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(No.318)2010年8月12日

『公平公正なコンペとは』

8月3日のNHK・BS1の番組「『こだわりライフ・ヨーロッパ』〜飛行場を市民のもとに〜」を見ました。現在、広島市がよく使っている事業コンペの手法がいかに不公平で偏ったものなのか、その上、現在ヨーロッパで行われているコンペ手法とあまりにもかけ離れているかが理解できる番組構成でした。

「絵」はないのですがビデオ起こしをしました。何とか「文字」でも理解が出来ると思われますので読んでみてください。広島市行政の皆さんには、市民が望む、公平公正なコンペはどの様なものなのかを理解して欲しいのです。

これからは、「西飛行場の存廃の議論」も市民と一緒に考えなければならない時です。市民に開かれた公平な議論の場を設けるべきです。

「旧市民球場跡地利用コンペ」も、このビデオにあるドイツ・ベルリンのポーペライト市長が行ったような方法で実施されれば、結果がどういうものになるにせよ、市民にとってもっと良かっただろうと思います。

歴史の重みがあり・市民の思い出のある、という点ではテンペルホーフ空港も旧市民球場も全く同じなので、全市民の財産を公平・公正なコンペで施設の再生を図り市民のより豊かな財産に再構築することもできたのではないかと思いました。

広島市も秋葉市長の口癖である、「市民の、市民による、市民のための政治」が望みであれば、もっとヨーロッパ型の政治をされてはいかがですか。年間何回海外旅行されますか。その成果をここで発揮して欲しいものです。

20分番組ですので少し長くなりますが読んでみてください。

こだわりライフ ヨーロッパ
    飛行場を市民のもとに〜ドイツ ベルリン〜 (NHK制作)

この日、市内にある飛行場が歴史の幕を閉じました。1923年の開港以来、ターミナルとしてだけでなく、数々の歴史的な出来事の舞台となってきた飛行場。テンペルホーフ空港です。夜、空港関係者を招いてセレモニーが開かれました。

【ポーペライト・ベルリン市長】
   この空港にベルリン市民の多くは特別な思いを持っています。テンペルホーフ空港は数多くの歴史的事件の舞台となりました。東西冷戦時の数々の出来事は忘れることができません。
   これからはこの空港と滑走路をどのように活用してゆくのか。私たちみんなで考えていかなくてはなりません。

 招かれた人たちは、最後のフライトを見送りながら、空港への思いを分かち合いました。

【元整備士 ピーター・フアマンさん】
   テンペルホーフ空港はベルリンと世界をつなぐ扉でした。この空港がなかったら自由を守れなかったでしょう。いい思い出ばかりです。妻と出会ったのもこの空港でした。

最後の飛行機が飛び去り、その役割を終えた飛行場。それから1年半余り、今、市民の手で、再利用の道が模索され始めました。ドイツ・ベルリンで、一つの空港を巡る人々の思いを辿りました。

ベルリン。東西冷戦の象徴であった壁の崩壊から20年。ドイツの首都として再開発が進んでいます。

20世紀、ベルリンは、数多くの歴史的な出来事の舞台となってきました。その象徴がテンペルホーフ空港です。空港が位置するのが、ベルリンの都心から車で数分という街の中心部です。

広さはおよそ390ヘクタール。サッカー場540面分です。開港は1923年。世界有数の巨大空港となったのは、ヒトラーの時代でした。ヒトラーが夢に描いたベルリン大改造計画の一つとして、当時、世界最大規模の建物が造られたのです。 空港閉鎖以降、建物の中はガイドツアーで巡ることができます。

【ガイド】
   今私たちが立っているのは後からつくられたフロアです。ひとつの階を分割して2階をつくったのです。最初は天井の高さが15メートルという壮大な空間でした。

計画ではあちらの壁はすべてガラス張りになるはずでした。もし実現していたら空港ビルに入ってきた人たちに滑走路がすぐ見えるように設計されていたのです。屋根の上には客席のようなものが取り付けられていました。飛行場で行うセレモニーの際に特別観覧席にする予定でした。

ヒトラーの構想によって造られたアーチ型のウイングは、全長1,200メートルに及びます。ナチスドイツが国家の威信をかけて造った巨大な飛行場でした。

この飛行場の名が連日のように世界に伝えられたのは1948年6月のことでした。

冷戦の初期、東ドイツ領内に位置するベルリンは、東西に分割されます。そして、緊張の高まりの中で、西ベルリンは東側によって孤立されられます。いわゆるベルリン封鎖です。

孤島のようになった西ベルリンに、西側諸国は、航空機で生活物資の運搬を試みました。西ベルリン市民220万人分の食糧や燃料、医薬品をすべて西側から空輸したのです。輸送先のテンペルホーフ空港には、3分に1機の割合で、輸送機が離着陸しました。テンペルホーフは、1年間続いた大空輸の舞台として注目を集め続けたのです。

