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(No.211) 平成19年6月28日

『新球場建設に係る官製談合の疑惑(その3)』

今回は、新球場建設に係るブログの紹介をします。何故、このようなブログが存在するのか、市民の皆さんにも考えていただきたいと思います。

フィールドノート
インダストリーアンドアソシエーションニュース

平和のシンボル

NBBJの仲間(合同チーム)が日本にある広島東洋カープの3億ドルの新球場建設に関連し、設計作品を公開する。
建築家ダン・ミースの目的は、1945年8月6日に原子爆弾によって廃墟と化したまちに平和の象徴となる場所を創ることである。
ダン・ミースと広島市長秋葉忠利氏は、球場の建築予定地を視察したが、そこは皮肉にも犠牲者の記念碑から1マイルも離れていない所であった。
ダン・ミースはさらに、この視察をした日はパールハーバーの記念日に当たり、その神秘的な象徴性が高まったと述べた。

ダン・ミース氏、ナデル設計に代表取締役として参加する

2005年5月5日

ビルディングデザイン アンド コンストラクション ロサンゼルス ダン・ミース氏(アメリカ建築家協会、世界的に有名な建築家、ロサンゼルスのステイプルセンターなどの大規模な都市・商業開発の受賞作のデザインでも認められている)が、ナデル設計に代表取締役として参加したと、創立者ハーブ・ナデル氏が公表した。

ミース氏のそのロサンゼルスに拠点を置く大規模な設計会社での地位は、ナデル設計とミース氏のデザインスタジオとの間の一年にもおよぶ関係から生まれた。2004年、両者はいくつかのプロジェクトで協力した。

「すばらしい歴史、マイク・ウォールデンやジャック・ボウブリといったデザインディレクターが率いる優秀なデザインスタッフ、多様な顧客とプロジェクトを抱えた会社の指導的な地位を、ハーブ氏は私に申し出た。そのような優秀な二人の建築家が進めてきたものに関わる機会を得て、震えをおぼえた」とミース氏は言う。

「われわれの力をより強固なものし、ナデル設計が次のステップに進む方法をずっと探してきた。ダンと一緒に仕事をして、彼がその答えだということが分かるのに時間はかからなかった。彼はこの国で最も革新的で才能のあるデザイナーの一人である。すぐにわれわれを次のデザインへと導いてくれる」とナデル氏は付け加える。ナデル氏は、CEOとして仕事を続け、ミース氏とともにナデル設計の戦略的地位、デザインの指揮をしていく。

ミース氏はシカゴのマーフィー/ジャンのオフィスで働き始めた。ヘルムート・ジャン氏に世話になりながら、ミース氏はシカゴ、ニューヨーク、ドイツ・フランクフルト、南アフリカ・ダーバンの賞を受けたオフィスタワーに関わる仕事をした。その後、エラブ・ベケットで仕事を続け、1994年、さいたまスーパーアリーナの7億5千万ドルの国際コンペに勝ち、注目を集めた。1995年、デザインパトナーとしてNBBJのロサンゼルス事務所に参加し、そこでスポーツ施設、娯楽施設、コンベンション施設などでいくつかの賞を得た。彼がデザインしたオハイオ州シンシナティのポールブラウンスタジアムはNFLのスタジアムで初めてアメリカ建築家協会の賞を受けた。タイム誌のスポーツ界トップ100に名を連ね、彼のデザインもまた認められビジネスウィークアーキテクチュラル賞という一流の賞を二度受賞した。

ミース氏はイリノイ大学で建築の学位をとった。アメリカ建築家協会のロサンゼルス支部の会員で、最近A+Dミュージアムで注目され、ロサンゼルスで最も影響力のある建築家34人として認められている。

ナデル設計ロサンゼルス本社では、建築デザイン、マスタープラン、実行可能性の研究から内装デザインまで広範囲のサービスを提供している。1973年の設立以来、アメリカ国内で最もユニークで成功を収めた実績をつくり、200人をこえる専門のスタッフをかかえる会社に成長した。ナデル社は、ロサンゼルス、オレンジカウンティ、サクラメント、サンディエゴ、オンタリオ、ラスベガスに事務所をかまえている。

