と述べて、経済界が現時点で協力するかどうかの態度を留保した。


とあります。

施策はトップダウンかもしれませんが、その過程は時間をかけ、綿密に成功のために細かい施策の積み上げが必要なのです。何もしないで、トップダウンの指示を市民にそのまま提示すると、そこには「混乱」があるだけです。被害者は「市民」なのです。

選挙で選ばれた市長がどんな無理を言おうとも、市民の税金で生活している副市長以下幹部職員は、何が広島市のためなのか、どうすれば広島市がもっと良くなるのかの手順と方法を、意見の衝突があろうとも進言するのが職責ではないでしょうか。

トップダウンの指示を「鵜呑み」にして、下部組織に押し付けることが、果たして、幹部職員として職責を全うしていることになるのでしょうか。

広島市の行政マンはもう一度基本にかえって、「広島市の職員であること」に誇りを持ち、「秋葉市長個人の職員ではない」との認識と自覚を持って欲しいのです。大多数の広島市民は、広島市の優秀な職員を信頼し期待をしているのです。

皆さんはどのように思われますか。