事件のあと、そして、東西統合後も、テンペルホーフは通常の空港として利用されてきました。しかし、市街地に隣接することの危険性や航空機の大型化に対応できないという理由から閉鎖されることとなったのです。

今年5月、ベルリン市は、閉じていた空港の滑走路を一般に公開しました。ベルリン市民にとっても、広い滑走路を自由に歩き回ることはもちろん初めてです。

実は、ベルリン市は、閉鎖直後から、建築や都市計画の専門家、そして、一般の市民に空港の跡地利用の提案を呼び掛けてきました。広大な跡地を実際に歩き回り、空港の未来図を描くことを市民に呼び掛けたのです。

【都市計画責任者 レグラ・ルシャーさん】
   ベルリン市民にとって空港の公開はとても大切です。歴史ある場所が市民のもとに返されるのですから。同時に市民が戻ってくることでこの場所は再び命を与えられます。

わたしたちは市民にこの場所をどうしようかと問いかけています。スポーツやレクリエーション?農場?それとも自然を守る?
   そんな基本的なところから議論を始めているところです

公募を始めて以来、広くアイデアが寄せられ、その数は1,400に及んでいます。これは敷地をそのまま残し、それを取り囲むように環状の森を造るというアイデア。森の中を抜ける何本もの道が特徴です。

こちらは、敷地全体にスポーツグラウンドや劇場、博物館、研究所など目的別の広場を造り、それを小道で繋ごうというプランです。

ベルリンに住む建築家のアイデアは、多くの中でも奇抜でした。飛行場の敷地全体に高さ1,072メートルの山を一つ造ろうというのです。ベルリン市内で、夏は登山、冬はスキーを楽しむことができると提案しています。

【建築家 ヤコブ・ディゲスさん】
   誰も思いつかないことを考えてやろうと思っていました。もちろん本当に山を築こうと考えていたのではありません。多くの人たちを刺激し想像力を競い合う場をつくりたかったのです。その意味ではうまくいったかな。

専門家たちと平行して、一般市民からも様々な提案が寄せられました。それぞれベルリンが今抱える問題とそれを解決しようという思いが込められています。

空港周辺には、東西ドイツの統合後、貧困層となった人たちが暮らす地域があります。こうした地域で、子どもたちのレクリエーションのコーディネーターを務めているヤンさんです。

ヤンさんが提案したのは、子どもたちの遊び場でした。経済的に貧しい家庭の子どもたちが家の周りの窮屈なスペースでしか遊べないのを見ていて、何とかしたいという思いからでした。

【レクリエーションコーディネーター ヤン・シエルンベックさん】
   遠くへ遊びに行くことのできない子どもたちのために、なんとかしてやれないかといつも考えてきました。今回わたしはこの場所を記念したアスレチックランドを作れないかと提案しました。身体的な訓練だけでなくグループで社会的な適応性を学べる場にしたいですね。

ハートムート・ローナーさん。環境保護団体のメンバーでもあるローナーさんが提案したのは、この広い土地をそのままに保存しようというものでした。実は、現地の環境調査をしたところ、新しい発見がありました。ここの動植物の中に、ドイツのほかの地域では、ほとんど見られなくなった希少種が残っていたのです。人がほとんど立ち入らなかったために、独自の生態系が守られていたのです。

【環境保護団体 ハートムート・ローナーさん】
   この空港跡地はベルリン市内でも特別な場所です。ヒバリにとっては貴重な生息場所ですし、ほかにも珍しい種の植物や昆虫を見つけることができます。野生のハチやシジミチョウ科のチョウもたくさんいます。
   過去60年の間にここに独自の生態系が築かれてきたのです。だからこそここを守っていかなくてはならないのです。

さらに、ローナーさんたちの団体が中心になって、この空港跡地の気候変化のシミュレーションを行ってきました。

【環境保護団体 ハートムート・ローナーさん】
   夏の暑い日でもこのとおり、風が吹いているでしょう。

大型ビルの建設などで風がさえぎられると、環境が変わり、ベルリン市内の平均気温が最高で2度上昇するという結果が出たのです。

【環境保護団体 ハートムート・ローナーさん】
   夜になるとここで冷やされた空気が周辺に流れ込みます。その効果ははっきりと体感できます。風をさえぎらないようここは広い空間のままにするべきです。

一方、ベルリンには、東西統合後、多数の移民や難民が世界中から移り住んできています。市内には160以上の国籍の人が住んでいると言われます。

クリスチャン・ホフマンさん。ホフマンさんは、3年前から、異文化ガーデンというプロジェクトを実施しています。18の異なる国の人たちと共同で土地を借り、庭として利用するのです。そこでは、庭造りだけでなく、料理を作り、ガーデンパーティをするなど、様々な交流を図っています。

