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(No.286)2009年12月9日

『秋葉市長の選挙公約(その2)』

秋葉市長の公約の中で問題になる四つ目の言葉が「パラリンピックを2020年に誘致」です。この公約も6月15日の市議会本会議で市長の所信表明の中にもあるのですが、私たちの常識の範囲では理解しにくい発言です。



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所信表明


「障害者のスポーツ・文化芸術等による『平和の祭典』についての調査・研究を進め、核兵器廃絶が実現する2020年には、パラリンピックの広島招致を目指します。
オリンピックが過度な商業主義から脱却し、本来の『平和の祭典』として再生した暁には、オリンピックの招致も行いたいと考えています」と述べられています。

書かれた言葉を一つ一つ吟味して読めば広島市が自身で付けている広島市の「格付け」は世界中で最高位であり、広島市の思いはどんなことでも、世の中は開けて通してくれるものであるとの認識のようです。

パラリンピックの原点は、1948年7月28日、ロンドンオリンピックの開会式の日にストーク・マンデビル病院内で16名の車いす患者(英国退役軍人)によるアーチェリー大会を開催、これがパラリンピックの発祥だそうです。以下、財団法人日本障害者スポーツ協会の資料の抜粋を紹介します。

「パラリンピック」はオリンピック開催年にオリンピック開催国で行われる国際ストーク・マンデビル大会の愛称でしたが、東京オリンピック直後に2部制で開催されるようになりました。1部は、ローマ大会に続く国際ストーク・マンデビル大会で、2部は、車いす以外の身体障害者と西ドイツの招待選手による国内大会です。

日本のマスコミが両大会を総称して「パラリンピック」と報道して、日本国内に広まったようです。しかし、その後は、その形式は継承されず、車いす使用者による国際ストーク・マンデビル大会として開催されていました。

「パラリンピック」が正式な名称になったのは、1985年、IOCが、国際調整委員会(ICC)がオリンピック年に開催する国際身体障害者スポーツ大会を「Paralympics(パラリンピックス)」と名乗ることに同意をした時からです。

1988年、ICC主催により「ソウルパラリンピック」が開催され、30カ国から3,200名の選手が出場し、この大会が、オリンピック組織委員会がオリンピックとパラリンピックを連動させたはじめての大会(オリンピックで使用した会場を使用)です。

世界最高峰の障害者スポーツ大会になったのは、2000年の第11回シドニーパラリンピック大会からであり、大会期間中にファン・アントニオ・サマランチIOC会長と、ロバート・D・ステッドワードIPC会長により、両協会の協力関係に関する話し合いが持たれ「オリンピック開催国は、オリンピック終了後、引き続いてパラリンピックを開催しなければならない」との基本的な合意が出来たのです。

この時から、オリンピック開催都市でのパラリンピック開催は正式に義務づけられたのです。

市民の皆さんは市長の公約がいかに理解しがたく、独りよがりの、現実味のない、独善的なものであるか、理解していただけますか。2000年からオリンピックもパラリンピックも一体のものなのです。