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(No.176) 平成18年5月18日

『新球場建設の経緯とコンペの経過について』


   ここに、新球場建設に係る経緯及び新球場設計・技術提案競技の経過を簡単にまとめた資料があります。


   この経過を眺めながら不思議に思うことは、広島市の実施した『提案競技』とはいかなるものであったのか、ということです。常識の範囲からすると、コンペというものには当選作品が存在し、その当選作品は著しく条件に反しない限り大切に扱われ、コンペの成果に沿って作品製作に入る、というものだと思います。

   この度の「広島市新球場設計・技術提案競技選考委員会」の委員選任にあたっては、世間受けするような人物に依頼し、選考委員長まで民間人に委嘱され、このようなコンペの方式があたかも公明正大で一点のくもりのない公平な選考方法であるかのように市民に思い込ませ、会議を積み重ねられました。その上、市民受けするように第4回目の選考委員会をわざわざ東京に出向いてまで開催し、条件を付してまで最優秀案を決定したのです。

   広島市の行政執行の流儀なのか、秋葉市長の個性の現われなのか定かではありませんが、今回も行政の中では誰も責任を問われなくていい結果を発表され、「時間と経費の無駄使い」の無責任さを市民の前にさらけ出し、約6ヶ月におよぶ真剣な議論が吹っ飛ぶ、むなしい結果だけを残したのです。


   最優秀作品を広島市は採用しないとの経過説明において、その「理由」と「責任」をこの度は、広島東洋カープ球団に押し付けたのです。コンペの主催者で新市民球場の施主である広島市の責任ではなく、民間の広島東洋カープ球団の意見を聞き入れて最優秀作品を不採用にし、完全に「民」に責任転嫁するような一方的な意思決定は、市民の公僕である行政人やその最高責任者は絶対に取るべきことではないのです。結果として、そこには「官への不信」だけが残るのです。

   本来、コンペというものには当選作品と優秀作品があるものであり、必ずアワード(賞)があるはずです。今回の広島市のコンペ条件を見ると、当選作品や優秀作品に対する報償はなく、またその扱い方の約束ごとや条件が一切ない変則なコンペでした。行政がやるコンペだから報償はない、その扱いも経過をみて行政が勝手に決める、という誠にずさんなコンペでした。

   このようなコンペに応募したゼネコン各社が、あまりにも欲が深いのか、とも思われますが、それより別に何か行政からの大きな『圧力』があって、仕方なくお付き合いのコンペに参加したというのが真相ではないでしょうか。官においてのみ意に沿うような仕組みをつくることがまかり通り、もし今回のコンペが防衛施設庁の官制談合事件が起きず、広島市の筋書き通り無事成立していれば、このことこそ広島市における『官制談合』そのものであったはずです。

   この度の各企業体の作品の製作には2000万円とも3000万円とも費用がかかったと聞いています。採用作品となる夢が一瞬のうちに消えてしまい、あとには何も残らなかっただけならまだ我慢できますが、全作品と各企業体には「不名誉」という肩書きが付くことにしかならなかったのではないでしょうか。大変残念なことです。

   広島市は懲りもせず、設計だけのコンペをされるようですが、当選作品には必ず報償をつけるべきであり、それが競技を開催する主催者の常識です。広島市だからとか、行政だからということで、報償制度や作品の取り扱いの約束ごともないようなコンペは今回限りで止めにしなければなりません。市長をはじめ行政の皆さん、社会常識をまず最初に勉強してください。

   ひとつの例ですが、全世界が夢見るオリンピックも「金、銀、銅」と入賞というアワードがあるのです。名誉と富を求めて活動するのが自由主義社会であり、競争社会なのです。

   今回の新球場建設コンペの悲しい幕引きの責任を、「広島東洋カープや松田社長が了承しない」ということで、球場使用者である「民」に転嫁したのであれば、つまりコンペ作品に賛意を示さなかった広島東洋カープの責任でコンペを流したとすれば、次回のコンペは実施せず、「広島東洋カープ案」をカープ球団に提示してもらい、これを市民、有識者、専門家、行政、経済界、政界等々みんなで議論する方が、結論を早急に出すには一番いい方法ではないでしょうか。

