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(No.319)2010年8月27日

『オリンピック招致について(その16)』

7月初旬にオリンピック広島市招致に関する基本理念に関する疑問点を指摘したレポートを戴きました。レポートの作成者は「広田ともよ」さんで、これまでに出版された書籍や資料を検証されて、本当に広島市でオリンピックが開催出来るのか、オリンピック開催が広島市民にとって本当に必要なのかの基本になる考え方の過程を検証する指針を丁寧にレポートされています。

「広田ともよ」さんは、広島市議会議員 児玉光禎先生の著書『検証・広島市民球場の経緯』の編集をお手伝いされた方です。市民の皆さんと基本にかえって冷静に考える指針になると思いますので、全文を紹介させていただきます。



(ここよりレポート開始)

今、広島市は2020年大会のオリンピック開催都市に立候補するかどうかを検討しています。これに賛成する市民、反対する市民、よくわからないから賛成も反対もできないという市民、それぞれが存在するだろうと思います。

一般の市民からすると金額や規模が大きすぎてピンと来ないというのが正直なところのようです。そこで次のような例に置き換えて考えてみました。

「あなたは天然温泉露天風呂付きの家に住みたいですか?」と問われたら、何と答えますか?

突拍子もない話だけど、パッと頭にどこかのきれいな高級温泉宿の露天風呂つきのスイートのお部屋のようなイメージが浮かんだので、「わぁ素敵!」「夢みたい」と思い、「そりゃ〜住んでみたいですね〜」と答えたとします。反対にこのような場面で「いいえ、全然住みたくもありません」と答えるのはよほどの人でしょう。

しかし現実を考えてみて下さい。「天然温泉露天風呂付きの家に住む」ということが意味するのは、どこかのきれいな高級温泉宿の露天風呂つきのスイートのお部屋に、無料でずっと宿泊できるということを指していると思ったらそれは大きな間違いです。

現実には、まず自分で大金をかけて温泉を掘り当て、配管を敷いて、岩かヒノキか何かでそれらしい風呂を特注で作らなければなりません。そして完成したら完成したで、夏は蚊に喰われながら、冬は寒さに凍えながら風呂に入らなければならず、また毎日毎日落ち葉やゴミなどをきれいに掃除しなければなりません。全然優雅ではありません。

この温泉掘削費、工事費、毎日の掃除の手間、ランニングコストなどすべて、実は他の誰でもない自分が出さないといけないということを意味するのです。

ユニットバスでも十分なのに、これでは何のために作ったか分かりません。苦労をするために、わざわざ大金をかけて風呂を作ったようなものです。このような現実が待ち受けているのです。

しかしそこで、「あなたは以前『天然温泉露天風呂付きの家に住みたい』と言ったじゃないか。だから手配してやったのに。お金を払え。あなたが払うのは当たり前だろ」と言われても困ります。これではひどい悪徳商法のようなものです。

そういうことなら「天然温泉露天風呂付きの家に住みたくない、と答えたのに」となります。要するに単純なイメージから「住んでみたいですね〜」とは答えたものの、そこまで現実的なことを予見したうえで答えたわけではないということではないでしょうか。

また、近所の人に「うち、天然温泉露天風呂を作ろうと思うのだけどどう思う?」と相談したとします。近所の人は別に自分がお金を払うでもなく掃除をするわけでもない、反対に時々いいお風呂に入れてもらえるかもしれないと「それはすごい、ぜひ作られたら。さすがですね」と言うでしょう。何の直接的な関係も無い人や、通りすがりの人たちに「うちが作るのどう思う?賛成?」と聞いてまわるのも、意味が不明です。

反対に、天然温泉露天風呂付きの家を引き継ぐはめとなる子どもたちの立場はどうでしょう。風呂に入るというだけで何でこんなに苦労するのかと嘆く毎日。普通の風呂ならこんなに苦労しなくてもよかったのに。親の描いた『夢とロマン』などどうでもよい。そこに待っているのはメンテナンス地獄に陥り、借金返済に追われる日々…。当事者の現実とはこういうことではないでしょうか。

オリンピックは何となく、景気が上がりそう、活性化しそう、道路や交通網が整備され立派な最新の施設もできそう、広島の名を世界にアピールできそう、広島市民として誇りを感じるとか、そういったイメージを持つ人も多いでしょう。「オリンピックは儲かる」とか「オリンピックで都市のインフラは10年先に進む」などと言う人もいます。

しかし、本当にそうでしょうか?

