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(No.204) 平成19年2月14日

『新球場建設について(Part8)〜基本設計公表など〜』

2月9日に、新球場の基本設計が公表されました。テレビ、新聞等の報道を見ると、「コイをイメージしていた屋根の一部」は周辺整備に当たるとして本体部分の設計から外しているようです。その他にも、左翼席を200席増やすなど原案を修正して、建設費は87億円とされていました。

「いよいよ新球場誕生か」と気持ちが高揚される方もいらっしゃると思いますが、そもそもコンペとは何だったのか、ということになりはしないでしょうか。環境デザイン鰍ヘ、「コイをイメージした屋根」をシンボルとしてコンセプトをつくり、そのコンセプトに基づく新球場の設計コンペに当選したものと市民の皆さんは思っているのではないでしょうか。

私は、これまでそのコンセプト自体が盗作もどきで、そもそもコンペに出品できる資格・要件を備えていないと述べてきましたが、もはや、その必要性もなくなっているようです。ただ単に、市長選前の市長職である時に、インパクトのある新球場のイメージを、低価格の建設費をセットとして、メディアを通して皆さんに示したかっただけです

ただ、地元の中国新聞でさえ地方版のみの掲載であり、前社長時代であれば、当然一面が大きなカラー写真により占められ、記事とコメントの横にある秋葉市長の顔写真がその存在感を際立たせていたのでしょうが、もはや両者とも市民に対する影響力は少なくなっているのではないでしょうか。

因みに、ダン・ミース氏がコンセプトづくりの経緯を自ら披露されていますので、その記事の一部を紹介します。

英文1

<和訳>
ダン・ミース 8,000万ドルの野球場デザインコンペに勝つ

   ダン・ミース率いるナデル設計チームは、東京の環境デザイン研究所と合同で、広島の野球場の8,000万ドルの国際デザインコンペに勝った。
   広島カープの新しい本拠地になる3万5,000席の球場に対する発注者の条件は、球場が広島の重要な過去について表現するだけでなく、日本の活気のある都市の中の一つである広島の未来に新たなアイコンを与えることであった。
   広島は、この新しいスタジアムが平和の象徴となり、第二次大戦を経験していない世代の人たちも引きつけるようにという要望を示した。ミースは平和について直接的に表現することを避けようと努めて、一枚の色彩豊かな絵画から発想を得た。その絵画は、1950年築の広島カープの現ホームスタジアムの暗いコンコースに掛けられた鯉の池を描いたものだった。その絵画は自然界だけにある豊かな色調と流れるような形を描写しており、灰色の残骸だけをもたらした原爆投下後の広島のイメージとは対照的なものだった。荒れた土地に活気に満ちた新しい命が生まれるように、この絵画は、後に当選する球場デザインコンペの設計の形をもたらした。その波打つデザインが球場のシート部分をすっぽり収まるよう曲線に形づけており、そのショップや賑わい施設も収容している。
   このプロジェクトは2007年の初夏に着工するだろう。

それから、ダン・ミース氏の新しい会社「Nadel」の設立と日本国での建設業の登録が出来ていれば、前回の事業コンペは、日本企業ではなくこの「Nadel」を参加させたかったというのが建設会社の思惑ではなかったのでしょうか。企業内部からも、アメリカ企業を参加させたいのだが、手続き上、間に合わないとの話を聞いた覚えがあります。

世の中で歓迎されない不祥事が多発して、今回のデザインありきの設計コンペに変更しなければならない状況に追い込まれましたが、為政者の思いはどうしても、当初からの企業とデザインが脳裏に残っており、設計コンペの諸規定、諸条件は全て、「Nadel」ありきの仕様になっているのではないでしょうか。

いずれにしろ、環境デザイン研究所鰍フ仕事ぶりを、市民にわかりやすく情報開示されるべきではないでしょうか。そうしない限り、これこそ官製談合以上の悪質な利益誘導になるのではないでしょうか。

もうひとつ、「NBBJ」のブログがみつかりましたので、その一部を紹介します。

英文2

<和訳>
平和のシンボル

   NBBJの仲間(合同チーム)が日本にある広島東洋カープの3億ドルの新球場建設に関連し、設計作品を公開する。
   建築家ダン・ミースの目的は、1945年8月6日に原子爆弾によって廃墟と化したまちに平和の象徴となる場所を創ることである。
   ダン・ミースと広島市長秋葉忠利氏は、球場の建築予定地を視察しましたが、そこは皮肉にも犠牲者の記念碑から1マイルも離れていない所です。
   ダン・ミースはさらに、この視察をした日はパールハーバーの記念日に当たり、その神秘的な象徴性が高まったと述べています。
 

平成12年からの市長の思いが続いているひとつの証拠ではないでしょうか。市民の夢です。一点の曇りのない行政運営をしてほしいものです。