小さなビジネスが、メジャーリーグに進出する ナデル設計が新しい取締役を迎え、いくつか契約をとる

2007年4月11日

つい最近まで、ナデル設計は、目立ってはいたものの平凡なオフィスビルでのことだったが、それはもう違う。 昨年の冬、ナデル社は輝かしい未来を約束する二つの契約をとった。それは、1億ドル、曲線でデザインされた広島の3万席の野球場(写真)と900万ドル、ロサンゼルスのラブレラ公園の近くの現代的な集合住宅である。

その変化はダン・ミース氏(45)によるもので、彼は2005年に代表取締役に指名された。

創立者であるハーブ・ナデル氏がより高いマージンを得られる顧客を開拓することを考えて、ロサンゼルスのステープルセンターや他の高級な地域でのデザインで知られるミース氏を誘った。

ほとんどのナデル社の契約は建設費の3%程度をペイするものだが、よりデザイン性の高いものは10%ものペイをする。

広島の球場とラブレラでのプロジェクトの起工式は今年予定されているが、ミース氏は「それらは始まりにすぎない、我々はようやく芽が出始めたところだ」と言う。

ナデル設計、上級職員に新たな役目を知らせる

ロサンゼルス、2007年4月30日

  ナデル設計(アメリカで最も大きな設計事務所の一つ)が今日、ダン・ミース氏がナデル社での現在のポストから顧問コンサルタントとして移ることを公表した。それは国内で最も大きな不動産コンサルティングの会社であるRCLCoとの好機を生かすためである。

ミース氏はナデルに対し、進行中の特別なプロジェクトについて相談にのり、密接な関係を維持、継続していく。この関係はナデル設計がRCLCoとの戦略的な提携を築いていくのに有効であり、ミース氏は巨大なスポーツ、エンターテイメント、複合用途の開発業者に対して助言する。 「この異動はほろ苦いものだが、我々はこのことがもたらす新しいビジネスの機会にわくわくしてる」とナデル設計のチェアマン・CEOのハーブ・ナデル氏は述べた。両社はこのことがよりビジネスが発展していく機会をもたらすものと認めている。

「ナデル設計は国際的にも、国内、地域でもこの業界でとても存在感を保ってきた。才能にあふれたパートナーが沢山いて、そのパートナーの多くは、企業家精神や先進的なデザインを誇りにしていて、顧客のビジネスの目的を追求することに集中している。我々の指導によるこのビジネス志向の態度が、世界クラスのデザイン能力とともに、多くの高い素質を持つ顧客をひきつけてきた」とナデル氏は述べた。

「我々はダンがうまくやってくれることを望んでいるし、同時に今後一緒に仕事をする機会を楽しみにしている。我々は小売業、オフィス、ホテル、集合住宅、公共施設、複合用途施設、内装など様々な部門を抱える設計会社である。34年の歴史の中で、世界中で2000以上のプロジェクトを成功させてきており、業界でのリーダーとしての評価を得ている」

会社のより詳しい情報は、ホームページをご覧ください。 http://www.nadelarc.com

ナデル設計ロサンゼルス本社では、建築デザイン、マスタープラン、実行可能性の研究から内装デザインまで広範囲のサービスを提供している。1973年の設立以来、アメリカ国内で最もユニークで成功を収めた実績をつくり、200人をこえる専門のスタッフをかかえる会社に成長した。ナデル社は、ロサンゼルス、オレンジカウンティ、サクラメント、サンディエゴ、オンタリオ、ラスベガスに事務所をかまえている。

今回、新球場建設コンペで優秀作品として決定された『環境デザイン研究所』のホームページ(平成19年6月20日)には、平成18年度の「受注紹介」の項に広島の新球場建設コンペで最優秀作品として決定された作品は掲載されていないのです。何故でしょうか。このことはダン・ミンス氏の存在があるからではないでしょうか。