オリンピックを開催したら、本当に「収入や補助金・寄付金がどっさり入って、交通網やインフラ整備が一気に進んで設備が充実した先進的都市になって、広島の経済が爆発的に回復して、世界中に平和都市ヒロシマをアピールすることができて、市民が名誉を感じて、広島が元気になる」というのであれば、今すぐにでもオリンピック開催都市に立候補するべきだと思います。

しかし、私はそれが本当に「本当」だとは思えません。まずオリンピックは儲かるという説は「誰が儲かるのか」を考えなければいけませし、オリンピックで都市のインフラは10年先に進むという説は「この広島にあてはまるのか」を考えなければいけないと思います。

ではまず「オリンピックは儲かるか」を検証してみます。大まかな開催費用の枠組みについて、日本オリンピックアカデミー・オリンピックムーブメント研究班編『21世紀オリンピック豆辞典』によると、

長野冬季大会(1998年)では7競技68種目が行われたのに対し、夏のシドニー大会では28競技300種目が行われました。オリンピックの開催費用も夏と冬の大会では大きく違いますが、ここでは長野大会の例を見てみましょう。

長野オリンピック組織委員会の仕事は、競技や式典の計画と実行、競技施設を整備すること、選手村やメディア村の運営、放送用の国際映像制作、メディア施設の運営、選手やオリンピックファミリーの輸送、国内企業のスポンサー集め、入場券の販売、広報や教育の活動などです。このための費用として組織委は1,140億円を使いました。

一方、組織委員会の収入は、放送権料や国際スポンサーからのIOCの収入の内、長野組織委に交付されたのが505億円。その他、国内スポンサーからの収入が170億円、入場券の売上が104億円、宝くじからの補助金が100億円、募金が96億円、そして国や県の補助金が116億円などとなっており、合計で1,140億円になります。

一方、シドニー組織委の支出は約2,100億円、アテネ組織委は約2,500億円の予算を組んでいます。

しかし、開催に必要な会場の建設、周辺の道路の整備、警察による警備、通信施設の改良などは組織委員会の仕事ではありません。これらの組織委員会の予算には含まれない開催費用は、大規模な建設工事が必要な場合には巨額になります。

長野の場合、地元の経済研究所の試算では新幹線(軽井沢−長野間)4,377億円、長野自動車道(豊科−更埴間)1,879億円、上信越自動車道(県内)3,444億円、競技運営施設整備1,823億円、関連道路整備に2,479億円、その他の経費2,602億円となっており、合計すると1兆6,000億円にのぼることになります。

とあります。

これを整理すると、下記の表のようになります。

(単位:億円)
収   入 支   出
<組織委>
IOCからの交付
国内スポンサーから    
入場券の売上
宝くじからの補助金
募金
国や県の補助金

小計


505
170
104
100
96
116

1,091


組織委員会全体として
(帳簿が焼却処分され詳
細不明)




小計









1,140

<建設工事費>

 

新幹線
長野自動車道
上信越自動車道
競技運営施設整備
関連道路整備
その他の経費

小計

4,377
1,879
3,444
1,823
2,479
2,602

16,564

合計

1,091

 

17,704

まず収支の合計に大きな差がありますが、その差は誰が支払うのでしょうか?

それから組織委の支出が1,140億円の規模に対して、その環境づくりのために1兆6,564億円を使っており、組織委の支出そのものは支出全体の7%にも満たないことに気付きます。

しかもこれは冬の大会であるから、夏の大会ともなれば競技種目からしても規模は4〜5倍となり、オリンピックのための環境づくりのための費用は莫大な額となることが想像できます。

よって広島市は、組織委にかかる費用だけでなく、建設工事費なども含めた全体でいくらかかるのかを明らかにして、その後のランニングコスト(運営費やメンテナンス費用など)はこれには一切含まれていませんから、それらも含めて、なおかつ誰がどのくらいずつ負担するのかをそれぞれに明らかにして、開催に賛成か反対かを当事者となる市民に聴いてほしいと思います。

次に「オリンピックで都市のインフラは10年先に進む」という説です。
大型開発で最新の大型設備が一挙に完成するということもありますが、むしろ「オリンピック成功のために」という大号令のもと、それが大義名分となり「印籠」をかかげれば多少のことは強引に推し進めることができるようになるという面が強くあると思います。

しかしインフラ整備が進むとはいえ、オリンピック開催に必要とされるのは「大量に収容・すばやく処理する」といういわゆる『瞬発力』的な能力です。これから先の地方都市広島に果たしてその瞬発力的なものが望まれるでしょうか。

例えばうねるようなエネルギーに満ち溢れているのに設備が不十分な都市であるとか、古い枠組みをいったん破壊して再構築しなおすことが望まれるような都市であれば「オリンピックで都市のインフラは10年先に進む」というのは当てはまるでしょう。

しかし広島のように人口や都市規模が下降、高齢化といった傾向にある中で、都市運営において必要となるのは『瞬発力』ではなく、細く長くの『持久力』ではないでしょうか。本来必要とされる以上のインフラを整備したばっかりに、がんじがらめになって、青息吐息となるのでは困ります。

そもそもオリンピック云々の前に、2020年頃の広島はどのような状態になっているのかさえ不安視されるところがあります。

広島が進む方向と、オリンピック開催で求められることとは、方向性がまるで違うということを理解すれば、とても「オリンピックで都市のインフラは10年先に進む」とは言えないと思います。

それから、2020年に開催という点ですが、なぜ2020年という設定になったのでしょうか。「2020年に核兵器廃絶」という話がありますが、果たしてこれが現実となるのか疑問です。

私は詳しいことはわかりませんが、核兵器がなぜ存在するのかを考えたときに、そう簡単に世界が広島の言うことをきいて世界中の核保有国があと10年で核兵器をすべて手放してくれるとは思えません。2020年に核兵器が廃絶されるという根拠はどこから来ているのでしょうか?

