.












私の思い まちづくり・経済・交通 総務・人事 議  会 教育・文化
福祉・医療 平和・交流 その他 総合メニュー

(No.235)2008年3月12日

『NHK「ワシントンでの原爆展」のレポートで感じること』

3月4日のNHK『お好みワイドひろしま』で、18時10分頃から「全米原爆展 訴えは届くか」と題する現地リポートが放映されました。これは、アメリカ全土での開催を目指して、平成19年9月から始まった全米原爆展のうち、今月3日から開催されている首都ワシントンでの状況について、現地から報告されたものでした。今回は、その報告の内容と合わせて、被爆者の一人として、私の思いを述べてみたいと思います。

現地報告に先立って、NHK広島放送局の前原アナウンサーが「アメリカの政治の中心で世界の核政策にも大きな影響力を持つワシントンで、核兵器廃絶の訴えがどこまで広がっているのか、現地から飯沼記者の報告です」という内容の紹介をされた後、現地ワシントンの報告は、NHKの飯沼記者の「今月3日(2008年3月3日)、アメリカの首都ワシントンで全米原爆展が始まりました。・・・核兵器の廃絶に向けた訴えを広めるのがねらいです。アメリカ全土、101都市での開催を目指しています。全米原爆展を主催するのは、スティーブン・リーパーさんです。原爆資料館を運営する広島平和文化センターの理事長にアメリカ人として初めて就任しました。アメリカの政治の中心、首都ワシントンでの開催を核兵器廃絶の訴えを広める足掛かりにしたいと考えています」という言葉から始まりました。

その後、リーパー理事長の談話になりましたが、この発言が平和文化センター理事長としての公の発言ということであれば、私たち被爆者にとっては、大変「残念」かつ「悲しい」ものと言わざるを得ないものでした。

そのリーパー理事長の発言は次のようなものです。

うまくいけばたくさんの人がこういうことについてですね、思ってくれるわけですね。思ってくれることによって、例えば、大統領選挙で、討論があるでしょ。その討論のときに、ディベートのときに、そういう質問が出るわけですね。

そして、これを受け、記者の方は、「リーパーさんの役割は、核廃絶に向けた広島とアメリカの橋渡しです」と続けられました。しかし、果たして、この記者の言葉どおり、本当に「核廃絶に向けた橋渡し」になっているのでしょうか。リーパー理事長は、運がよければアメリカ大統領選挙の争点になればとか、核廃絶をアメリカ流のディベートの世界の中で解決できるようなものと言われているのです。

そもそも、平和というものは、議論や討論で、理屈で相手を言い負かせることによって得ることができるものでは到底ありません。人の情や想い、広い心を捉えて初めて到達することが可能になるものであり、「広島発の平和論」として世界で認められるのではないかと思います。私たち被爆者には、こうしたアメリカ人の発想は到底理解できません。

現地報告は続きます。

《原爆展の会場内の人の談話》

「何らかの形で協力できると思う。平和の実現に向けて。」

《記者のコメント》

「しかし、リーパーさんの思いは会場の外にはなかなか伝わりません。市民の多くは核兵器の廃絶に懐疑的です。」

《市民の談話》

「核兵器廃絶といっても攻撃されたとき守るものがないのだからためらう。」

この市民の談話が、核兵器に対するアメリカ社会、市民の基本的なスタンスを象徴しているように思います。

更に現地報告は続き、話題は平和市長会議への加盟問題に展開していくのでした。

《記者のコメント》

「ワシントンを訪れたリーパーさんに予想外のことが起きました。」


〜リーパー理事長と原爆展の主催者の会話〜

《リーパー理事長》

「市長(ワシントン市長)は平和市長会議に加盟する意思はあるのか。」

《原爆展の主催者》

「わからない、まだ働きかけている。」

《記者のコメント》

「広島や長崎が中心となって、世界の都市に核廃絶に向けた連帯を呼びかける平和市長会議。原爆展の開催に合わせてリーパーさんが働きかけていたワシントンの加盟が実現しなかったのです。リーパーさんは政治や経済から様々な圧力もかかったためではないかと考えています。」

《リーバー理事長の談話》

「この首都の主張には、政府からの圧力が強いんではないかなと思います。経済的な力もあるかもしれません。国の政府が都市に対する、直接経済的な影響があるかもしれません。」

公費を使っての、それも理事長以下の職員を派遣しての『広島原爆展』の開催です。この原爆展の意義は、被爆の実相と悲惨さ、そして、人類は二度と核兵器を使用しないでほしいという広島市民の切なる願いを多くの世界の国々、人々に伝え、共感を得ることと思われますが、それを先ほどの市民の談話に象徴されるように、その理解を得ることもせず、ただ単に原爆展の回数や平和市長会議への加盟を重要視する姿勢は理解できません。

また、ワシントンの平和市長会議への加盟見送りを、政治や経済から様々な圧力もかかったためではないかと考えているというリーパー理事長の発言も、 公職に就かれている者の発言としては、良識を欠いていると言わざるを得ないと思います。

そして、飯沼記者が「核兵器廃絶の訴えがアメリカでどこまで広がるのか、リーパーさんの挑戦が続きます」と取材をまとめられた後、前原アナウンサーが「全米原爆展はこれまで14の州の24都市で開催されました。リーパーさんたちは今年末までにアメリカ全土、101都市での開催を達成することを目指しています」と締めて、現地報告が終わるわけですが、この現地報告を見て、果たして、この原爆展の目的は何なのか。改めて考えさせられました。

「全米101都市で原爆展を開催」することだけが目的であると思えて仕方ないのです。今の秋葉市長の平和施策は、被爆者が望む被爆者対策や被爆者援護の推進、その延長線上にある核兵器使用反対や人類究極の目標である戦争のない平和な世界の構築ではなく、原爆展の回数をこなし、それを対外的にアピールすることだけではないでしょうか。

秋葉市長にとっては、原爆展を行った「数」と平和市長会議への加入都市の「数」だけが誇りであり、そして、その「数」をアピールすることによって、秋葉市長とその周辺の人々が最も望んでいる「ノーベル平和賞候補」になるための平和推進活動になっているのではないでしょうか。

私のホームページ(2月29日:No.234『原爆展開催とノーベル平和賞について』)で紹介しましたが、全米での原爆展の開催により、今年度末までで、リーパー理事長は2か月半も広島不在で、これまで確定した経費も500万円余となっています。今後も、同じくらいの経費は必要になるのではないかと推測されますし、広島平和文化センターでは長期間にわたって理事長不在の状態が続くのです。

平和文化センターの経費も広島市民の税金が充てられています。財政が厳しい折、無駄の多い支出は控えるべきではないでしょうか。また、数学者の発想のような「数」だけを頼りに何がなんでも秋葉市長をノーベル平和賞候補にしようとするような行政ではあってはならないと思いますが、市民の皆さんはどのように感じられますか。