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(No188) 平成18年9月15日

『道の日について』

大正9年8月10日に、わが国で最初の道路整備についての長期計画である「第一次道路改良計画」が実施されたことを記念とし、道の意識、重要性に対する国民の関心と道路愛護の精神を高めることを目指して、8月10日が『道の日』と決められたようです。

「春秋」9月号の『道の日特集』で中国地方整備局・広島国道事務所長の上坂克巳氏が『広島の道路』と題して広島の印象を寄稿されています。この中で、多くの広島市民や経済界の皆さんが感じられていることを代弁されています。都市の活性化のためにも一層の努力を喚起する文章ですので、一部を紹介させて戴きます。

「7月11日につくばから広島へ着任して1ヶ月余りになろうとしています。私は中国地方の勤務は初めてです。着任後、事務所管内の道路を走り回った初印象は、他の同規模の都市と比べ道路整備が10年遅れているということです。また、事務所の事業の状況を把握し、自治体の皆様からの要望を受ける中で、自分の初印象は間違っていないと確信しました」

現在の広島市の道路行政の遅れを的確に指摘されています。なかんずく施策の基本となる道路計画や都市計画決定された事業であっても首長の単なる気まぐれでの変更や工事中止が相次ぎ、道路・都市計画全般で的確な将来展望が見えていません。

本来は沈着冷静で将来を見据えて施策決定されるべき首長が、感情剥き出しの刹那主義で施策決定をしているのが現状ではないかと感じられます。一番の被害者は広島市民であることを首長は自覚しなければならない時ではないでしょうか。

上坂国道事業所長は文の最後に「広島国道事務所では、渋滞や事故および災害に強い、安全、安心で快適な地域づくり、街づくりを目指し、元気な広島都市圏を形成するという目標に向かって、10年の遅れを取り戻すため職員と一丸となって取り組んでいきたいと考えております」と結ばれています。

上坂広島国道事務所長に広島市と国交省、中国地方整備局、広島国道事務所、広島県との喫緊の舵取りを望むものであり、現在途絶えている関係各方面との緊密な連携と調整をも期待するものであります。次の世代の広島市の美しい夢が語られる新しい芽吹きと行政の自立と自主性の確立を強く望むものです。



(※9月20日追加1(市長の海外出張))
   秋葉市長が今年三度目の外遊中に発行された「ニューズウィーク(日本版・9月20日号)」に、「『普通の国』に問われるナショナリズムとは」という特集がありました。

同社のコラムニストであるジョージ・ウィル氏が執筆したものですが、その中で驚いたのは、『普通の国』の代表例として取り上げられている都市が「ヒロシマ」であったことです。そして、外国特派員の目は世界平和を希求する「ヒロシマ」が担っている責任の重さを、広島市民の目とは違った形で感じているようでした。

その一部を紹介させて戴きます。

日本における軍国主義の再来を危惧する人々は、世界で唯一核戦争を体験したこの国にのしかかる歴史の重みを理解していない。この国では今も、被爆者の後遺症や認定をめぐるニュースが、現在進行中の問題としてテレビや新聞に登場しているのだ。一方で、日本は経済力に見合う国際的地位と責任を担うべきだという信念、すなわちナショナリズムの復活のときを迎えつつある。

核時代のスタート地点となった広島は、今では港湾都市として繁栄に光り輝いている。地元球団の広島カープのホームグラウンド、広島市民球場のライトにかすむ原爆ドームはこの町の過去の象徴だ。現在の広島には、日本が切望する「普通さ」があふれている。

日本は敗戦以来続いた平身低頭の姿勢をやめ、立ち上がるべきだ――多くの国民がそう考えるようになった日本は今、愛国心論争に揺れている。

この中で、「世界で唯一核戦争を体験した…」とか、「この国では今も、被爆者の後遺症や認定をめぐる…」、それから「核時代のスタート地点となった広島は、今では港湾都市として…」という表現がありますが、記者の認識や感じていることは、私たち被爆者や広島市民にとっての思いや感性とは随分違っていると感じざるを得ません。

原子爆弾という使用してはならない兵器を一方的に使われた都市が広島と長崎なのです。被爆地広島にとっての平和の原点は「被爆者対策の恒久的な保障」であり、被爆医療を初めとした被爆者が安心して暮らせる「ヒロシマづくり」であると思っています。

「非核」「核廃絶」だけを世界に発信する「平和」は、地方都市「広島市」が単独で時間と公金をかけて毎年三度も四度も首長一人が外遊して達成できるものではなく、またそういった余裕のある時代でもないのです。「平和外交」は日本国が司る仕事であり、財政的にも人材的にも地方都市が背伸びして首長の自己満足達成のためにやる仕事ではないと思っています。

