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(No.323)2010年9月22日

『オリンピック招致について(その18)』

前回に引き続き、『ニュース・スパイラル』に広島市立大学広島平和研究所の田中利明教授が寄稿されている「オリンピック広島招致批判―(後編)まやかしの『平和の祭典』」の一部を紹介します。

まず、冒頭に、

現代オリンピックには2つの性格がある。1つは、すでに述べた「国家力誇示=ナショナリズム高揚」であり、もう1つは「市場経済=金銭的腐敗」である。

とあり、今回は最初に「市場経済=金銭的腐敗」について、わかり易く解説されています。

オリンピックでトップ選手がどの会社が製造した水着や靴、スキー、スケート等々を使うかは、製造会社にとっては巨額の富をもたらすか否かの大きな違いにつながる一大事である。

(略)

金メダルをとるには、文字通り巨額の「金(かね)」がまず必要であり、純粋な「能力」だけでは決してメダリストにはなれない。したがって、選手も、いやがおうでも大企業をスポンサーにして「金浸し」になる。

1974年のオリンピック憲章改訂までは一応「アマチュア主義」を維持してきたオリンピックも、改訂以後は急速に商業化の道を強化拡大させていき、今では「五輪サーカス」と称されるほどオリンピックはあらゆる面でショー・ビジネス化され巨大産業化されてしまっている。

それだけではなく、オリンピックは徹底的に資本家たちに利用され、そのため長年の間IOC委員会は腐敗と汚職で堕落しきっていることは周知の通りであるが、オリンピック誘致をめぐっては、誘致都市や国家の政治腐敗をも引き起こしている。

例えば、長野冬期オリンピック開催にあたっては、(略)、活動予算の不明朗会計、招致委員会帳簿の消却、町内会への圧力による動員=反対派の孤立化・非国民扱い、といったがむしゃらな「誘致活動」を行った。

とあります。

なお、長野冬季オリンピックに関しては、『長野オリンピック騒動記』(相川俊英著《草思社》1998年1月26日刊)という本があります。この本の帯には『五輪の美名のもとで繰り広げられるドタバタ劇。地方行政のあきれた実態!』と、また、裏帯には『新聞社が仕掛け人・間に合わせの計画書・相次ぐ公約破り・勝ちたいなら金を使え・シークレットハウス作戦・焼却された会計帳簿・ひとにぎりの反対派・NAOCの悪評・(略)迷走する財務計画・五輪マーケティング・売れ残った入場券・大会後の新たな負担』(本書内容より)とあり、地方都市が背伸びをした結果がわかり易く記述されています。

広島市の状態とよく似ていると思われますので、市長さんも、一度読まれたら如何でしょうか。

さて、話を元に戻し、続いて、田中教授は、オリンピック開催都市の状況について、次のようなことを述べています。

ほとんどの開催都市や地方自治体が、オリンピック関連施設建設を中心にしたこの種の巨大開発に多額の予算を使うため、その結果、住民のための福祉予算の大幅削減、住民税の増額、地価の高騰、借地借家賃の上昇、物価上昇などの深刻な経済問題を抱えることになる。

さらには、貧困地区の強制撤去やホームレスの人たちの追い出しという人権侵害問題を引き起こすのが、開催都市でみられる共通の現象となっている。その上、オリンピック終了後は、開催都市は巨額の赤字を抱え込むことになるため、深刻な財政難に長年悩まされるのもまた、開催都市が直面する共通の問題である

そして、この後、オリンピック開催におけるダーティーな部分について、資料に基づいた記載がなされていますが、その部分は省略させていただき、続けて、

「シアトル・タイムズ紙」の記事を読むと、いかにオリンピックが腐敗に浸かりきっているかが本当に良くわかる。誘致に数十億円という金が使われるが、その一部は(個人名)のような人物の懐とIOC委員の懐を潤すために使われる。

しばしばオリンピックは「平和の祭典」と呼ばれ、広島市長である秋葉氏もこのことを強調して、広島でのオリンピック開催の理由づけの一つに挙げている。しかし、いかにこの表現がまやかしであるかは、オリンピックの歴史を少し振り返ってみるだけで明らかになる。

例えば、1956年のメルボルン・オリンピックでは、イギリスとフランスが関与したスエズ動乱に抗議してエジプト、レバノン、イラクが不参加。ソ連によるハンガリー侵攻に抗議してスペイン、オランダ、スイスが不参加。

(略)

1968年のメキシコシティ・オリンピックでは、当時アパルトヘイト政策をおこなっていた南アフリカの参加に抗議してアフリカ諸国26カ国が出場ボイコットを発表したが、これにソビエト連邦、共産圏諸国も同調し、合計で55カ国がボイコットを表明した。(略。その後、ボイコットは回避。)

1972年のミュンヘン大会では、武装したパレスチナ過激派組織である「黒い9月」のメンバー8名がイスラエル選手団宿舎へ突入し、数名を殺害したうえ9名を人質にとり、イスラエルに収監されているパレスチナ人234名の解放を要求。しかし交渉は決裂し、テロ・グループは飛行機でエジプトの首都カイロへ脱出することを要求。

(略)

1980年のモスクワ大会では、前年末のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してアメリカがボイコット。日本もこれに同調し不参加を決定し、最終的に50カ国近くがボイコット。

1984年のロサンゼルス大会では、今度はソ連側からの仕返しとして、アメリカのグレナダ侵攻に抗議して多くの東側諸国が報復ボイコットを行った。

(略)

2008年の北京オリンピックでは、開催直前にチベット問題やダフール紛争への中国の対応を激しく批判する動きが世界各地でみられた。また開会式の翌日8月9日には、ロシア軍がグルジアに侵攻したが、この軍事行動がこの日行われたのは、オリンピックに対抗する国家力をロシアが世界に誇示したかったからというロシア政府の意向も働いていた。

