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(No185) 平成18年8月10日

『今年の平和宣言が不評な理由』

今年の8月6日の広島市長の「平和宣言」が、被爆者をはじめ市民、県民、有識者の間で不評を買っているのはなぜでしょうか。私のところにも、そうした内容の投書をいただきましたので紹介します。

   都市での原爆投下は反対、それなら田舎だったらいいということになるのではないでしょうか。これは一種の原爆容認論です。つきつめれば、平和連帯都市にだけは、原水爆を落とすなということで、平和連帯都市を増やしているのですかね。馬鹿げています。ヒロシマの被爆者のことは全く理解していないのではないでしょうか。
   それにしても、平和宣言は出来の悪い不良品でしたね。大局的に発言するのもいいですけど、なんだか虚しいですね。市民、被爆者不在の平和宣言だったと思います。

同趣旨のことは、8月4日に開催された広島市原爆死没公務員追悼式においても、秋葉市長は発言されていましたし、同日(8月4日)のホームページで指摘したように、私もその時、同じことを感じていました。

また、同様の思いで中国新聞の投書欄に投稿された方もいらっしゃいます。8月7日の「広場」への掲載文を紹介しますと、「物足りない平和宣言」と題して「久しぶりに秋葉忠利広島市長の『平和宣言』を直接聞いた。しかし、私の耳にはなぜかうつろに響いた」、また、「『悪魔に魅入られ核兵器の奴隷と化した国』とか『迷える羊たち』など文学的表現は随所に見られるが、それも『核廃絶』への訴えに集中し、現実への直視がない」、そして、結論として、「平和への国際連帯、それは大切だ。しかし、そうしたサロン的発想を超えた、市民と心をつなぎ、汗を流す市長であってほしい」と結ばれていました。

さらに、8月6日の読売新聞の社説でも、「主張の柱は、自身が務める『平和市長会議』に加盟する世界1403都市が、核保有国に対し、自分の町が攻撃目標になっていないか確認し、目標の解除を求める行動計画である。最高の軍事機密である攻撃目標を明かす国がどこにあるだろうか。国際情勢から乖離した非現実的なスローガンが並ぶだけでは、日本が直面する核の最大の脅威から、目をそらしていると言わざるを得ない」とまで言い切られているのです。

「平和宣言」は、「ヒロシマの心」の叫びであるはずですし、また、そうあらねばならないと思うのです。それをなぜ、今の広島市長は、このような中身のない、美辞麗句を積み重ねただけの空虚な「文章」とする必要があったのでしょうか。

それは、今の広島市長にとって、「ヒロシマの心」とは、あの昭和20年8月6日、午前8時15分の広島市民の被爆の惨状、さらに、その延長線上にある風化した被爆からの訴えではなく、世界が一度は注目するであろう、広島市からの言葉としてだけの「核廃絶」にあるのではないでしょうか。

「平和宣言」を、私たち被爆者の元に返してもらいたいと思うのは私だけではないと思うのですが、皆さんはいかが思われますか。

(※追伸1(市長の海外出張とノーベル平和賞))
   秋葉市長にとって、平和活動の集大成として重要になるのが、9月6日から9月14日までの海外出張です。今回は、
@ フィンランド
 
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)世界大会への出席
ヘルシンキ市長との協議
ヘルシンキ大学訪問
A ノルウェー
 
ノルウェー政府訪問
ノーベル平和センター訪問
トロムセ大学平和学センター訪問
ノーベル平和委員会委員長との協議
トロムセ市長との協議
といった内容になっていますが、今年度、既に3回目ですし、この出張によって市政や議会日程等にも少なからず影響があるのではないでしょうか。

もし、そうであれば、市長の海外出張に関して、今年の2月定例会で示された「市政、議会運営にできるだけ影響が出ないよう日程の検討を行う」という考えに合致しているのかどうか甚だ疑問がありますし、長野県の田中知事と同じように物申す職員も既に周囲にはいなくなり、秋葉広島市長の自己本位はますます変わりそうもないようです。

では、なぜ、この度の海外出張がフィンランドなのでしょうか。今回は、IPPNWでの講演となっていますが、IPPNWからの依頼は、広島県・市の医師会でしょうか。その会議には、県・市医師会長お二人とも参加されるようです。IPPNWへ三人揃って出張させる仕掛け人は、広島市病院事業管理者でしょうか。市医師会は安芸市民病院の管理受託者になっています。いわば、発注者と受注者が揃って出張することになるわけですが、市民の皆さんはどのようにお感じでしょうか。

また、ノルウェーはノーベル平和センター訪問となっていますが、このことは、昨年から、ノーベル平和賞を被爆者団体へとの運動をされているようですし、本年には広島市の平和行政資料を積み重ねた秋葉忠利著の「元気です、広島」という本も出版され、すべてノーベル平和賞を意識しての一連の作業のようです。代表して、「核廃絶」「平和市長会議」会長秋葉忠利となるのでしょうか。

いずれにしても、ノーベル平和賞は、自分で積極的に売り込むものではなく、時間を掛け、一生懸命汗をかいて、その結果としての幸運なアワードであり、自己の売名行為によるものであってはならないのです。一歩ずつの積み重ねの努力がほしいものです。


(※追伸2(式典参加者への配慮))
    8月7日の中国新聞に、「8・6」一日の様子を時系列で伝える記事が掲載されていました。その中の「2時20分」は、北九州から来広された牧野さんを紹介されていたものでした。

これはその記事にはないことですが、牧野さんは市から式典参加の案内があり出てきたけれど、宿屋がなくて、ここで野宿して式典に臨まれたようです。

なぜ、野宿されたのか。ホテルからは、原爆の日は人が多いので、素泊まりで1万3千円の料金が示されたようです。ホテルの足元を見るやり方を怒っていたようですが、このようなことでは、広島市長が誇らしげに言う「千客万来」と言えるのでしょうか。その言葉が泣きます。

これでは「先客万去」だと言った人もいます。他県の遺族の方に、式典への参加案内をするのであれば、宿の手配は広島市が責任を持つべきではないでしょうか。被爆者も、その遺族も高齢化しています。そこには、やさしさがほしいものです。

それとは、逆に、外国からの要人には、局長、区長たちに手分けをさせて、接待しているのは、被爆者、遺族を無視したものではないでしょうか。秋葉市長の下での平成18年の平和記念日、8月6日、午前8時15分が形骸化して、中身のなさが目立ち、被爆者に対するホスピタリティーの欠如が、昨年よりも1万人も参加者が少なかった原因ではないでしょうか。

強い者、口の立つ者、目立つものには、過分な接待をして、このような高齢化した遺族、被爆者には、やさしさのない為政者は、本当の意味の「ヒロシマ」の心を理解されてないと思います。

一番大切にしなければならない弱い立場の人たちや被爆者には、職員がボランティアでも対応できる教育や為政者としての指示がほしいものです。被爆者に対して、人として、心ある、やさしい為政者を望むものですが、市民の皆さんはいかがお感じですか。