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(No.295)2010年2月18日

『秋葉流の進め方』

2月4日の中国新聞に「子ども条例提案見送り 市方針 根強い反対 周知不足も」といった見出しの記事が掲載されていました。まず冒頭部分を紹介します。


広島市が16日開会の市議会定例会に「市子ども条例案」を提案しない方針を固めたことが3日、分かった。

「市子ども条例」は、これまで議会でも議論されてきた案件ですが、この記事の出所が何処なのか、何らかの作為があってのリークなのか、分かりません。しかし、2月9日が2月定例会の招集告示日で、形式的には、その日に定例会に提出される議案が初めて公にされることからしますと、2月3日のリークは少し早過ぎたのではないかと思われます。

記者自身の努力の賜物であろうこと自体は否定しませんが、行政・議会とメディアをはじめとする多くの関係機関との間には、一定の信頼関係があるはずです。そうした信頼関係は損なわれないよう、お互い、良識の範囲内で節度ある行動をとることが必要ではないでしょうか。

また、この「『子ども条例』見送り」に関しては、10日の産経新聞に「広島市長『もう少し時間必要』」が、さらに、11日の毎日新聞には「今年度中 市民の反対の声多く」といった記事が掲載されていました。

そのうち、毎日新聞の記事には次のような一文があります。

秋葉忠利広島市長は「市民に理解されているという先入観があったが、十分な説明がなかった点もある。急ぐよりは理解を得ることを優先したい」と説明した。

この秋葉市長の発言は、これまでの秋葉市政を端的に表すものとして、私たちは見逃してはいけないと思うのです。「市民に理解されているという先入観があったが、十分な説明がなかった点もある」というのは、独りよがり以外の何ものでもないということではないでしょうか。


行政の人や、議員、市長の周りの人たちは、これまで、何度、市長のいつもの癖、つまり、刹那的な思いつきや単純なアイディア、人からの一言などで、瞬間湯沸かし器のごとく前後の見境もなく施策を押し付けられたことでしょうか。

そして、その押し付けられたセクションでは、それをどのように構築して、どう処理すればいいのか、皆目見当が付かない中で、日々を送っているのが現状ではないかと思われるのです。

この度の秋葉市長の突然の「オリンピック広島市招致」の発想も、そうしたものの一つとして、起承転結のけじめがつかない、市民にはなかなか理解しがたい単純な思いつきの施策でしかないと思われます。そうした空理空論の思いつき理論であるため、市民も経済界も文化人も大人も子供も行政も議会も「賛成」「反対」の議論すら出来ない状態が今も続いているのです。

広島市長という最高責任者の発言ですから、当然、理路整然とした誰にでも分かる言葉で一日も早く説明することが求められていると思うのです。

ビッグプロジェクトを成功させた事例の書籍があります。少し古い本ですが、堺屋太一著『歴史の使い方(講談社2004年2月発行)』というものです。その本の中から、少し紹介させていただきます。

まず、「日本万国博の仕掛け」「二十八歳の私が挑んだ万国博覧会という企て」というところです。

まず、大義名分を立てた。万国博覧会は日本の経済成長と国際化に極めて有効な事業であり、開催地の地域開発にも役に立つ。それにおそらく黒字を出して財政にも貢献するだろう。

次に、スポンサーを探さなければいけない。それを私は地域に求めた。開催地を関西に絞り、大阪商工会議所にこの話を持ち込んだ。次は大阪市、この結果1964年度には408万円の誘致運動費が用意された。
 手続きとしては、まず、万国博日本開催の閣議決定が必要である。

次には、BIE(博覧会国際事務局)の承認を得る。国際競争に勝つことだ。万国博覧会開催は国際条約に基づく国家行事。
 最近の日本は、愛知万国博覧会でも、サッカーワールド杯でも、大阪オリンピックの招致でも、戦略もなく多数の国に使節団を派遣するが、必ずしもよい結果になっていない。

第三段階は、象徴的な総大将の擁立である。それに当たるのは、佐藤栄作総理大臣と石坂泰三万国博協会会長である。
 特に、日本万国博覧会の会長は関西財界から、という声を抑えて経団連会長の石坂泰三氏を選んだのは成功だった。石坂会長は、自ら先頭に立って駆け回った。それが日本万国博の成功の一因でもある。