このように、これまでオリンピックが「平和の祭典」であったことなどはなく、むしろ紛争を煽る要因となった場合が多く見られるが、それは、すでに説明したように、オリンピックそのものがナショナリズムを競う場所となっているからに他ならない。

こんな馬鹿げたことに、「広島・長崎の原爆投下の実態を知らせ、核廃絶を訴える」と称して、私たちの納める貴重な多額の税金を使うことは、まさに「ヒロシマの平和理念」に全面的に反する行為であり、被爆者を含む戦争被害者に対する侮辱行為とも言える。

と、オリンピック開催を巡って発生している様々な事件・紛争を、順を追って親切に述べられていますが、改めて4年に一度のオリンピック開催が「平和の祭典」とは裏腹に、国家間の紛争の具に使われていたことが理解できるのではないでしょうか。

そして、その上で直近の東京都が行った招致活動の様子が仔細に述べられ、広島市の財政状況にも言及されています。

東京都は、2016年オリンピック招致活動のために、都の公式発表では2006〜09年度の3年間で73億5千万円(実際には150億円使ったと言われている)も支出したが、結局は誘致に失敗しただけではなく、当てにしていた企業寄付などの収入が大幅に不足して、7億円の赤字を出した。

(略)

自前で野球場一つでさえ建設する財政能力が広島市にはないのである。昨年3月、広島駅近くにオープンしたマツダ・スタジアムの建設には90億円かかった。建設費の分担は広島市が23億円、広島県11.5憶円、広島経済界11.5億円、国からの「まちづくり交付金」として7億円、市民からの募金1.2億円、さらには球場を本拠地とする広島東洋カープが今後、広島市に払う球場使用料が35.6憶円である。このうち、広島市負担分の23億円は、球場建設のためのミニ公債を発行してなんとか調達。建設費総額90億円の球場一つ作るのに10年もかかっているのである。

広島市の財政力、さらに企画力、実行力のなさを如実に物語っているのです。

また、広島市でのアジア大会開催後の後遺症についても併せて記述されています。

広島市では1994年にアジア大会が行われ、(略)アジア大会開催にかかった経費は、アストラム・ラインや幹線道路など新交通システムの整備費や起債などを含めて約4千億円かかった。広島市民が一年間に納める税金が約2千億円。広島市の借金は、アジア大会が行われた前年の1993年に9千8百億円近くに達し、毎年の借金返済が一般会計だけで502億円。

さらに、

すでに誘致活動費として2千6百万円が予算として計上された。しかし、それに携わる人件費をはじめとする関連諸経費を含めると、本年度分だけでも1億円をはるかに超える経費が出ていくとも言われている。市長はこの金は「オリンピック招致費ではなく、あくまで検討のための費用で、専門的な観点からの調査のため」に使われるものであると主張している。ほとんど可能性のないオリンピック開催のために、なぜゆえに1億円もの我々の貴重な税金が使われなくてはならないのか。

といった疑問を呈されているのです。

また、合わせて、秋葉市長の姿勢について

市長は、「オリンピックは、2020年に核廃絶が達成されることを祝って広島で開催する」(今年5月2日のニューヨーク、タイムズ・スクエアでの平和行進における演説)と言う。これは、誰が考えても本末転倒で、まずは、いかに核廃絶を達成するのか、(略)。達成のメドもつかない目標があたかも10年後には必ず達成されるがごとく国内外で公言するのは、全く無責任極まりない。

しかも、たとえオリンピック開催が可能であったとしても、オリンピックは極めて一過性的イベントであり、オリンピック直前と開催中の数週間だけは世界から注目を集めるが、終了すればたちまち忘れ去られる。こんなお祭り騒ぎに「核廃絶」というメッセージをのせようとしても、どこまで真剣に且つ深く受け止められ、実際の「核廃絶」につながるような影響をもたらすことができるか、極めて懐疑的にならざるをえない。

といった冷静に評価を下した上で、最後に提言として、

核廃絶のための具体的で実行可能な方法に関するアイデアを、(略)「世界核被害者大会」の広島・長崎でのできるだけ早い時期での開催というのもまた非常に有意義なイベントである。

これまで開かれた「世界核被害者大会」は、1987年ニューヨークと92年ベルリンで開かれた2回限りである。核兵器廃絶の声が高まっている今こそ、原爆、核実験、原子力災害の被害者が一同に広島・長崎に集まり、反核の声を世界に発信し、その声を「核兵器禁止条約」の設置のために活かすほうが、オリンピック誘致費用の数十分の一ほどの予算で、遥かに効果的な結果を生み出すと私は確信する。

と締めくくられています。

この田中教授のレポートが理解しやすかったのは、歴史的事実から、理路整然と、理論展開がなされていること、そして、冷静な現状分析や「核廃絶」の目標に向かって、なすべきことを氏なりに明確に示されていることにあると思います。

オリンピック広島招致だけが核兵器廃絶の最後の切り札ではありません。多くの広島市民、特に高齢になった被爆者は核のない平和な社会の到来を心待ちにしています。

オリンピック招致に人、物、金と大切な時間を浪費するのなら、そのエネルギーを、被爆者の切なる思いを成就するために、そして、安心して安全に、その上に物心両面で豊かに暮らせる、明るく清潔な広島市を創ることに費やしていただきたいと願うものですし、それが、秋葉市長、広島市政に求められているのではないでしょうか。

以上、田中教授のレポートを引用させていただきましたが、大勢の広島市民は同じ思いでいるはずです。皆さんは如何お感じですか。