    ここに鹿島建設の月刊誌に掲載された『楽天』宮城県営球場のリフォームの完成図を転載させていただきます。冬の厳しい仙台でシーズンオフの間の2年間で30億円、40億円の合計70億円の投資金額で見違える明るい球場に変身しています。球団再編の問題が起き、新球場建設の課題が市民の大きな夢として浮かびあがった時期は、仙台も広島も同じです。何故、広島市はこのように遅れ、メドが立たないのでしょうか。カープやカープファンや市民の責任ではないのです。全て、広島市行政と行政責任者のやる気のなさが原因ではないでしょうか。

    議論ばかりして、責任を民間に転嫁するような今の広島市の行政では新しい決断が必要な施策は到底何も出来ないような気がします。
皆さんはいかがお感じですか。



(仙台フルキャストスタジアムの写真)

<第1期工事終了時>
第1期工事終了時

<以下、第2期工事の概要>
第2期工事の概要

第2期工事の概要

第2期工事の概要

第2期工事の概要

(※5月24日追加1(ノンフィクション作家迫勝則氏の寄稿))
    5月14日の中国新聞「今を読む」に、ノンフィクション作家の迫勝則氏が『広島の都市ブランド』『禍根残さぬ球場移転を』という記事を寄稿されていました。

    迫勝則氏については、以前にも紹介しましたが((No.52)平成15年6月13日『元マツダ幹部の体験記』)、1969年にマツダに入社、宣伝部に配属、PR誌編集部長をきっかけにサラリーマン作家としてデビューされています。本社海外事業総括部長やグローバルマーケティング本部主幹などを歴任し、フォード体制下での「早期希望退職」に応募、退社後本格的な執筆活動に入り、スポーツエッセイなどを発表、主な著書に『ひろしまにカープはいらなのか、カープ主砲論を語る』『さらば、愛しきマツダ』等々、多数の著書があります。

    中国新聞への寄稿文は、迫氏の経験、知識、見識に裏打ちされた行政の意思形成過程への警鐘として受け止めなければならない発信であると思います。
    要旨を紹介させていただきます。

   まずは、歴史の側面からの分析ですが、「アメリカ軍による原爆投下の直下で、奇跡的にその骨格を残すに至った旧広島県産業奨励館(原爆ドーム)。その後の復興に際し、市民の心の支えとなった「おらがカープ」の本拠地・広島市民球場。その生い立ちの異なる二つの建物の組合せが、広島市の原風景となった。」と短い文で的確に歴史表現をされています。まさに広島市の都市ブランドの原点であると思います。

    次に、不調に終わりましたが新球場建設コンペに至るまでの経緯です。「昨年、官民で構成された新球場建設促進会議では、いったん現在地での建て替え案が採決された。しかし、施工主の広島市は、突如、ヤード跡地への移転へと舵取りを変えた。」とプロ野球界再編の話題から突然起きた新球場建設の経緯を分かりやすく説明されています。

    続いて、「もし万が一にでも、この広島市の原風景を変える重大な決定が、都市の『あるべき姿』論を逸脱して、別の理由で行われたとすれば、これは取り返しのつかない歴史的禍根となる可能性がある。」と、市民周知の議論の上での貨物ヤード移転ではないことや、計画的なインフラ整備のメドの立っていないままの無責任な政策展開に対する警告を発せられています。

    また、「新たな都市ブランドの構築は並大抵の努力ではかなわないからである。現代の都市ブランドは自然発生的には生まれない。そういう意味で、今回の移転計画に関する広島市の責任は極めて重い。」とありますが、都市は人間と同じ生きているもので過去と現在と未来のその都市に備わった自然の流れの中で形成していくべきであり、その流れを変えることの責任は大変重大なことだということを、再認識してほしいとの伝達であると思います。