広島市の新球場建設に関する助言者、協力者には、ダニエル・ミンス氏という人物がいると公式に言われています。類似した二つの名前があるわけですが、ダン・ミンス氏とダニエル・ミンス氏は同一人物なのでしょうか。インターネットでいくら検索してもダニエル・ミンス氏は出てこないのです。

ダン・ミンス氏は資格も経験もある方ですが、ダニエル・ミンス氏が別人であるとすれば、資格も実績も作品をも手がけたことのない無資格者を広島市は協力者として依頼されたのでしょうか。

もし、同一人物であるならば、この度のコンペもその前のコンペも全て、2001年5月の作品ありきのコンペだったのではないでしょうか。何のためなのか、時間稼ぎのコンペであったのでしょうか。

もし、同一人物であると仮定すると、行政主導の官製談合であり、行政の「公平さ」や「透明さ」は何もなくなり、市長の「自我」と「思い込み」のまま結論と結果(成果)へ向け、行政職員に強引な利益誘導をさせたことにはならないでしょうか。

日建設計が出した「現球場の建替えはできない」との結論も、2001年5月12日に新球場設計でNBBJの日本の協力会社として日建設計が指名されている事実からも、新球場建設事業の全ては、ほんの一握りの広島市行政職員の手のひらでの結論であり、市民を欺くために数々の作為があったように思われます。

ダン・ミンス氏も、平成12年12月から平成13年5月にかけて短期間に4度も来広されており、その当時には、設計、デザインの提案書と、新球場の模型もあったはずです。

これらの資料も模型も、現在は広島市には一切存在していないことになっていますが、平成13年1月22日の朝に、この全ての作品を目にした職員は(退職者は除いて)現在も数人いるはずですし、記憶しているはずです。

その当時のデザインは民有地買収を予定しており、貨物ヤード跡地の官有地だけの敷地形態で施行するとの状況変化に伴い、球場全体を90度右へ回転させ、土地の不足を補うアイデアとして、新幹線側を少しオープンにし、スタンドを削り取ることで新幹線から見える球場として、さも発想の転換で美しくほかに例を見ない球場として理由付けしてありますが、形態は2001年5月の案から何の変化もないのです。

2001年当時の高村局長は「なんとか随契でもしてこの作品を建設したい」との意気込みであったように聞いておりました。

色々と述べましたが、「何かが変だな」と感じられませんか。まさに「今」流行の官の横暴か官製談合ではないでしょうか。良識のある方々にお聞きしているところですが、このことは重大な犯罪になりかねないのです。市民の皆さんはどのようにお感じですか。

追伸(気になること)

市長は、新球場建設について「事情が許せば簡易屋根かけにしたい」と発言されています。しかし、これはダン・ミンス氏とNBBJの作品集の広島市の新球場建設コンペの説明の最下段にある「鯉の廻舞」と「日本のきもの」の写真と「和傘」の写真をもとに発言されているのです。和服の布を素材として傘の構造を応用すれば開閉式の簡易屋根が何とか出来るとの発想であり、2001年からの発想と基本は、変化していないのです。

もう一つ、気になることがあります。それは、Dan Meis氏がNBBJからNADELに移籍され、そこから不動産コンサルティングの会社であるTHE RCLCo TEAMの顧問コンサルタントになられていますが、NADELのホームページのManaging Directorsの紹介ページにDan Meisの名前が2007年5月上旬まではあったはずですが、2007年6月中旬にはその名前はなくなっていることです。

広島市の新球場建設のための協力者として正式に就任されているのであれば、具体的に何をどのように協力してもらうのか、また、その代償はいかほどなのか、環境デザイン研究所との関係はどうなっているのか、ひとつひとつ、広島市民に理解できるように公式に説明してほしいのです。

次回もNADELのホームページで、何故、私たち市民にとっては理解がしにくいものが表示されているのかを紹介いたします。