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(No.178) 平成18年6月9日

『市長の姿勢と2月議会の総括』


   6月市議会が間もなく始まりますが、秋葉市長は、もはや改革への『熱意』も変革への『力』も消えうせ、『広島市長』という就職先の確保だけに『持てるすべての知力』と『持てるすべての力』を注ぎ込んでおられるのではないでしょうか。

   最近の市長は、どこから見ても、どこを切っても金太郎飴と同じで『就職先』『生活先』は『広島市長』と印を押したようなパターンが出来上がっているようです。人事はゴマすり、施策は何の変化も理想もないワンパターン、目新しさも魅力もなく、単なるワンマン独裁者の悲しい姿しか市民の目には写らなくなっているのではないでしょうか。

   数年前まであったある種の切れはどこにいったのでしょうか。八方破れの広島市長の姿は悲しいものです。東京、秋葉原などの若者たちの活力や変革への力が『秋葉流』ではなかったのではないでしょうか。世に言う『アキバ系』のような活力はどこに行ったのですか。変革や改革への立ち止まることのない変化を求めている『破れ窓』の理論はどこに行きましたか。

   市長の選挙公約である女性助役選任についても、過去に行った全国公募の足跡も今はなく、選挙公約の実現に向けた努力もせず、無難で波風の立たない、目新しさも若返りも新鮮さもない助役人事に終わるのですか。

   二度目になります新球場建設設計コンペも、議論が活発化して議会の意思が入り込まないよう、6月定例会には新たな予算計上もしないまま計画だけが宙に浮いて進行しているようです。議会には説明したという事実を作るためだけの都市活性化特別委員会を開き、空しい答弁を見ると、誤魔化しの施策提示しかないものと思われます。

   為政者のトップとしての自覚があるなら、どうしたら早急に事業に着手できるのか、もう一度よく考え決断し、ここまでくれば全て自己責任で自分の意思を発信し、即時に、決断すべきではないでしょうか。

   私のホームページ((No.176)平成18年5月18日)で述べましたように、宮城県の仙台フルキャストスタジアムは、シーズンオフの2年間の改修で立派に出来上がり、同じ年から新球場建設事業を計画した広島市ではまだ設計や建設のメドも立たず、単純に計算して仙台市と広島市との球場建設事業では約10年の差が出たのではないでしょうか

   為政者の決断のなさと責任感のなさで、都市間格差がこのように明確に現われた事例は少ないのではないでしょうか。札幌の日本ハムは新庄効果で満席、仙台は楽天効果による活力、福岡はソフトバンクだけでなく東京都と競い合うオリンピック誘致運動まで演じられる都市力、広島は市長の外遊だけで都市の活力効果なしです。

   ここで、2月議会終了後に議会報告をしていませんので、新球場問題等について皆さんに理解しやすい事例で説明させていただきます。

   まず、貨物ヤード跡地移転に伴う新球場建設の関連当初予算についてです。議員の皆さんが真剣に議論していながら結果的には、何故、簡単に当初予算を通したのかという疑問をお持ちでしょうが、おおかたの皆さんはすでにご承知の通り、国の『街づくり交付金』は、広島市の意思決定の曖昧さと、市民と関係各方面とのコンセンサスがまだ十分取れていないと判断され、保留の状態になっています。『街づくり交付金』は申請主義ですから、行政と事業権者の合意と熱意があれば交付措置はされるはずです。保留となったことは広島市行政の手抜きと信用のなさの表れだと感じています。

   私たち議員も、新球場建設関連予算に係る行政の自信のなさと説明不足、それからなんとしても新球場を造ろうとの熱意と信念のなさから修正や否決も考え、その方向で議会内部の調整は出来ていたのです。

   新球場関連予算を否決すれば、この度も、メディアは「議会が新球場建設の夢を摘んだ」と発信するだろうし、市長も議会が市長をいじめたと被害者の立場になり「市長が善で議会が悪」の構図を世間に発表するであろうと思われたからです。

   議会側はこの新球場建設コンペが不調に終わるのは時間の問題との確信は得ていましたが、コンペが不調となった原因者に議会は絶対なりたくなかったのです。市長と行政は、議会で否決するであろうとの読みがはずれ、市長の立場からすると「自分達を悪者」にすることはできず、今回の悪者の指名を広島東洋カープにしたのです。

   他の議案では、折り鶴の保存費用の問題や市長の海外出張など多くの理解に苦しむ議案がありましたが、議会は「何もしない」とか「何も出来ない」のではなく、「何もしなかった」のです。市長は議会終了後のコメントで勝ち誇ったように、議会での修正や否決がなかったのは久しぶりで、行政対応の良さの表れだと発言されたようです。

