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(No.287)2009年12月11日

『秋葉市長の選挙公約(その3)』

もう一つ、市長の所信表明の中に「オリンピックが過度な商業主義から脱却し」という言葉があります。



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所信表明


オリンピックは地球上の国々が少々不平や不満があっても、平和の恩恵全てを受けられていて、国も民族も宗教も貧富の差も越え、強者にとっても弱者にとっても総て平等なイベントであるから「平和の祭典」と呼ばれているのだと思います。

平和と認識できなくて開催できなかった大会は、戦時下での東京大会(昭和15年)であり、記憶に新しい大会は、日本が参加拒否をしたモスクワ大会ではないでしょうか。世間で、商業主義と揶揄されたのはアメリカでの大会であったと思います。

その当時のアメリカは総ての面で強すぎた時代であり、強い時代のアメリカの象徴であったはずです。それはそれで楽しく、面白く、総てのスポーツが市民の中へ一瞬の内に溶け込んだ大きな転機であったと思います。1984年のロサンゼルス大会当時、秋葉市長はアメリカ在住なのでしょうか。資本主義社会からの発信とすれば、見事な発想だと思います。

ここに当時の書き物があります。『商業化するオリンピック・スポーツ界におけるメディアの影響力』という見出しです。「オリンピックを世界最高レベルのスポーツ・イベントに成長させ、アマチュア・スポーツの祭典であったオリンピックを、実質的にプロとして競技に取り組むアスリートたちの熾烈な戦いの場となり…」とあるのですが、総てのスポーツの活性化と普及に加え、アスリートが世の中で認知され、プロ・アマどちらのスポーツも私たちの生活の中に深く根付いてきたのだと思います。

このロサンゼルス大会が、施設費と大会運営費やその他、諸々の諸経費を運営委員会が全て負担するシステムから脱皮の大会なのです。「現代のオリンピック運営の始まりとも言える。1984年のロサンゼルス・オリンピックは、大会組織委員会が徹底的な商業主義路線の運営を行い、見事黒字化を達成した」とも書かれており、この大会を契機にスポーツがメディアの中での地位を確立したのではないでしょうか。

商業主義スポーツを否定されている市長だから「ワールドカップサッカー」の広島市での開催を希望されなかったのでしょう。市長の選挙公約を丹念に読まれた方のみが、商業主義の代表のようなW杯サッカーは広島市での開催招致に市長は手を上げることはないと確信していたはずです。

広島市長は旧社会党・現在の社民党の代議士だったのです。政策的には、護憲のはずです。日本国憲法の改正は絶対反対だと思います。しかし、オリンピックを公平・公正に開催するための約束ごとである、国家でいえば憲法である『オリンピック憲章』は自分の力と意思で変えられると思っておられるようです。独善的で、戦前のヒットラーでも考えなかったことであろうし、その上、なし得なかった発想です。多分、私たちの発想とも、考え方とも違う別世界の出来事のようです。



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オリンピック憲章


また、所信表明に「本来の『平和の祭典』として再生した暁には」とありますが、先にも述べたように「オリンピックはアマチュア・スポーツ」の祭典でなければとの思いなのでしょうか。そのような大会を企画・運営して成功させるためには、大会運営委員会を受け持つ自治体は大変な経費が必要なはずです。

市長の思いの中では、スポーツは「アマチュア」でなければスポーツではなく、「カープ」も「サンフレッチェ」もプロ・スポーツですから、いつかは否定されるスポーツになるのではないでしょうか。

良識ある皆さん、オリンピック憲章をもう一度読まれて、各々で判断をしてください。

(※追伸(市長発言のぶれ))

市民の皆さん、三点の資料にもう一度よく目を通してください。そうすれば、市長の発言がぶれ過ぎていると感じられます。



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秋葉市長の選挙公報

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所信表明

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オリンピック憲章



本当にパラリンピックやオリンピックを広島市で開催したいと思われるのであれば、今までのスポーツに対する理解のなさを、まず、市民や多くの関係諸団体、議会、あるいはJOCやIOCに対して、大会に関し無知で、世間を騒がせたことを謝罪することが先ではないでしょうか。そうした仕切り直しが必要なのではないでしょうか。

このままの状態であれば、マスコミを巻き込んだ自分自身の自己PRだけでしかなく、さらには、次の選挙を目指した自己主張の場づくりにしか思えません。心から、オリンピックを広島市に招致したいのであれば、心を開いて、一から市民と対話しながら準備をすべきではないでしょうか。

皆さん、どのようにお考えですか。