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(No.315)2010年7月1日

『旧広島市民球場について(その1)』

平成22年(2010年)6月22日 広島市長 秋葉忠利名で市長コメントが出ています。こどもが、駄々をこねているような文章ですし、自分が言い出したことに対する偏執さを如実に表している表現の文章ですので紹介します。

本日、平成22年第3回広島市議会定例会において、第53号議案「旧広島市民球場条例を廃止する条例」が修正可決されました。(中略)このため、本来であれば、今年4月から、球場物品の有効活用や球場解体のための準備を行う予定でした。しかし、廃止条例の否決により、そのスケジュールが4ヶ月遅れています。更に、このたびの修正可決により、1ヶ月遅れることになり、球場跡地整備のスケジュールは、今まで以上に厳しい状態になりました。

この条例の修正は、夏休みの間、旧市民球場で『子供たち』の夢をかなえるために1ヶ月延期したのです。市長与党の共産党も市民連合も市民市政クラブも賛成された条例です。いかに議会と市長の対話がないのか、その上、市民に対する副市長以下のきめ細かい配慮のなさを感じさせる議案でした。

「市民不在」の行政が行われている記事が、中国新聞の6月22日にありました。内容は「修正案について、市幹部の一人は『反市長派の議員が原案を通したくないためのメンツの修正だろう』と受け止めている」とあります。

しかし、この条例は市長与党の議員全員も賛成で可決したものです。ここにも、職員の目は市民ではなく市長へしか向いていないことが証明されているのです。広島市職員の一部は末期的症状にあるのではないでしょうか。

頓智の利く人が、一言いわれました。「広島市幹部ではなく広島市患部」ではないでしょうか、と。

市会議員の谷口先生が6月市議会本会議で代表質問をされました。その中に市民からの投書を引用されました。本会議ですので発言出来ない部分がありますが残りの部分に本質があるように思いますので原文のまま紹介します。

1978年(昭和53年)、アメリカ・タフツ大学准教授の時、「アキバプロジェクト」を立ちあげた。これは、アメリカのジャーナリストを広島へ招聘してヒロシマの実相を見聞きし取材してもらい、帰国後、各メディアを通じてそれらの情報を発信してもらうことを目的に記者招聘プロジェクトである。

ヒロシマ・ナガサキへ、毎夏訪問取材を行うようになり、その後、1986年〜88年まで広島修道大学客員教授、1990年に広島一区選出の社会党代議士・大原亨氏の後継として出馬、1999年まで衆議院議員として社会党の在籍、その年の2月、広島市長選に出馬、これまで三期、市長を務めている。

これが公になっている広島との関わりである。32年前からの関わりではあるが、広島に「定住」してからは恐らく10年そこそこであろう。その間、秋葉氏がカープを、市民球場を自分の言葉で語ったことはあったのであろうか?

市長就任以前、市民球場に足を運び、ファンと一緒に大声を張り上げカープを応援したことがあったのであろうか?それはご本人に確認しなければ分からないことであるが、以下のことは確信をもって言えるのではなかろうか。

V1以前の市民球場の原風景、当時、地方では唯一のプロ球団のフランチャイズ広島市民球場、負けても負けても応援するカープファン、子供たちはあこがれのスター選手を間近で見、大人にとっては日々の労働の疲れを癒す数少ない手段、喜びであったことを…。

それはたぶん、NOである。秋葉氏には、決して共有できない!広島市民の目と心に焼き付き、決して薄れることのない肌感覚を、古びたコンクリートの塊や物体としかとらえられない発想がこの問題の根源にある。

市民球場の歴史は1957年(昭和32年)7月、カープがフランチャイズにしていた県営球場にナイター設備がないため、ファンの強い要望などもあり地元経済界を中心にした寄付で完成した。

球場は慰霊碑、ドームとの「平和の軸線上」にあり、8月6日にはここでの公式戦は敢えて実施しないできた。

V1の後、2階席の増築、電光掲示板の設置、照明塔のスタンド後方への移動など、この間数々の改修が加えられている。これはカープの黄金期である昭和50年代の活躍と時期を一にしている。半世紀の歴史の間には山本浩二、衣笠祥雄の活躍、外木場義郎の完全試合、幾多の乱闘事件、バックネットよじ登り事件、そして涙のV1達成…、等々、数々のドラマが繰り広げられてきた。それはまさに広島の復興とともにあった。

プロ野球のフランチャイズ球場が次々に姿を消し現存するものはわずかである。川崎球場、東京球場、大阪球場、藤井寺球場、西宮球場、平和台球場その跡地はマンションに、ショッピングセンターに、緑地帯に姿を変え、今や名選手たちの活躍の跡を示す何物も残っていない!

旧広島市民球場をこれらの球場と同列に置いていいのであろうか?その答えも「NO!」である。ここは重い歴史を背負った都市の戦後復興の証であり、それを後世に伝える歴史的構造物であり、オンリーワンな存在である。対外的にヒロシマをアピールする象徴は原爆ドームだけではない、むしろこの球場こそ、それと並ぶものである。

このような認識に立てば、「議論は尽くした!老朽化したものは壊す」という考えには至らないはずである。

秋葉市長は今年のカープの地元開幕戦で背番号2020のユニフォームを着て、始球式を行った。2020の意味するところは市長が議長を務める平和市長会議が2020年に核兵器全面廃絶を目標に掲げていることからだろう。しかし、その背番号を付けて一球を投じるのはマツダスタジアムではない。これこそ旧市民球場のマウンドではないだろうか。

次の項は「旧球場跡地はセントラルパークにはなりえない!」とあり、よく調査された大変参考になる文章です。