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(No.272)2009年7月3日

『原爆の日における言論封殺について』

「凍りついた空気、自由な言論のできない空気があるのではないか」

この言葉は、8月6日に広島市で講演を予定している田母神前航空幕僚長と主催者に対して、秋葉市長が『講演日程の変更を求める要請書』を送ったというニュースを見たある読者が寄せてきた言葉です。

恐らく秋葉市長が独善的になされた行為になす術もなく静観していた広島市の組織を憂慮されたものであり、実に的確に市役所内部の雰囲気を表現した言葉だと思います。

8月6日は、被爆者だけでなく、広島市民、いや世界の人々が原爆の犠牲になられた方々の慰霊を追悼する日です。私も一被爆者として世界恒久平和を願うとともに、平和とは何かを考え、どうすれば平和が訪れるのかという思いを巡らせますが、こうしたことを議論し、訴えていくということは大変大切なことだという思いを強くしております。

私は、田母神氏の主張されていることを全て支持しているわけではありません。しかし、平和を求め、訴えていく中で、現に北朝鮮の核の脅威を無視するわけにはいきませんし、その際、様々な状況を踏まえた議論を交わすことが決して悪いことだとは思っていません。

ましてや、この広島において、平和希求のための議論の機会を失わせ、言論を封殺させようとするのは、決して広島市民が望んでいる姿だとは思いませんし、それを発信しようとした秋葉市長を止めなかった広島市役所の内部は、冒頭の『声』にあるような「凍りついた空気、自由な言論のできない空気」があるのだと思います。

秋葉市長の求める平和へのプロセスのみが、唯一絶対的なものではないことは、これまで北朝鮮の核には寛容だったことからも明らかです。そうした中で、平和への議論、言論を封殺しようとすることが如何に愚かで恐ろしいことか認識されるべきです。

田母神氏の講演を聴けとまでは言いませんが、せめて側近の意見は聴くようにされたらいかがでしょうか。側近の皆さんも言うべきことは言わないと、市長の本会議中の居眠りに誰も注意しないという異常な光景を市民の前にさらすことになります(6月議会のできごと)。皆さんは、どのように思われますか。


※参考 (No.250)2008年10月29日(※11月10日追加1(言論封じではないか))