.












私の思い まちづくり・経済・交通 総務・人事 議  会 教育・文化
福祉・医療 平和・交流 その他 総合メニュー

(No.230)2008年1月10日

『広島市の財政事情(その2)』

今、地方財政の再建に向けた議論がいろいろ行われています。しかし、こうした状況というのは今回が初めてということではなく、前回紹介しましたように、昭和27〜28年当時もあったことなのです。しかも、面白いことに基本的な論点は当時と同質のものなのです。

そこで、今回も、その当時の様子をより一層皆さんに知っていただくために、前回に続いて、『広島新史(財政編)』の『第W章 財政赤字と自主再建 第2節 財政再建問題』から抜粋して紹介させていただきます。

まず、当時の財政再建論争についてです。

―財政再建論争―

地方財政の危機の原因や地方財政の再建をめぐって厳しい論争が展開される。主な論戦は国側と地方団体との間で行われる。国側は、地方財政の赤字の原因を地方自治体の側での放漫な運営にあるとみる。つまり、高すぎる給与、多すぎる職員、職員構成の高齢化などをあげ、財政赤字の解消は地方の側での人員整理など経費の削減や地方税の増税などによるべきであるとする。


それに対して、地方団体の側からは、地方財政の赤字は戦後の地方財政の需要の増大にみあうだけの財源が充分国によって保障されていないことにある。つまり構造的要因にもとづくものであるとの反論がなされ、したがって地方財政の赤字解消の方策としては国の側からの地方団体への大幅な財源借置が必要であると主張されたのである。

地方財政の赤字の原因に関しては、次のように分析されています。

―赤字の原因―

地方財政赤字の真の原因は、地方における必要な行政水準、たとえば教育、社会保障、道路改修、保健衛生等の維持と地方レベルの財政力との格差にあるといってよいであろう。地方の歳入の構造がこれらの財政需要に対応しきれなくなったのである。つまり、地方税収の地位は落ち込み、地方交付税制度によって地方への交付金が国税の一定率の枠内に押さえ込まれるようになってしまう。


また、地方歳入の中での国庫補助金の比重が拡大しつつあったが、その際に給与単価、事業費単価がひく過ぎていたり、交付時期の遅れがみられたりするケースが多かった。さらに、地方債への依存度も相当高かったので、次第に公債費が地方財政を圧迫するようにもなっていたのである。


また、地方財政の窮状に対する国の措置については、次のように言及されています。

地方の側から要求されていた、行政事務の負担区分の明確化、国税の地方税移譲、交付税制度の修正、補助金単価の是正、地方債の国への肩代わり等々によって国と地方の双方を通じた財政改革は、結局、完全に見送られてしまったのである。

このように、今日の財政問題に関する国と地方の関係と少しも変わっていないのがお分かりになると思います。

さて、そうした中での広島市の状況に関しては、次のように記述されています。

―市財政赤字の累積―

広島市における昭和20年代後半から30年代初頭にいたる財政的状態も危機的様相を呈していたことはいうまでもない。戦災によるじん大な災害の復旧はこの時期にも終わることなく、諸問題の解決のためにぼう大な財政需要をかかえ、財政事情は極めて厳しいものがあった。


とくに、平和都市建設事業の推進、道路・橋梁・下水道等の維持補強、学校住宅建設の促進、さらには産業振興、中小企業に対する融資等に多額の経費を必要としていたのである。


しかし限られた地方歳入によっては、どのように努力しても、これらの財政需要をカバーすることはできず、昭和27年度までにすでに3億円を超える実質的赤字が存在していたのである。

こうした事態に対して、広島市は独自に再建計画を立て、赤字の解消に努めていくわけですが、その間の取組については、昭和31年に、市議会に提案されました「財政再建計画書」(昭和31年度〜35年度までの5箇年計画)の中で、次のように総括されています。

広島平和記念都市建設法に基いて原爆被災の復興と建設の事業に着手してからは、財政規模が逐年膨張し、赤字もまた累増し、昭和27年度決算(歳入決算額21億3800万円)においては、3億2000万円余の実質赤字となり財政の危機を招来した。