平和外交、非核、核廃絶を望むなら北朝鮮の拉致問題と同じように国家を動かす世論を喚起することが先決だと思います。老化が進む被爆者にとっての「ヒロシマ」の原点は生活環境全ての面での安心と安全の構築です。「非核」「核廃絶」だけを叫ぶ平和外交は地方都市にとって全く異質の主張だと思います。

この特集の結論の部分です。

米ウォールストリート・ジャーナル紙は先ごろ、北朝鮮の挑発が日本の核保有化を促す可能性があると警告した。「北朝鮮が世界と対立を続け、世界が無策を続ければ、より軍隊的でおそらくは核武装した日本の誕生は不可避だ」と同紙は指摘している。

61年前、広島はかつて誰も耳にしたことのない爆音と悲鳴に包まれた。今、老朽化した広島市民球場に代わる新球場の建設に市が予算を計上するべきか否かという論争が、この町を騒がせている。アメリカ人からみれば、きわめて「普通の国」らしい光景だ。

前段の文は、市長が今回出張のノルウェーやフィンランドで『核』の脅威を発信するのであれば、「本当の『核』の脅威は北朝鮮にある」との主張であります。「非核」「核廃絶」の発信をヨーロッパやアメリカから発信するのではなく、海外に出て行くならまず北朝鮮ですよ、との示唆ではないでしょうか。

また、後段の文は、冷静な先入観のない海外の人達からみれば、市長の言う「ヒロシマ」も市民が愛している郷土「広島市」も、同じ色の地方都市としか映らないのではないでしょうか。市長のたび重なる平和探究のための海外出張が空しく感じられます。私たち被爆者は、被爆都市の都市像と、非核を訴える都市像とは根本から違うと感じています。

同じ頃、PHP研究所から出版された中西輝政編者(共同執筆者:日下公人、平松茂雄、櫻井よしこ、西岡力、伊藤貫、兵頭二十八)の「『日本核武装の論点』国家存立の危機を生き抜く道」の〈はじめに〉にも、次のようなことが書かれていました。

現在の日本を取り巻く国際環境は1990年代とは比べものにならないほど激変しています。2006年7月5日に7発のミサイルを発射した北朝鮮にしても、今世紀に入ってから核兵器の開発ならびに保有を宣言したことは周知の通りです。核弾頭を搭載したミサイルが、仮に米国にも届くとなれば、犠牲を覚悟してまで米国は日本を守ってくれるでしょうか。


北朝鮮にかぎらず、近年、核保有を新たに宣言する国も増えるなど、世界の核情勢は「不拡散」ではなく「拡散」の方向にあります。そのように国際情勢が変質し、日本が国家存立の危機に立っている中で、呪文のように「核不拡散」「核廃絶」を唱えるばかりで万が一の事態に備えることなしとすれば、日本はもはや国家の体をなしていないのではないでしょうか。

被爆者の一人として感じていることですが、「核兵器」は地球上に存在しないのが究極の望みです。人類の知恵の結晶として生まれた「核兵器」を人間の記憶の中から消し去ることは出来ません。核廃絶は「国家と国家」、「人と人」が根気よく地道に相互の信頼関係の積み重ねるしかないのではないでしょうか。

地方分権が叫ばれている中、地方都市「広島」は国家間の平和を論ずるのではなく、国の安全保障の責任は国家で、地方都市の安心と安全は首長の責任として、一年365日を本当に広島市民のために使ってほしいものです。このことも地方分権であり地方の役割ではないでしょうか。
   市民の皆さんはいかがお感じですか。



(※9月21日追加2(川のうたコンサートと台風災害))
   9月17日(日)の15時から17時40分まで、郵便貯金ホールで「水の都ひろしま推進協議会」主催(事務局は市役所の都市活性化局観光交流部水の都担当)の「『川のうた』最終公開審査&『川のうたコンサート』」が開催されたようです。

ここで、最終審査の過程(5作品)や地元合唱団によるコンサート、イベントに対して苦言を呈するつもりはなく、むしろ、台風襲来のさなか、このようなイベントが無事終了したことに対して心から敬意を表すものです。ただ一言、申し述べさせていただけるなら、審査委員の人選はどなたがされたのか分かりませんが、少々偏向しすぎで市長の機嫌取りが見え見えではなかったかと思います。

ここで私が申し上げたいのは、市長の市民に対する姿勢に関するものです。それというのも、この日、つまり9月17日のコンサートの最中というのは、安佐北区の安佐町鈴張、小河内や佐伯区の湯来町伏谷にかけての豪雨により、警戒中の広島市の消防団員1人の尊い人命が奪われ、また取材に向かっていた中国新聞社の記者1人が行方不明になった直後です。     

