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(No.201) 平成19年1月15日

『市長の市民に対する姿勢』

「『予特』で市長は68時間拘束されます 〜他都市は平均8時間以下です〜」
これは、本日1月15日号の「ひろしま市民と市政」に掲載されている「市長日記」のタイトルです。『予特』とは2月定例市議会に設置される予算特別委員会のことですが、議会にとって、そして市民の皆様方にとって、とても看過できないことが書いてあります。

市長日記

「市長日記」にこのタイトルで書かれることは少し前から知っていましたが、実際の文面を見て驚愕、唖然としました。タイトルだけ分かっていたときは、市長選を前に市民に頑張っている姿勢を見てほしいという、いつもの自己PRかと思いきや全くの見当違いでした。これはまさしく議会軽視、いや市民無視とも言えるのです。

そもそも『予特』とは、新年度の市民生活に関わる予算全般を審査する大変重要な議会の内部機関です。市民の意見や要望を集約した有効な施策が推進できるかどうか、あるいは、厳しい財政状況の中で効率的・効果的な予算にすることができるかどうか、これらが達成できるかどうかは、この審査機関の活動如何によるのです。

市長は、文中「広島市の拘束期間が長いのは、被爆後、一日も早い復興を目指して、市長も議会も一緒になって頑張った時代の名残なのかも知れません」と言っていますが、仮にそうであれば、今その先人の残した最良の制度を消し去る理由は全くないのではないでしょうか。

それというのも、平成11年に秋葉市政がスタートし、それでなくとも広島の遅れていた都市インフラの整備が全くの手つかずの状態になるという「空白の10年」が訪れたわけですから、今まさしく広島を「復興」しなければならない時にきているのです。そうした時に、予算を責任を持って提案する市長本人が審査の場から逃避するとは言語道断、憤慨に堪えないところです。

もう少し具体的に言いますと、数年前、多くの市民が早期整備を望んでいる国道2号高架の都心部延伸を止めたのはまさしく秋葉市長個人であり、その施策の方向転換に対しては「何故止めたのか?」「その影響は?」「今後どうするのか?」といった疑問に市長自身の言葉で説明する必要があるのです。

また、現在で言えば、新球場の設置場所を強引に貨物ヤード跡地に決めたのは市長であり、今後どのように財源調達して建設していくのか、さらに、カープ以外に一般の市民や子供たちが使用するときはどのようなシステムにするのか、といったことについて説明するのは市長自らが発する言葉しかないのです。その場が、議会であり、当初予算を審議する2月議会で言えば『予特』なのです。

百歩譲って「官僚組織で政策提案したのだから…」というのであれば未だしも、広島の停滞を招いた施策の方向転換は、組織を蔑ろにした秋葉市長個人の責任なのです。それを「人事があるから」「海外のお客が多いから」「8・6の行事があるから」というのは全く理屈が通らず、責任放棄以外の何物でもありません。

自分自身は、他の政令市長の何倍もの期間を費やして個人的とも思える海外への平和行脚を繰り返しているのです。今年度は実に6回、延べ日数で42日の海外出張です。自身のことは差し置き、議会や市民に説明する場からは逃避しようとしているわけですが、『予特』の審査時間68時間は日数に直せば約9日弱で、海外出張の4分の1にも満たないのです。何故、『拘束』されるという意識になるのでしょうか。何故、「議会と一緒に頑張ろう」という言葉が出ないのでしょうか。

それから、秋葉市長はアメリカの大統領制のやり方を比較に出されていますが、アメリカの民主主義は政党政治です。大統領にも議会にも「政党」という基礎があるわけです。ところが、秋葉市長の場合には政党から受ける保障制度はないし、逆に言うと歯止めもないのです。単に個人主義であり、その延長線上にある独裁制の政治手法です。安全弁のない一番危険な政治手法なのです。

裏を返せば政党からも一般社会からも信用されていない中で生きている秋葉市長本人にとっては一番気楽な政治運営手法です。良いことがあれば自分の力、少しでも世間に批判が起きれば他人の責任にすればいいのです。議論が嫌いで自分の思うような結論にならない時は不機嫌になる個性の持ち主です。何でも一番でなくてはならない、他人の話は聞けない、我慢できない、現代社会の「キレル」性格ではないでしょうか。

本題に戻りますが、2月議会の一番の中枢ともいえる『予特』に首長以下議員全員(議長は除く)で議論し審査する広島市議会の制度は、民主主義の理念に一番叶っており、他都市からも注目されている手法なのです。このような民主主義の基本となる場から逃避しようとするこんな人に、次の4年を任せようという人はさすがに少なくなっていると思いますが、皆さんはいかが思われますか。

