私の思い まちづくり・経済・交通 総務・人事 議  会 教育・文化
福祉・医療 平和・交流 その他 総合メニュー

(No.240)2008年4月8日


『明日の神話』

壁画「明日の神話」の広島市への設置に関しましては、以前、私のホームページでも取り上げ、世界恒久平和を希求する被爆者や広島市民のために、是非とも実現させるべきであることを申し上げました。

それも、秋葉市長はもっともっと本気になって財団に働き掛ける必要があるということを申し添えていたわけですが((No.232)2008年2月1日「平和の壁と明日の神話」)、結果は、皆さん御存じのとおり、本当に残念でならないものに終わってしまったわけです。

その知らせを聞いた時、「明日の神話」の広島市設置を切望していた者として、また、被爆者の一人として、将来の広島市民に対しても取り返しのつかない結果を招いてしまったことを無念に思ったのですが、それに対し、秋葉市長のコメントは全く味気ないものと言わざるを得ないものでした。

(市長コメント)

市民の思いが通じず、残念に思っています。壁画が渋谷区で大切にされ、岡本太郎氏が原爆の炸裂した瞬間とその惨劇から立ち上がる人間を描くことで作品に込めたメッセージが、多くの人々に伝わるよう願っています。

このコメントは、誘致活動を展開している行政のトップとしてのものではなく、第三者的立場から発せられた言葉としか、私には受け止められませんでした。

さらに、そうした私の思いを反映するような記事が、3月19日の中国新聞に解説として掲載されていたのですが、それに対する秋葉市長の記者会見における発言は、リーダーとしての資質、人間性にも疑問を感じるものだったのです。

以下、少し詳しく述べてみたいと思いますが、まず、その中国新聞の解説の内容を紹介します。「希薄だった市の主体性」という見出しで、次のような内容でした。

広島は「明日の神話」の創作の原点であり、物語性で勝っていた。しかし、選に漏れたのは、行政の主体性が見えず、展示プランの具体性などで水をあけられたからだ。秋葉市長が誘致を明言したのは、大阪府吹田市、渋谷区が既に名乗りを上げた後の昨年11月。広島の動きがもっと早ければ具体的な展示プランも示せただろう。しかし、市の主体性は最後まで希薄だった。

一方、市民の誘致運動は、被爆地、広島の未来を切りひらくシンボルとして壁画を迎えたいと多くの若者を巻き込み、署名やイベントを繰り広げた。誇るべき成果だと思う。誘致は成功しなかったが・・・今回の成果を引き継ぎ、反省を生かさなければならない。

私には、全く的を射たものと思うのですが、この記事に対して、記者会見で秋葉市長は、次のように述べています。

中国新聞の今日の解説の中でたいへん不正確なところがあります。事実はきちんと押さえて、事実は事実としてきちんと正確に書いていただきたい。それを曲げてあえて批判のための批判をしても何にもなりません。我々は市民、それから経済界と一体になってきちんとしたことをやっています。・・・要するに忖度の上に忖度を重ねて、誰かやっつけたいやつをやっつけるという話になってしまいます。ここにいらっしゃる皆さんはイエロージャーナリズムとは関係ない皆さんだと思いますから、やはり事実に則った、事実にきちんと両足を置いた報道なり分析を是非していただきたいと思います。

この前置きがあった後、次のような発言をされています。

少なくともこの決定をみると、市の関わりがどうだったかということで渋谷に行ったとはとても考えられません。・・・市の主体性云々の問題とはまったく違う次元で決定が行われていると私には思えます。それとも市の主体性がなかったから広島に決まらなかったということを財団の方からお聞きになっているのでしょうか。

いわば開き直りともとれるような発言ですが、さらに次のように続けられています。

先程申し上げたように忖度をした上で議論をしても全く無意味だと思いますから、それはやめましょう。そうではなくて、本当に具体的に「明日の神話」という多くの市民が愛している壁画が残念ながら広島に来なくなったけれども、渋谷に行ったからといってこの世が終わるわけではありません。

