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(No.200) 平成19年1月9日

『新球場建設について(Part6) 〜官製談合の疑惑〜』

皆さんは、ダニエル・ミース作の『躍動する鯉』をご存知でしょうか。昨年行われた新球場の設計コンペで登場したデザインですが、当選した「環境デザイン研究所」の作品を紹介するパースでも象徴的に扱われているシンボルデザインです。

新球場パース
鯉のマーク

パース上部にある「鯉がぐるりを泳いでいるマーク」がダニエル・ミース氏の作品ですが、このデザインは、実は平成12年度にオリジナル版として作成され、それ以降、広島市の貨物ヤード担当班(現在の新球場担当部署)で保管されていたものです。これが今回の設計コンペに大きく関わっているものなのです。

   デザイン誕生の経緯を紹介します。
   平成12年11月7日から17日の間に経済視察団が派遣された時、視察団のメンバーである高村都市計画局長(当時)がダニエル・ミース氏を訪ねたらしいのです。それを受けて、ダニエル・ミース氏は広島を2回訪問していますが、その1回目は帰国後の平成12年11月末から12月初旬で、某民間企業、噂によればイスメーカーの社長が同氏を連れて秋葉市長を訪問されているはずです。

市長と談話した後、高村都市計画局長とも会っているのですが、そのとき高村局長が「ダニエル・ミース氏に貨物ヤード跡地をベースにボールパークのデザインをしてもらいたい」と発言したのに呼応して、某民間企業社長は「市長が大変ダニエル・ミース氏を気に入っている」と応えられたようです。こんなところから官製談合が始まっているのではないでしょうか。

当時の局長の周辺の担当職員は、この事実上の談合を阻止しようとしたにも関わらず、局長は市長に「何とかしろ」と言われたらしく、職員の諌言をも振り切る素振りを見せ、結局は某民間企業社長が資金を出してオリジナル作品が作成されるという方向へ話が進んだのではないでしょうか。

この後、ダニエル・ミース氏は貨物ヤード跡地、愛友市場、市民球場を視察したようですが、市民球場を訪れた際、玄関ホール2階でオリジナル版のデザインコンセプトでもある『躍動する鯉』の直接的なヒントとなる絵と出会うことになるのです。これが次の写真です。

鯉の絵

この絵は、今も市民球場へ行けば玄関ホール2階で見られるわけですが、この絵とダニエル・ミース氏のデザインを比較してみると、盗作とまでは言いませんが、その精神とも言える『鯉心』は盗んでいると言われても仕方ないのではないでしょうか(『ひろしま市民と市政(平成18年10月15日号)』には「鯉心が躍る新球場…」のタイトルで特集されています)。いずれにしても、ダニエル・ミース氏がこの絵から大きなヒントを得てデザインを作ったことは間違いないはずです。

その後、平成13年1月から2月頃、ダニエル・ミース氏はデザイン作業の成果(デザインコンセプト、デザイン提案、企画書、模型)を携え、2回目の来広をされています。市役所10階の政策審議室でダニエル・ミース氏が説明し、秋葉市長、高村都市計画局長が話を聞いています。当時の建設担当助役は全く無視されていた状況だったようです。

ある絵をヒントにデザインしたのが『躍動する鯉』で、そのコンセプトをもとに造形化した屋根の模型。市長は「我が意を得たり」とばかりに極めて上機嫌の様子だったようです。もちろん市長の手元には企画提案書が渡されたはずです。

果たして、秋葉市長は今回の設計コンペに関連して、ダニエル・ミース氏のオリジナル版の存在を認めるでしょうか。そして、その存在を認めた上で、今回の設計コンペの手続きの妥当性について「問題なし」と強弁するのでしょうか。

しかし、どう見ても公平・公正なコンペとなっていないのです。参加者に対して同じ条件が与えられていないはずです。少なくともダニエル・ミース氏は市職員の案内で市民球場を訪れ、今回のデザイン提案において決定的要素となった『躍動する鯉』のヒントを得ているわけです。仮にダニエル・ミース氏の参加を容認するにしても、公平性を担保するための配慮が必要だったのではないでしょうか。