   しかし、議会の思いは『新球場建設コンペを不調に終わらせた責任は市長と行政が取るべき』であると思っているのです。にもかかわらず、市長や行政も議案提案者として何の責任を取らず、広島市東洋カープがコンペの最優秀案を『否』としているとの理由で広島東洋カープに責任転嫁して新球場建設コンペを不調に終わらせる幕引きの材料にしたのです。

   次に、4年前に秋葉市長は安芸区だけで、市長選挙の投票をその当時のはやりでIT化の最先端事業であるような錯覚を市民に与えていた『電子投票制度』を新設して選挙を行いました。

    議会での議論を真剣に受け止めず強引に導入したわけですが、電子投票条例を平成18年度もそのままにしておくと、平成19年初めの市長選挙は安芸区だけ自動的に電子投票をしなくてはならない状態になっていたのです。

    この4年間で全国で施行された電子投票は、投票システムのソフトウェアや端末機器の不備と特定業者で施行するための経費がかかりすぎる現実は拭いきれず、秋葉市長の自己主張と自己満足の電子投票は全国で認知されることがなかった事実を市民の皆さんは理解されていると思います。

    電子投票にかかる費用は常識を超えた金額が必要となり、この投票システムを受注できる業者は、当時から議会で指摘していたように少数の業者しかなく、秋葉市長は国会議員当時からその業界の皆さんと勉強会等を開かれていたようで、IT議連の強力な推進役をされていたようにも記憶しています。

    この電子投票制度も、機器の面からもそのソフトウェアの面からも、近年は何の進歩もなく日本ではトラブルだけを残した過去の遺物になったようです。日本国は、広大な国土を持つアメリカではなく、選挙制度もアメリカ大統領選挙の投票集計のように距離と時間がかかる国ではないのです。

    まして安芸区という限定された小さな地域での施行では何のメリットもなく、投票者の権利と責任は、自筆で自己見証でき、そのうえ何かの事故があった時には証拠として残る筆記式が日本国民の性格に適していると思われます。

    そもそも平成18年度当初予算の提出案件査定の中で、広島市行政は広島市選挙管理委員会を指導して、この電子投票条例を廃案にすべきであったわけです。しかし、広島市はズルイ行政のよく使う手を使い、電子投票条例は廃案にするしかないと気が付いていても、行政からは市長に気を使い何もせず、議会が気付かずこのまま放っておくと自動的に電子投票条例が生き続け、安芸区の市長選挙の投票だけは再び電子投票で施行しなければならなかったのです。

    議会が気付いて廃案にしてくれれば、安芸区の市長選挙の投票は普通投票方式になり、市選管も市長もどちらでもいいという無責任な態度なのです。市長は、何もしないという「不作為」の行為に出たのです。「不作為という作為」を公僕である市長や行政は絶対に用いてはならない行為のはずなのです。

    市長をはじめ行政は広島市民に、「これでいいのでしょうか」と施策を明確に示して問いかけるのが重要な仕事であり、その施策を市民に分かりやすく説明し、きめ細かに気を配るのが行政マンの市民に対する責任ではないでしょうか。

    議会は、行政がどのような施策を発してくるのか、注意深くみています。行政が何もしないのなら、このように議会で電子投票条例を廃案にして、全市域で従来からの投票制度へ戻すよう努力します。今の執行部はズルすぎるのです。

    電子投票条例を議会が廃案にしても、そのことに関しては秋葉市長は何も触れず語りません。4年の間に、何故、このように変身されたのでしょうか。時代の流行(ハヤリ)にだけ乗り、選挙で当選することだけしか頭になく、広島市の将来のことや、市民生活の安寧への思いは念頭にないのです。

    悲しい現実ですが、秋葉市長の抽象的な言葉遊びだけが今の秋葉市政のように感じられるのですが、皆様はいかが感じられていますか。暖かみのある広島市の都市像を明確に示してほしいものです。




(※6月13日追加(市長選に臨む、秋葉市長の政治姿勢))
    「市長選に臨む、秋葉市長の政治姿勢」というタイトルの手紙を戴きました。共感できるところがありましたので、私の意見も交えて紹介させていただきます。

    今年度、市長が特に力を入れている施策は三つあるとのことです。一つは「都心の話題づくりを中心とした都市活性化」であり、もう一つは「子どもの安全と安心」、そして「市民活動の支援」ということですが、これらはいずれも市長選挙を意識した市長自らの指示であり、話題づくりであるとの指摘です。

    確かに「都心の話題づくりを中心とした都市活性化」とは、いかにも市長の考えそうなことです。インフラの整備には手もつけず、『話題づくりだけの都市活性化』とは実に言い得て妙です。裏を返せば「話題だけでいい。予算が必要で議会での議論が必要な事業は何もするな」と市職員に発信しているのと同じです。

