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(No.322)2010年9月16日

『オリンピック招致について(その17)』

インターネットで有識者や専門家のコメントや新感覚のニュースを配信している『ニュース・スパイラル』の8月号に、広島市立大学広島平和研究所の田中利幸教授が寄稿されている「オリンピック広島誘致批判―(前編)オリンピックの『祭典化』とナチスの『神話化』」と「(後編)まやかしの『平和の祭典』」があります。

さすがに、大学教授の文章は私たち政治家の文章と一味違い、明解で、理解しやすく、歴史の上からも簡単に頭へ入りやすいので、いつものとおり気がついたところを抜粋させていただきます。

まず、オリンピックの歴史について次のように書かれています。

1936年8月にベルリンで開催された第11回オリンピックは、ナチスの政治プロパガンダとして最大限に利用され、このベルリン大会を機に、オリンピックは政治的に利用される「大規模な催し物」と化し、今日に至っている。その意味で、現在のオリンピックの実態を知る上で、その原型とも言えるベルリン・オリンピックの歴史的背景の考察は避けて通れないものである。

ヒットラーのナチス政権はドイツ国家の軍事支配力を世界にアピールするための恰好の催し物としてベルリン・オリンピックを徹底的に利用した。

(中略)

ベルリン市内の美観整備と安全維持と称してロマ民族(いわゆる「ジプシー」)を全員逮捕し強制収容所に送り込んだ。これが、前回の北京オリンピックのみならず、今では開催都市が必ず行う「ホームレス追い出し」や「貧民街の取り壊し」政策の始まりであった。

(中略)

国家政府が一都市で行われるスポーツ行事であるオリンピックに多額の国家予算を提供し、ナショナリズムを高揚させる一大祭典として利用するようになったのも、このベルリン大会からである。

(中略)

様々な施設を一カ所に集中的に建設し、ベルリン郊外には選手村が建設された。因に、この選手村はオリンピック大会後には兵舎に転用された。

スタジアムでは、オリンピック競技とは関係のないマスゲームが繰り広げられ、夜には高射砲の空砲を利用して作られた光のドームがスタジアムを幻想的な舞台に変化させた。

このようにオリンピックをショー的なスペクタクルとして演出することによって、主催国であるナチス国家自体が荘厳で聖なるものとして提示され、英雄化され、ナチズム=国家社会主義の強大さが大衆に強く印象づけられた。

ギリシャのオリンピアから開催都市まで聖火リレーを行うという今ではおなじみの行事も、ナチス政権がドイツの国家力を外国人に誇示するために最初に始めたものであった。

秋葉市長の突然の2020年オリンピック広島開催の発想は、来年に実施される市長選のアドバルーンでしかないように思われるのですが、そうした自己顕示のためのオリンピック開催はここに述べられているように、ナチスドイツ・ヒトラードイツの発想・構造と何の変わりもないものと思われます。

4年前の秋葉市長の公約の中には、パラリンピック広島開催はありました。しかし、オリンピック広島開催はなかったのです。このことは、どなたかの提案を鵜呑みにされた、いいとこ取りだけの公約ではなかったのかと思われるのですが、それは、オリンピック開催後に同じ場所でパラリンピックを開催することが義務付けられるようになっているからです。

もし、本気で、パラリンピックだけの開催を思われていたのであれば、巷で囁かれているようにスポーツやイベントには全く無知なのでしょう。ただ、自己PRのためだけに、大切な税金をしかも多額に浪費することはやめて欲しいものです。

また、前半の締めには

現在私たちが目にするオリンピックの様々な関連行事や国家政策の多くの原型は、ナチス政権がそのファシズム国家の軍事力・支配力誇示のプロパガンダとして考えついたものであった。かくして、オリンピックの一大「祭典化」という大衆操作を通して、ナチス国家の「神話化」が計られたのである。

とあります。

そして、前編の最後は

大衆操作でナショナリズムを高揚させるためのオリンピック利用はますます大規模で且つ様々に工夫を凝らしたものになってきている。

という文で締めてありますが、つまり、権力者・支配者の力誇示のプロパガンダの一環であるということなのです。

そのために、市長は、今年度の当初予算で招致検討費(委託費)の予算が、議会で削除されたことに対し、市長の最後の強権を発動し、議案の「再議」で対抗されました。緊急で市民の生活に悪影響を及ぼしかねない案件以外では社会常識として使ってはならない強権の発動なのです。

民主主義の根幹である「可半数」の理論を尊重することなく、ファシズム的手段、3分の2可決の理論を導入してまで、自己の主張を通されたわけです。

政令指定都市の会合で、2020年オリンピック広島招致に、各政令市から賛意があったと言われているようですが、広島市が広島市の責任で開催したいと言えば、何処の都市も反対とは言わないのは当然です。

それを、例えば、広島市で開催したいので、各々の都市に、人、物、金の応分の負担をお願いしたいとしたとき、どのようになるでしょうか。それはまた別の話になるのではないでしょうか。お考えになったことはありますか。

さて、9月議会が始まりましたが、市長は外交官でもないのに「平和外交」だけに専念されているため、議案はほとんどなく、ロシアでの外交疲れで、体調も崩され、初日の本会議も5分で終了しました。このことは、広島市は財政面でも政策面でも全てで本当に平穏無事な都市ということを示しているのではなく、広島市政の停滞を表しているとも言えるのではないかと思うのです。

オリンピック広島招致の検討成果もなかなか出来上がりません。 そもそも、委託費が本気の金額ではないので、立派な成果など期待できるものではないと思われますが、それでも、どこかで議論されてもすぐに今年は終わってしまいます。

また、年を越せば、市長選挙が目の前に迫り、平成23年度の当初予算は必要経費だけの骨格予算で、本格的な予算は、市長選挙後の来年6月ということになりますと、市長選前までは、予算も提示されていないことから、事実上、オリンピック招致の議論は封印された状態になるのです。

仮に、市長選挙に秋葉さんが立候補され、もし当選されれば議論なしのまま、オリンピック招致は市民から信任されたと叫ばれるのでしょう。そして、議会無視、市民不在の独り善がりのオリンピック広島招致のための際限のない出費(税)が始まることになるのです。

私たち議員も気持ちを引き締め施策を監視しますが、市民の皆さんの知恵もお貸し下さい。

次も田中利明広島市立大学平和研究所教授のレポートの後編を紹介します。