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(No.296)2010年3月4日

『広島市の歴史と秋葉流の都市開発(Part1)』

旧広島市民球場跡地の活用について、沢山の人々が多くの意見を述べられています。どの意見も過去からの歴史を含め、これからの広島市のあり方の道標になる貴重な意見であり、想いであると感じられます。

しかし、その一方で、原爆で一瞬のうちに歴史を失った広島市にとって、この区域が貴重な歴史遺産が残されている「江戸時代の広島城エリア」にあるにもかかわらず、広島市の歴史に関しては、原爆被爆以後の発想が多数を占め、その原点である江戸期からの発想がないのも事実なのです。

そうした中、平成21年10月18日の中国新聞では、殆ど1頁を割いて、江戸期以降からの文化財保存の見地から旧広島市民球場跡地の重要性を説いていました。私たちに貴重な示唆を与えるものと思われますことから、その中国新聞の記事を紹介させていただきます。

大きな見出しには「旧広島市民球場は江戸期の広島城の一部」とあり、その次に「跡地利用に新たな視点」と続き、記事冒頭には次のように記述されています。


祈りの場か、にぎわいを演出する集客施設か。跡地の利用方法がいまだに定まらない旧広島市民球場(広島市中区)。歴史や考古学分野の人たちは、別の視点から論議の行方を見守っている。跡地地下には、広島城の外堀や石垣、城内の住居跡などが埋もれている可能性が高く、跡地開発は江戸時代の城の姿を後世に残すチャンスだからだ。広島市中心部にある跡地利用論議に、「埋もれた歴史」という新たな視点が出てきた。


江戸時代の広島城エリア

そして、次の見出しが「城の本来の姿 研究進む好機」とあり、「外堀の価値」というところは次のように述べられています。


旧市民球場前の広島電鉄原爆ドーム前電停に面した緑地帯。片隅に「広島城外濠跡」と刻まれた石碑がある。半ば植物に覆われ、気付く人はほとんどいない。

「旧市民球場跡地の開発は、広島城外堀の石垣という貴重な資料にとって、チャンスでもあり、ピンチでもある・・・」
「堀と石垣に囲まれている現存の広島城は江戸時代の城本来の姿の10%程度にすぎない・・・」

外堀とは、城を敵から守る第一関門だ。大まかには、現在の八丁堀交差点付近、白島交差点付近、三篠橋東詰め、市民球場を結ぶ総延長約4キロに及ぶ。堀は、底から高さ数メートルの石垣で囲まれ、その上には4メートルほどの土塁(土を盛り上げた壁)が築かれていたと推定される。・・・江戸時代、城外の町人たちが見ていた広島城の姿は、今とは別の姿をしていたのだという。

「球場の南西端は、外堀の西の限界部分。限界がどこにあったか分かれば、貴重な成果になる・・・」

広島城は、1970年代末から30年間にわたり、ビルや学校、地下街などの建設に伴って発掘調査が継続されている、全国でも珍しいケース。それだけに、今回の跡地開発は、これまで手つかずだった部分の研究の好機という。


さらに、次の見出しの「埋もれた歴史に配慮を」の「今なすべきこと」というところには、次のように書かれています。


旧市民球場跡地からは、外堀と石垣以外の資料が発見される可能性もある。石垣の内側部分は上級家臣の住居があった部分で、当時の生活をしのばせる遺物が出土する可能性が高い。

「地下部分の保存状態が良ければ、古い下の層から順に調べることで、武家の生活の変化が読み取れるかもしれない・・・」

文化財保護法では、ビルの建設などで地下部分に手が加えられる際は事前に発掘調査することが定められている。現在の計画では、広島商工会議所ビルの移築が検討されており、この付近の発掘調査が行われる可能性が高い。

石垣や堀、上級武士の屋敷跡などの遺構や遺物が発見された場合はどうするのか。その一つが活用である。(広島大学大学院文学研究科の)三浦教授は「石垣を保存し、その上に土塁を復元すれば、広島城の本来の姿を後世に伝えることができる」と唱える。広島市中心部という一等地だけに、都市景観を考える際には、歴史的視点も必要だという考え方である。

加えて、「平和公園内には高い建物がなく、土塁の内側から見上げる空は、江戸時代の城内の人々が見たのと同じものになる。もちろん原爆ドームにとっても優しい景観になる。」と夢を語る。