これから、そういう現実が今あるときに、広島のメッセージ、広島のより大きい課題を更に進めるために渋谷という設置場所をどう生かしていくのか、・・・「明日の神話」の誘致運動のエネルギーと善意をどのようにこれから継続させて、それを更に大きなものにして広島の活性化のために使っていくのか、というところが課題だと私は思っています・・・。

こうした市長の一連の発言を見ますと、いつもの秋葉市長のスタイル、つまり、都合が悪いことに対しては高圧的な姿勢をとりながら、責任回避をするとともに、問題をすり替えてしまう、そういう態度が鮮明に現れているのではないでしょうか。

昨年11月、「壁画『明日の神話』の広島市への設置」に関して、秋葉市長が(財)岡本太郎記念現代芸術振興財団に提出した要請文を改めて紹介します。

















この要請文を見られて、皆さんはどのようにお感じになりますか。私には、「行政として是非とも広島市に誘致する」という強い意思は微塵も感じられないのです。

設置概要書にもありますように、「施設の具体的な設置計画や維持管理方法等については、今後協議させていただきたい」ということは、まだ、何も決まっていないし、広島に決定すれば、その時になって本格的に検討しようというスタンスです。

誘致に当たっては、具体的な設置施設やスケジュール、維持管理方法といった受入態勢の整備は重要な前提条件であったはずですし、また、そうしたことを検討する時間も十分あったのではないでしょうか。

さらに、市が設置場所として提案した現在のハノーバー庭園は、多くの市民が訪れるような歩行者動線にはなっておらず、多くの方に見てもらうことのできる場所ではないのは誰もが分かっている場所です。

このような御座なりとしか思えないような要請しか行っていないにもかかわらず、市民、経済界と一体となって、きちんとした対応をしていると公言してはばからない秋葉市長の政治家としての人間性に疑問を呈さずにはいられないのです。

秋葉市長は、就任以来、核廃絶、世界恒久平和の実現の名の下に、平和市長会議の加盟都市数の増、「平和の壁」の設置、全米における原爆展の開催、折り鶴の永久保存に向けた取組など、対外的にアピールする施策を次々と打ち出されていますし、そうした取組には、ある種、執着とか強引さを感じるわけです。

何がそうさせているのかは別としまして、もし、多くの被爆者、市民が望んでいる「明日の神話」の設置に関して、秋葉市長がリーダーシップを発揮して、広島市が本気になって取り組んでいましたら、その結果は大きく異なっていたのではないかと思うのです。

それだけリーダーとしての責務というのは重いものであり、その結果に対する責任は明確にすべきではないかと考えますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。




(※4月10日追加(イエロー・ジャーナリズムとは))

市長が記者会見で使われた「イエロー・ジャーナリズム」という言葉、大変分かりにくい言葉だと思いましたので、インターネットで調べてみましたところ、次のような意味を持っているようです。

イエロー・ジャーナリズム  〜出典:フリー百科事典『ウィキペディア』〜

イエロー・ジャーナリズムとは、「事実報道」よりも“扇情的である事”を売り物とする形態のジャーナリズムのこと。

ジョーゼフ・ピューリツァー発行の『ニューヨーク・ワールド』紙、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの『ニューヨーク・ジャーナル・アメリカン』両紙に掲載されたコマ漫画のキャラクター、イエロー・キッドに由来する。共に「黄色新聞(イエロー・ペーパー)」として知られた。

これは、多彩な形容詞と誇張の使用や、迅速さを優先して事実検証不足のニュース速報あるいは全出来事の慎重な偽造によって作り出された物語などのような形式をとる場合がある。

黄色新聞に扇情的に扱われた人間の興味話は、特にアメリカ合衆国で、19世紀を通じて発行部数と読者数を極度に増加させた。

また、「イエロー」という言葉には、「読者の感情・興味をあおるような」とか「俗受けをねらう」という意味もあるようです。

そういうことからしますと、秋葉市長も「多彩な形容詞」と「誇張の使用」、さらに「俗受け」をねらわれていますと、今後は「イエロー・メイヤー」と呼ばれることになることも考えられますので、そのようなことにならないよう、誠心誠意、広島発展のため、市政運営に精励していただきたいと思いますが、皆さんは、どのようにお感じになるでしょうか。