同日未明から区役所では災害対策本部(二次体制)が設置され、市役所本庁でも同日13時から二次体制が設置されるなど非常体制であったはずであり、安佐北区、佐伯区の皆さんも避難場所での不安な生活をされていたはずです。

そんな中、秋葉市長は、市民が不安を抱え難儀な避難生活をしているのを知りながら、最後まで「川のうた」イベントに居座っていたのです。市長の思いが強いイベントだったのかも知れませんが、少なくとも最後まで出席しておく必要があったのでしょうか。市民の安心と安全にもっともっと気配りするべきではなかったのではないでしょうか。

ただ、市長の挨拶の中では、消防団員の死亡に対するお悔やみの言葉があったそうですが、心のこもらない言葉だけのフォローはいくらでもできます。何が起きるかわからない非常時に、また避難を余儀なくされている市民の皆さんがいるにもかかわらず、晴れやかな場所に居座ることの意味は何なのでしょうか。被災者の市民一人ひとりに対して、市長としてもう少し気配りがあっても良いのではないでしょうか。

台風は天災であり、市長にもどうにもならない自然現象であるかもしれませんが、市長の最も大切な仕事は市民の安心と安全の確保のはずです。繰り返しますが、 行政の市民に対する暖かい気配りがほしいものです。 
   市民の皆さんはいかがお感じですか。

(※9月27日追加3(「川のうたコンサートと台風災害」の追伸))
   9月21日の私のホームページ「川のうたコンサートと台風災害」にアクセスしてくださった市内在住の柴田さんという方よりメールが来ました。市長の行動に驚きを隠せないといった内容ですが、一部を紹介します。

「川のうたコンサート」の件を拝見し、秋葉市長があの台風の日に、しかもその存続を県に投げた「郵便貯金ホール」にずっと居たのかと、いささかビックリしました。しかも当日、亡くなられた消防団の方のご遺体が発見されたのは、郵便貯金ホールとは目と鼻の先である工兵橋の辺りであった、と聞いております。そんな場所によく居続けられたものだと、憤りを覚えます。

ところが更に、こんなブログの記事を発見して、仰天。
http://mukaiya.cocolog-nifty.com/mukaiya/
フュージョンバンド「カシオペア」のキーボード奏者むかいやみのる氏が当日、演奏に参加されたらしく、2次会の写真をアップしておられます。その1枚はファイル名がakibashichoとなっていて、見ると写っている人物は秋葉市長に酷似しています。これは一体何??。あの災害の夜に、東京から手弁当で駆けつけたとか言うお友達と、ご愉快なさっていたとは。これでは秋葉ではなく秋冷(アキレ)で、怒りを通り越してあきれ果てるばかり。

ブログにある写真が次のとおりで、2次会の場所は「アンデルセン」のようです。

写真

9月21日にも述べましたが、9月17日は終日、災害対策本部(二次体制)です。

総 数 各区・区役所人員 消防職員 消防団員
3,283人 1,628人 1,035人 620人

一番の責任者が写真でもお分かりのようにアルコールの入ったような顔で「アンデルセン」にいらっしゃるのはいかがなものでしょうか。
    市民の皆さんは市長の災害時の行動が許せますか。

 

(※9月27日追加4(何故、早稲田?))
    9月25日に一通の投書をいただきました。
    内容を紹介しますと、「広大本部跡地検討会議のトップは早大総長だそうです。市長の一声で決まりです。広島の未来を東京の人間にまかせるなんて、悲しい」という主旨で書かれています。その便りでは、白井克彦早大総長ではなかろうかということですが、この様な投書が来るとは、もはや、広島市行政も機能麻痺状態ではないでしょうか。

何故、広大跡地も、新球場設計提案競技の委員長も、全ての重要ポストが早稲田大学なのでしょうか。大学も現在では株式会社と同じで、大学経営で利益を生まなければならないのは理解できますが、何故、早大なのか?広大や市立大学や県立大学ではいけないのか。広島にも責任を持って仕事が出来る人材は沢山いるはずです。

ちなみに新球場設計提案競技の選考委員長池原義郎氏は、早稲田大学名誉教授で、彼の作品は西武ライオンズ球場や西武鉄道関係の仕事が多く、広島プリンスホテルも手がけています。市民の皆さんもご承知のように西武ライオンズ球場は「鹿島建設」であり、当時の西武建設には秋葉市長の盟友である現在、アストラムライン(広島高速交通)社長の中村氏が在席されていたはずです。

全ての広島市の事業が開かれたものとなるよう、市民が首をかしげることのないようなシステムにならないのでしょうか。「梨下に冠を正さず」の諺からしても、行政の長はこのような市民が理解に苦しむ構図にすべきではないと思います。

ほとんど全ての人の流れが早稲田大学関係者にならないよう、公平・公正に、自我は抑えて、広島市民のためのプロセス(人選)がほしいものです。