ここにおいて昭和28年度以降において健全財政の保持と財政再建の方途を定め、歳出の抑制及び節減並びに歳入の増収及び確保を積極的に打出すこととし、機構その他の改善、職員の適正配置、事務処理の能率化等に併せて計画的に且つ、状況に即した予算の配分を行うため、予算訓令(配分)に加えて収入の状況に応じて予算執行を規正するため資金訓令(配分)制度を採用し、効果を挙げて現在に至った。

そして、計画期間中の具体的な措置として、次の事項が掲げられています。

―人件費の抑制及び節減に関する事項―

イ 職員は大幅に減員すること

ロ 昇給は昭和32年度以降は原則として見込まないこと

ハ 超過勤務手当は抑制すること

ニ 宿日直手当は減額すること

ホ 議員定数は、法定数44人を40人に減じている


―投資的経費の抑制及び節減に関する事項―

(補助事業)

イ 戦災復興事業、住宅建設その他継続的に実施中の事業の遂行に重点を置き、その他の新規事業は、原則として他の既定事業の完成又は縮少により生ずる余裕財源の範囲内において実施するものとする。

ロ 災害復旧事業については、新規発生の場合は、原則として他の事業の縮少又は増収により生ずる余裕財源の範囲内において実施するものとする。

ハ 失業対策事業は、昭和31年度当初認証人員二千五百人を踏しゅうし、増加を見込まないものとする。


(単独事業)

単独事業は、眞に緊急必要な事業のみを施行することとする。

さらに、歳入面については、「歳入の増収及び確保に関する事項」として、まず、税については、昭和31年度以降都市計画税を新税として創設する外、課税標準の補そく、徴収歩合の引上げ、滞納整理につとめるとともに、税外収入に関しては、使用料、手数料、滞納整理について言及されているのです。

『広島新史』では、その時の状況を「以上のように、この時の財政再建はきわめて厳しい内容を伴っていたことが想像されるのである」と結び、こうした取組の結果を次のように総括されています。

広島市は、財政再建法の適用の道を忌避して、自主財政再建の5か年計画を策定する。(中略)その後、昭和31年度の決算の結果および新規財政需要等を勘案して、この5か年計画は変更される。すなわち、2か年短縮し昭和33年度で赤字を解消する自主再建3か年計画案が樹立され、市議会の議決を経て昭和33年2月17日に自治庁の確認を得ている。

(中略)昭和32年度においては逆転1億1,700万円の財政黒字に転じた。既往の財政赤字を解消した上に黒字をだすことが可能となったのは、市税の増収、人件費等の節減によるものである。

昭和20年代後半から30年代初頭にかけて、広島市にとって財政的に一番苦しかった時代、それも現在のように社会的にも安定していなかった時代でも、広島市は秋葉市長の言う「夕張化」の状態にはなっていません。それは、当時の職員をはじめ全ての人々が知恵を出し合い、その苦境を乗り越えたからなのです。

当時の人たちも確かに優秀だったとは思います。しかし、現在の広島市職員は、そうした歴史的教訓を踏まえ、もっと進化した能力を持つ優秀な方々であるはずです。

秋葉市長は、前回の市長選で、「広島市を夕張化から救った財政再建」を声高に言われていましたが、確かに投資的経費を中心に歳出を極端に抑えプライマリーバランスを黒字化したのは秋葉市長の独断専行の成果ですが、これはあくまで一時的なつじつま合わせに過ぎません。

過去と現在を照らし合わせて見た場合、次のことは言えないでしょうか。つまり、当時の財政再建を成し遂げた大きな要因の一つが市税の増収ですが、これを現在に置き換えますと、市税増収のために最も重要な視点は、都市の活性化ということになると思うのです。

要は、広島市の収入になる固定資産税、都市計画税が確実に増収されるような行政施策が必要であり、その財政の投資と抑制のバランスをとりながら都市を経営していくことが、今、為政者に求められる最も重要な能力ではないでしょうか。

確かに、プライマリーバランスも膨大な赤字にすれば、財政破綻を起こす原因にはなりますが、それを金科玉条のごとく、硬直的に捉えることは、広島市全体の発展を考えた場合、思ったほどの効果は得られず、真の意味での健全化にはならないと思うのです。

職員の皆さんも、市民の皆さんも、あの戦後復興という厳しい時代を勝ち抜いた広島市民の心と思いを今年こそ活かしてほしいのです。また、私も微力ではありますが、そうした先人たちの心と思いを大切にし、より多くの市民にとってより良い市政となるよう、努力していきたいと思っております。