    何もする意思のない市長ですから、議員、市民が個別、具体的に批判しても、「豆腐に鎹(かすがい)」「糠(ぬか)に釘」の有り様です。市長には広島市を思う気持ちも心も行政能力もゼロの証だと言っても過言ではないと思います。

    『話題づくりだけの市民活動の支援』は、広島市政に関わりのある市民が市長の選挙活動のためになる事業を積極的に行うことだけを意図しており、NPO団体のチェックは市長支持が鮮明な民間人が行っているようです。その結果で、市長が支援の良し悪しを決めるというスキームになっているようであり、そのことは関係者の間では公然の秘密になっているとのことです。

    もう一つ、「市民本位の市政」と「市長本位の市政」との対立が市政の現場にはあるようです。『市民本位』とは、基本的にはコミュニティー活動の日常化、恒常化が必要です。もう一方の『市長本位』とは、先にも述べたとおり話題づくりであり一過性のイベント行政です。恒常的に一つずつ、積み重ねて市民コミュニティーを活性化させる思いは、今の市長の広島市政に対する発想の中には全くなく、平成19年2月初旬の市長選挙に勝てばいいという個人の欲望だけのようです。

    例としては6月4日の「ごみゼロ・クリーンウォーク」です。主催者発表では参加者は5,600人だそうですが、実数とは違うのではないかと思われます。ボランティアの市民だけでなく企業参加者が多くあったようですが、市内19ヶ所の地点から「ゴミひろい」をしながら基町中央公園まで歩くイベントのようです。

    このイベントにも前を歩く人と後ろを歩く人がいます。後ろから歩く人は前のグループが既にゴミを拾っていて、拾うゴミは無く、毎年、無駄なイベントの繰り返しになっているようです。参加する人達の評判は悪く、今年は去年より参加希望者が減少のようですし、動員された各種団体も本心は参加したくないのが実状のようです。本庁から区役所へ、区役所から各種団体へ、各種団体から町民へと単なる連絡網の再構築と再確認だけの形式的なイベントになっているようです。

    また、今年の「ゴミ拾い」のイベントは、各区役所にとって市長に対する忠誠心を試す踏絵のようなイベントであったようです。その上、ゴミ拾いに必要なグッズは企業の寄付で賄っているようです。ゴミもその大半はタバコの吸殻であり、これは市民マナーの問題のはずなのです。

    このようなイベントをするよりは、市内70の公民館が町をきれいにする拠点活動計画を作成し、地域コミュニティーの活性化に繋げる施策を模索することの方が、地道ではありますが花も実もある施策になるのではないでしょうか。地域に立派に根付く、「クリーンシティーキャンペーン」と「クリーンタウンキャンペーン」を計画すべきではないでしょうか。

    「ゴミ拾いに必要なグッズは企業の寄付」とありますが、同じようなことが「子供の安全と安心」施策の実施にもあり、他人に頼りっぱなしの行政の情けない姿があります。施策の実施状況の中では「子どもの安全と安心にも話題づくりだけでいい」との現実があります。

    秋葉市長は、広島市子どもの安全対策推進本部長として「ボランティア用ジャンパー」の恵与をあちこちにお願いをしておられるようです。費用は、一着あたり1,500〜2,000円程度になっており、そのジャンパーには企業のロゴの印刷も可能とされています。その数は、30,000着が目標のようです。単純に民間に頼る費用だけでも4,500万円〜6,000万円となります。

    この依頼を受けた多くの市民や企業、団体の中には、「秋葉市長は、民間にジャンパーを作ってもらい、ボランティアに配布すれば『子どもの安全と安心』事業も終了だと思っているのではないか」との疑問を持っておられるようです。

    『形』から事業に入るのも大事な手法ですが、市長、行政は『形』(ジャンパー)が出来れば、終わりだとお考えではないでしょうか。そうだとすれば、まさに話題づくりだけの施策です。次の世代を担ってくれる子どもたちの安全と安心を確保するための広島市の18年度予算は新規事業で、『子どもの安全対策推進で総額6,900万円』しか予算計上しておりません。この予算内訳は、市の一般財源4,639万円にしかなりません。

    民間には6,000万円もの物品の要求をしておりながら、なぜ、広島市長の子どもたちに対する決意は4,600万円しかないのでしょうか。まさに話題づくりだけの施策のようにしか見えないのです。なぜ、広島市自身がもっともっと我が身を削らないのでしょうか。

    秋葉市長になってからは、多くの事業で経済界や市民、各種団体への依頼と依存で、事業の結果がよければ市長の手柄で、悪くなればあなたたちと責任転嫁をすることになっているのではないでしょうか。

    新球場建設という広島市民の夢の事業についても同じことが言えます。本当に必要なものは、行政自身が最大限努力して金銭は惜しまない工夫をすべきであり、何もかも簡単に他人に頼る考えは間違っていると思います。広島市行政の自立を強く望むものですが、皆さん、いかがお考えですか。