さらに、


「広島の歴史は一発の原爆で破壊され尽したと多くの人が思っている。が、原爆ですら奪いきれなかった歴史が眠っていて、その上にわれわれが生きていることを知る必要がある」


という談話を紹介した上で、


時代の要請は、破壊から保存へと大きくかじを切っている。広島市の中心部という一等地、しかも国有地にある旧市民球場跡地利用の際には、地下に埋もれた歴史に配慮することが求められる。

さらに、あの場所は元西練兵場であの日、多くの犠牲者が荼毘(だび)に付された場所であることも忘れてはならない。

と述べています。

ここで、重要なことは

  1. 多くの広島に縁のある人々は広島の生い立ちと歴史を大切にすること。
  2. 悲惨な原爆投下以前の広島の歴史を感じること。
  3. その上で被爆された人々の心を大切に感じてもらうこと。
  4. 広島の戦後復興は被爆者の尊い犠牲の上に構築されていることを忘れないこと。
  5. 世界恒久平和も核兵器廃絶も人類共通の願いであり、その原点である原爆ドーム周辺は、その時々の為政者が強引で恣意的な手法で手を加えてはならないこと。
  6. 広島の歴史を絶対に消滅させないこと。
だと思います。

そして、最後に、遺跡の重要性を認識してもらうため、「消滅の歴史」「高度成長で破壊に拍車」という見出しで次のように結ばれています。


広島城の外堀も例外ではなかった。明治時代末期以降に埋められ、道路や宅地として利用され、静かな眠りについた。その後も都市開発の対象となった部分は破壊されてしまった。

94年から始まった地下街シャレオの建設に伴う紙屋町交差点付近と大手町付近。新交通システム、アストラムライン建設に伴う西白島交差点付近の計3カ所もその一例だ。

大手町付近の調査では、350メートル以上にわたる石垣、城への入り口にあった櫓台5カ所などの遺構と中国産の輸入陶磁器の破片などの遺物が発掘された。考察で、櫓台の一部は石垣の後に造られたことがわかり、築城の過程が明らかになった。

だが、結局は出土した部分は、地下街建設のため破壊され、石垣の一部は県庁前の地下街入り口付近の石垣として保存されている。新交通システム工事に伴って出土した石の一部も、アストラムライン城北駅近くの地上に置かれている。

「石垣は崩してしまえば、ただの石。あったままの姿に積んでこそ残したことになる」


学術的には地味な分野ですが、私たちの歴史を認識するためには絶対に必要なことを、昨年の秋に中国新聞が取り上げたことを高く評価するものです。

いつの時代も都市開発と環境保全や史跡保護、保全はせめぎあうものです。三原市では城壁保全のためマンション用地を行政が買い上げました。福山市では駅前再開発を含め、福山城周辺で史跡の保護、保全をしています。広島県の湯崎知事は福山市の鞆の浦地区での架橋の方法について、景観保護にともなう環境に優しい都市の再開発を再度、議論されるようです。

広島市においても、市民や広島市行政はもちろんのこと、商工会議所をはじめとする経済界、さらに広島市議会も原点に立ち返って、今一度、広島市の歴史というものを改めて見つめ直さなければならないのではないかと考えます。

また、秋葉市長は新年度施策の目玉として、エコと環境の充実を掲げられているようですが、その一方で、都市再開発や都市整備の施策は全市域で展開されているのが現実の姿です。しかも、その実態は、実施が困難な施策のオンパレードなのです。

かつて、「田中角栄」という私たちの時代の、偉大な総理がおられました。「日本列島改造論」をひっさげて日本中を開発と利権の渦に巻き込みました。功罪両方あろうとも思いますが、財源も施策も理にかなったものが多くあったと思います。

しかし、今の広島市の秋葉流の都市再開発企画は全て瞬間的な思いつき施策で、理念も財源も計画性もなく、ただただ旧来からの施策の羅列にすぎないのです。裏を返せば開発利権、建設利権、許認可利権の再構築にすぎず、責任を持って広島市が最後までやり遂げる施策は見当たらないのが現実なのです。

私たちの時代に「首長は理念をもって、一人、一任期、一仕事」が原則だと教わりました。身をなげうって仕事をすれば精神的にも肉体的にもそのあたりが限度であろうと思います。先進国の「大統領制」が多選禁止をうたっているのも、民主主義の根幹を国民がよく理解しているからであろうと思います。

「民主主義」を標榜されている市長には、斬新的で公平・公正な民主主義を実践されることを望むものですが、市民の皆さんはどのようにお感じですか。