また、「成功体験と珍品アイディアを避けよ」という中では、次のように書かれています。

こうした仕掛けによって、日本万国博覧会開催が決定すると、情報不足の企業や団体が猛烈に集まった。ここで困ったのは二つ、オリンピックの経験者とにぎやかなアイディアマンである。

一つの成功体験を持った者は、次にもそれを繰り返そうとする。これは歴史の中で何度となく現れる失敗の原因である。

もう一つの問題は、にぎやかなアイディアマンはさまざまな珍品や新技術をならべる。本当のアイディアとは、仕組みや仕掛けから技術と資金の裏づけまでを含む体系的な発想でなければならない。


つまり、大事業を成功さすためには、根底に誰にも理解できる理念が必要であると思われます。それに対して、秋葉市長の突然のオリンピック招致のアドバルーンは単なる「目立ちたがり屋症候群」のなせる業でしかないのではないでしょうか。


2月12日の朝日新聞でオリンピックの基本方針案が取り上げられていました。

ただ、肝心の整備手法については「既存施設の改修や仮設で対応し、経費を抑える」とするばかり。具体的なイメージはなお不明確だ。

JOC幹部は「広島の五輪構想に最も足りないものは選手中心の視点」と指摘する。

世界中の選手が、4年に1度の祭典を目指し、厳しい練習に耐えている。だからこそ、五輪には選手がベストを尽くせたと納得できる高水準の競技環境が必須となる。

だが広島市の基本方針案は「わが国の最先端技術を駆使し、仮設中心ながら最高・最善の競技環境を提供する」と抽象的だ。


五輪開催で最も影響を受けるのは市民だ。3回の検討委会合には県内外の自治体首長らが多く参加する一方、広島市民が傍聴する仕組みはなく、市議すら招かれていない。

秋葉忠利市長は検討委で「今回の五輪は、平和とサステイナブル(持続可能)、スポーツ・フォー・オール(すべての人のためのスポーツ)が柱」と述べたが、市民の声を十分聞かぬ限り、実現は困難だろう。


また、2月13日の中国新聞の社説では、次のように書かれています。

広島単独での五輪開催には、費用がいくらかかるのか。それが分からないと、市民もなかなか賛否を判断できない。広島市はできるだけ早く疑問に答えてほしい。

(中略)

必要な施設の多くを仮設でそろえる考えを打ち出しているが、細かい点がはっきりせず、財政負担が総額でどれほどになるか分からない。これでは、資金調達の計画も立てられない。

例えば選手村。アジア競技大会の時は終了後、分譲・賃貸住宅にすることを前提としていた。今回は解体して再利用できる仮設タイプにするとしている。しかしどんな建物を整備するのだろうか。

大会関係者の宿泊施設や、ビッグアーチの観客席も同じだ。宿泊施設は観客用を除き、約4万室要るとされているが、市内には3割弱の約1万1,400室しかない。

(中略)

ビッグアーチの収容人数は5万人程度。開会式に必要とされる席数の半分程度だ。安全性を確保しながら、仮設で5万席近くも増やせるのか、疑わしい。

(中略)

ただ五輪は世界トップ級の選手が力や技を競うスポーツ祭典だ。一定レベル以上の施設が求められる。各国からの観客も多い。 もし広島を訪れ、受け入れ態勢にがっかりするようでは、せっかく開催する意義が薄れるのではないか。

16年五輪に立候補した東京都は運営費3,094億円、競技施設の整備など関連経費3,845億円を見込んでいた。

(中略)

基本方針案は、まだ思いつきの域を出ていないようだ。市民が感じている費用面の不安解消には程遠い。「被爆地がやるべきことはほかにある」との声も根強い。


新聞、テレビをはじめ多くのメディアは市長や行政の記者会見の言葉をそのまま受けて報道し、解説や検討はその後の仕事とするのが今日のシステムのようです。

そのシステムを上手く手玉にとって自己PRだけをされているのが「秋葉市長」流ではないかと思いますが、それでも、メディアの中には、先ほどのような懐疑的な姿勢を示されているのです。

まず、多くの市民が納得いく明るい市政を、そして、その市政とは、派手でなくても良い、安全で、暮らしやすい広島市の構築を市民は望まれていると思うのですが、皆さんはいかがお感じでしょうか。