仮に「明日、目が覚めたら核兵器が廃絶されていたらいいな」と願うのはよいことですが、この「明日」というところが、明日では現実味がまったくないのでちょっと未来の「2020年」と単に置き換わっているだけだとしたら、それは何の根拠にもなりません。

しかしなぜ2030年、2040年、2050年ではなく、2020年という数字が上がってきたのでしょうか。そこに何かの意図が見え隠れしていると考えるのは、考えすぎでしょうか。

また核兵器廃絶や平和を訴えるのに、なぜ一時的なお祭りイベントに便乗しなくてはならないのかも疑問です。正味の部分で、地道に着実に働きかけるのがふさわしい手法なのではないかという気がします。

オリンピックの件に関して、今後広島市が進み得るケースとしては3つあります。
1 立候補しない場合
2 立候補して負けた場合
3 立候補して勝って開催都市となった場合

1の立候補しない場合ですと、これまでの招致検討にかかった費用が無になるということを意味します。

2の立候補して負けた場合ですと、前回の東京都が立候補してリオデジャネイロに負けた事例では150億円、それだけの巨額の税金が無となるということを意味します。
ちなみに当時の雑誌記事タイトルには
「潤うのは電通だけ 五輪招致の壮大なごまかし 招致活動費は150億円に膨らんだ」
「石原都知事 五輪招致150億円あれば特養ホーム15棟できるぞ」
「150億円五輪招致費で都立病院の産科医を雇え」
などといったものが踊っていました。ただ無になるのではなく何か学習して得るものもあったのかもしれませんが、150億円はあまりにも高すぎる月謝です。お金持ちの道楽といったところでしょうか。広島は道楽に打って出るほどお金持ちなのでしょうか…。

3の立候補して勝って開催都市となった場合ですと、さらに桁違いの額が必要となります。名誉は名誉でもそれは一時的なもので、ツケを払わされる市民にとっては大悲劇と言ってもよいくらいでしょう。

しかし、ここで注視すべきは、1、2、3いずれの場合も、これを言い出した秋葉市長自身の腹は痛まないということです。

では誰の腹が痛むのか?
痛むのは市民の腹です。市民生活のために還元されるべきだった財源が消えて無くなるのです。

秋葉市長が市長でなくなっても、たとえ広島からいなくなったとしても、このツケが秋葉市長とともにどこかへ消えてなくなるわけではないのです。ツケはただただ市民に残されるのです。

拒否することはできません。残酷なまでに市民の肩に重くのしかかるのです。そして、高い税金を納めても納めても、市民生活が充実する方向に使われる前に、過去のツケを払うのに消えるばかりとなるのです。

賛成と言う方たちだけで自腹でまかなうというなら「どうぞご自由に。がんばって!」と申し上げることもできます。しかし、自分の思いつきで勝手に行動するだけ行動して、私たちを勝手に巻き込んでおいて、「あとは野となれ山となれ」ということでは困るのです。尻拭いばかりさせられるのでは、本当に困るのです。

何かの政策を決定する権利は、最終的に市長一人にかかるところが大きいのかもわかりませんが、たとえ選挙で代表者として選ばれたとしても市長一人によって広島市の意思決定がなされるものではありません。

市長や議員、すべての市民で、よりよい広島市を作り上げるために努力を積み重ねることが『時のリーダー』に求められるのであり、2020年になったときには「先見の明」があった指導者として讃えられるのだと思います。

リーダーは、市民全体のこと、市勢の将来のことを考え、責任をもった堅実な行政運営と的確な判断を切に願うものです。


(レポート終わり)


今、広島市の職員の中で流行の話し言葉があるようです。それは「オリンピックが広島市で開催されるのなら、これぐらいの予算はすぐにでも付きますよ。」との会話です。厳しい財政状況のもとで市民の生活現場と日々、対峙している市職員の苦し紛れに出てくる言葉だと思われます。

秋葉市長さん、広島市民に大きな夢を与えられよう思われているのなら、もっともっと現実味のある夢でないと市民は信用しないのです。市長が頭の中で描いている市民感覚は一時代前のものになっているのです。来年には市長選挙が挙行されますが、その方ばかりに気を取られるのは、そろそろやめて欲しいものです。市民は地に足のついた行政を望んでいるのです。

皆さんは如何お感じですか。