最後に一言付け加えますが、市長が退任する日まで「ひろしま市民と市政」はあと2回発行されますが(2月1日号、2月15日号)、まさか「軌道に乗った2期8年間」などと市民を欺くために、広報紙を私物化することのないよう強く申し述べておきます。



(※1月17日追加1(全国知事&市長849人の『偏差値』))
   
月刊『現代(2月号)』に「全国知事&市長849人の『偏差値』」という記事が掲載されています。
 
   その内容は、官による税金の無駄遣いはとどまるところをしらず、そのツケを払わされるのはいつも庶民であり、国民の日常生活を左右する政治・行政の舵取り役である知事や市長たち「首長」の責任は重い。住民が一票を投じて選んだ知事であり、市長ではあるが、その素顔をはじめ、彼らの指導力や行政能力を知る機会は意外と少ない。そこで、その人物像を知る手がかりとして、全知事・市長及び東京23区長の出身高校・大学、職歴、年齢、出身地などを調査したというものでした。
 
   そして、その調査を踏まえ、次のような総括もされていました。
   「地方分権」への流れの中、教育、医療、福祉など、住民が大きな関心を持つ行政サービスも、徐々に都道府県や市の責任で行われるようになりつつある。もともと、知事や市町村長が、極めて強い行政権限をもっているのが日本の地方自治の特色である。トップのやる気と能力によって、自治体ごとの「市民生活の格差」が今後ますます広がることは確実だ。調査に際し、出身高校や出身地の開示を拒否する首長も約20名いた。公職の立場からみて、拒否の理由に妥当性は見られず、自治体に求められる「情報公開」に逆行するものだった。

 
   当然、私たち広島市の秋葉市長さんも掲載されていました。そこを見ますと、生年月日は昭和17年11月3日、出身地は東京都、出身大学は東京、東京(院)、マサチューセッツ工科(院、米)となっていましたが、出身高校等は非公開とされていました。つまり、開示を拒否した約20名のうちの一人だったのです。

   選挙で選ばれるという公職の職責からしますと、市長という身分ではほとんどプライバシーはないと思います。また、すべてにおいて、情報公開と説明責任が叫ばれている中で、記事にもありましたが、公人としての立場は自らわきまえる必要があるのではないでしょうか。それが真の指導者の姿ではないでしょうか。

また、秋葉市長さんの出身地は東京都と書いてありましたが、現在の本籍地は千葉市中央区のはずです。「出身」という言葉の意味を辞書で調べてみますと、「生まれた土地」ということのようです。それからしますと、東京都で生まれ、千葉市で育ち、アメリカ留学を経て、現在は広島市在住ということになります。ということは、この「広島」は秋葉市長さんにとってはあくまで就職先の一つの「地」にすぎないのでしょうか。

   戸籍の上からは、この広島市で結婚されており、本籍を変えるきっかけはあったはずです。本当に広島を愛し、広島人として、ここに骨を埋める気であれば、そうするのが自然だと思うのですが、なぜ、そうしないのでしょうか。広島を「終の棲家」とは考えられていないのでしょうか。一人の市民として疑問を感じるのですが、皆さんはいかがお感じでしょうか。



(※1月19日追加2(「市長日記」に対する市民の声)
   本文の「市長の市民に対する姿勢」を見て、市民からメールが来ましたので紹介させていただきます。

HPの「市長の市民に対する姿勢」を拝見しました。実を言いますと「市政だより」を読んだ際、小生も、あきれてしまいました。
   ご指摘のように議会の予算特別委員会は、少なし向こう1年間の市政の方向を決める、もっとも重要な審議の場です。国会の予算委員会でも、首相以下閣僚は、衆参合わせて何十時間も拘束されます。
   予算特別委員会での質疑は、言い換えれば市民への説明の場でもあります。たとえそれが何十時間になろうとも、市長が懇切丁寧に応じなければ、市民への説明責任を果たしたことになりません。
   その労を惜しむようでは、もはや「市民無視」、あるいは「市民軽視」というほかありません。どうも秋葉市長は「民主主義」の意味をおわかりになっていないようですね。


   同様の声は多く聞いています。このままでは、出馬宣言前の自滅になるのではないでしょうか。一部の意見だけではなく、いろんな人の意見を聞かないと方向を見誤まることになりかねません。