平成17年から18年に実施した事業コンペが円滑に完結していれば、ダニエル・ミース氏が関わる局面は生じることはなく、何事も起こらなかったのですが、予想に反して、事業コンペが結果的に不成立となったわけです。秋葉市長は、選挙公約実現のために夢のプロジェクトの着実な進展をどんなに無理をしても市民に見せる必要があり、設計コンペに踏み切ったのではないでしょうか。

今回の設計コンペのデザイン提案は、オリジナル版の『躍動する鯉』の屋根のデザインを、単に事業コンペ時のスタンド及びその周辺の構造物に重ねるようにアレンジしたものに過ぎません。市長も、その内容に不満を持ったはずであり、確か、最終判断する直前に躊躇していた時間帯があったはずですが、そのことが大きく影響していたのではないでしょうか。

このダニエル・ミース氏はスマートで洗練された才能を持ち、人間性も素晴らしく、とても彼自身が今回の不正・不公平なコンペに直接関わったとは思えないような人物のようです。今回の作品応募で「環境デザイン研究所」と「ダニエル・ミース氏」との間でどのような責任分担のもとで共同作業が行われたか分かりませんが、ダニエル・ミースという優れたタレントのデザイナー生命を左右しかねないと考えられることから、事は極めて重大です。広島市が直接関わっているプロジェクトであり、国際的問題にもなりかねません。

繰り返しますが、今回の特徴ある屋根のデザイン『躍動する鯉』は、平成12年にダニエル・ミース氏が初めて来広した時、市職員の案内で視察した市民球場で出会った一枚の絵から生まれたものです。この絵が間違いなく格好の着想のヒントとなっているはずです。オリジナル版は平成12年度の2回目の来広時に持参し、市長以下に説明後、これらダニエル・ミース作の資料は平成17年5月まで現在の新球場担当部署が保存していたはずです。

コンペの公平性を確保し、適正に実施するための要件とは何なのでしょうか。議会でのやり取りでは、「明らかに事業コンペの応募作品を下敷きとして今回新たに他者が作ったものとして応募しているのではないか」の問いに対し、濱本局長は「ブラインド・テストの結果だから(会社名を伏せているから)問題ない」との答弁でした。

このでたらめな答弁の本質は、「事業コンペ時の応募作品は結局表に出ることはなかったものであり、存在していなかったものと考える。したがって、今回事業コンペ時の応募者でない新たな他者の作品として応募されることは問題ない」ということなのでしょうか。ダニエル・ミース作の今回の意匠(平成12年度オリジナル版の若干の改訂版)についても同様のスタンスなのでしょうか。

問題の本質は、コンペの公平性、経過の透明性を確保されているかどうかです。コンペに参加しようとした者に対し、常に同じ条件が与えられているかどうかなのです。今回の設計コンペは明らかに公平性の確保にはなっていないわけであり、詐欺的な行為とも言えるのではないでしょうか。

市長を含めごく一部の人たちで何が行われていたか、お分かりですか。昨年から騒がれている首長の官製談合のように金銭は動いていなくとも市民の財産をもてあそび、学識経験者を選考委員として市長が任命、委員会を立ち上げ、その委員たちはいかにも公平・公正であるかのように見せかけ、その実像は委員会を市長が私物化しているとも言えるのです。皆さんは、憤りを感じませんか。

 

(※追伸(選挙目当てのプロジェクト羅列))
   現在、行政が手掛けている事業は、ただ選挙目当てだけで、明日にでも全てが着手できるような錯覚を市民に抱かせるように羅列しているに過ぎないのではないでしょうか。

4年前の平成15年の市長選挙直前には、広島市の西部方面でアストラムラインの己斐延伸を掲げ、それに伴う西広島駅裏の区画整理事業や広電己斐駅を含めた西広島駅周辺の再開発、路面電車の市内乗入ルートの変更が盛り込まれていました。これらは全ては「己斐」が起点でしたが、この他に4年前にはサンフレッチェ専用球場建設というアドバルーンも上げられていました。

4年後の平成19年の市長選挙には全ての事業は東部地区での展開になっています。サンフレッチェ専用球場はいつの間にか消え去り、今回は貨物ヤード跡地の広島東洋カープの新球場です。その他、駅前Bブロック・Cブロックの再開発、若草地区再開発、国鉄跡地利用促進等々、全て東部地区です。

これでは、市民の皆さんは、今回もまた公約だけかと感じられるのではないでしょうか。