【社会企業家 クリスチャン・ホフマンさん】
   ガーデンでの作業だけでなくこの場を離れてもわたしたちは国籍や世代を越えて支え合う関係をつくってきました。ベルリンには163か国から来た人たちが暮らしています。
   テンペルホーフ空港という場所はかつてベルリン市民が世界中の人々から援助を受けた場所です。今度はわたしたちが平和的に恩返しすべきです。

多種多様な文化を共有することができるコミュニティガーデン。こうした多様な民族の交流の場を空港跡地にも是非造ってみたい。それがホフマンさんの提案でした。

5月に公開されて、最初の4週間で50万人がここを訪れました。この後、建築家と市民によるコンペは、幾つかのステップを経て、今年の終わりには、最終的なプランを確定する予定です。

【都市計画責任者 レグラ・ルシャーさん】
   この広いスペースを使いながらどんな町をつくっていくのか、市民がみんなで考えるのはすてきなことだと思いませんか。訪れる人の誰もがこの空間の広さに圧倒されます。ベルリンの空に触れる様な感覚はほかでは味わえないでしょう。これまで閉ざされていた空間をベルリンの人たちに返し、みんなでこの感覚を分かち合いたいです。

大都会の真ん中に生まれた広大な空間をどうやって市民の手で生かしていくのか。ベルリンの人たちの模索は続きます。



※追伸1(独善的な平和宣言)

今年の平和宣言について、市民から投書をいただきましたので紹介します。

広島市の平和宣言は、独善的で偏ったものになってはいませんか。平和宣言は文字どおり平和を希求するものです。そこには、被爆者の思いや全世界の人々の願いを込めていなければならないのだと思います。

世界初の被爆都市が核廃絶を訴えるのは頷けます。広島・長崎だけでなく、米保守派を含めた世界の多くの人がそれを願っているでしょう。

しかし、現実の世界を見ると核の傘で平和が維持されてきたことは否定できません。こうした現実を無視して、世界に発信する平和宣言で、「核の傘からの離脱」を日本政府に求めることができるのでしょうか。それも「これまで核戦争が起きなかったのは運がよかっただけ」との評価です。浅はかさ極まりないのではないですか。

北朝鮮は核実験を繰り返し、中国は軍事力強大化の中で日本に照準を合わせた中距離の核ミサイルを配備しているのです。これらは、日本が依然として米国の核の傘を必要としている証ではないのでしょうか。イランやイスラエル、インド、パキスタンの問題もあります。

「非核三原則の法制化」も盛り込んでいますが、核を「持たず、作らず、持ち込ませず」を法制化すれば、核の傘という現実を否定することになります。むしろこれは見直し、米の核持ち込みを寄港や領海通過などに限って公然と認める方法を探るべきではないでしょうか。

世界に発信するメッセージが一個人の思いのみで作られるのは言語道断です。平和記念式典の名を借りた、現実を無視した独りよがりの言動は広島の恥に他ならないと思います。



※追伸2(子どもの安全対策)

これも市民からの投書です。以前にもらっていたものですが、昨日、木下あいりちゃん事件の被告の無期懲役確定の報道がありましたので、この際紹介します。

「子どもの安全対策」については、平成17年11月に発生した木下あいりちゃん事件を教訓に、学校、家庭、地域をあげて対応策が講じられているようです。しかし、私は、敢えて次のことを申し上げたいと思います。

それは、「安全」に一方的な反応をするあまり、本来子どもたちが身に付けなければならない大切なものが蔑ろになりはしないか、ということです。「見知らぬ人に関与しない」ことが当然のこととして身に付き、「人を信用しない」ことが当たり前の人間形成に繋がるのではないか、と危惧するのです。

例えば、通学路で「本当に困っている人がいれば声をかけて助けてあげる」「道を聞かれれば親切に教えてあげる」「見知らぬ人であっても元気で気持ちのよいあいさつができる」、そういった優しさ、正義感、他に目を遣り思いやる心を醸成させることの方がはるかに大切なことではないか、ということです。

当たり前のことを当たり前にできる人間になるための基本は、日常のこうした心の触れ合いから身に付くものだと思います。もちろん昨今の社会情勢の中、子どもの生命と未来を守るための安全対策を否定するつもりはありません。

しかし、強化するにしても学校教育全体の中でのバランスを考慮しなくてはならないものではないでしょうか。決して人間として基本的な「心の醸成」が「安全」の前に掻き消されてはならないと思います。

藤原正彦氏の著書『国家の品格』では、「国際化のために小学校のカリキュラムに中途半端な英語教育を導入するよりも大切な日本語を教え、人間としてまともな思考ができるようにすることが重要ではないか」といったことを主張されています。

この問題とも相通じるものがあると思いますが、敢えて日本人の心、情緒、人間らしさの重要性を声高に言いたいのです。本来の姿を見失うのではなく、今一度原点に返って日本の教育を見つめる時だと思います。