   さらに、「地区ブランドは、自然発生的に生まれたものではない。『ローマは1日にしてならず』である。官で言えば、将来を見据えた長期計画。民で言えば、商店街などの並々ならぬ努力。すべては、そこに住む人々の周到な計画と強い意思の結果である。」とありますが、現為政者の責任の重大さに気付いてくださいとの警鐘であろうと思います。

    結論として「新球場の再コンペも結構だが、いま広島市に求められているものは、特定地区の道路や建物を効率的に建設する公共事業センスではない。平和都市・広島をどのように再構築していくのか。その未来を切り開く力強いセンスが求められているのである。」とくくられています。

    私たち、政治家も、経済人も、行政マンも、広島市民とともに英知を結集し、広島の未来を切り開く何かを見つけ出さなければならないのです。皆さんの知恵が必要な時代ではないでしょうか。

(※5月24日追加2(第三原爆特養ホーム))
    私のホームページ(No.160)平成17年11月25日『第三原爆特養ホームの整備・運営法人の選考について』中の「整備・運営法人の評価結果表」をご覧ください。

   広島常光福祉会の「被爆者に対する配慮や被爆者体験の継承等が計画に十分組み込まれている」の項の10点は感性としか考えられませんが、感性の結果が10点とは、私たちが子供の頃よく使っていた言葉を思い出します。「学校の先生が特定な生徒だけを贔屓にしている」という言葉であり、この項を今冷静に読めば、世間を欺く「贔屓の引き倒し」でしかない一番おかしな項目です。

   次に「経営安定性」の項の5点に、借入金なしの超優良福祉法人が3法人ありますが、常光福祉会はここには存在しないのです。一方、次の項には、行政が取ってつけたような「自己資金が借入金ではなく寄付金による整備」があり、常光福祉会のみ5点のこの項目は常光福祉会のために設けたと言っても過言ではありません。「借入金でなく」とは金融機関の借入枠がないのと同じで、「寄付金で整備」とは第三者の資金を自己資金として運用するのと同じです。両者を見比べると不自然極まりなく、本当は自己資金もなく、金融機関も融資の証明も出してくれる状態になかったのではと疑います。

   また、「整備用地の有償譲渡を希望」5点がありますが、常光福祉会は、当初は譲渡希望ではなかったはずです(市の福祉法人への説明書には、譲渡予定価格は2億円)。いつの間にか有償希望が3法人となっていたのですが、市有地売払いを積極的に行っている広島市は、常光福祉会を第三原爆特養の施設権者として指名したのであれば、施工認可する以前に用地の売買契約を済ませなければならないのではないでしょうか。

   未だに何の作業もしていないのは、本当に広島市の行政組織と常光福祉会の間に何らかの『力』が加わっているのでしょうか。何故ここだけ、これ程甘いのかを市民の前に明確に説明してください。

   矢野の土地の購入価格が薄価と原価との差がいくらあろうと、この土地で、この法人で事業を行うと決めたのは秋葉市長です。1日も早い売り渡しを望むものです。また、常光福祉会には運営資金寄付者を市民の前に提示していただきたいものです。市民の皆さんはいかがお感じですか。


(※5月24日追加3(広島市立基町高等学校))

基町高校の写真

   この写真は、建築家の原広司氏の作品、私たちの母校広島市立基町高等学校です。学生の人気も高く、基町高等学校の平成18年度大学入試結果も合わせてご覧下さい。在校生を初め、教職員、同窓会、PTA、お世話くださった先輩の広島市行政や教育界各位、暖かい声援を送ってくださった広島市民の皆さんのお陰です。

『蟹は甲羅に合わせて穴を掘る』のことわざがあります。器(校舎、学校施設、教職員等)が立派であれば、中身(生徒)も立派に成長します。これからの生徒、先生の一層の活躍を祈ります。

大学入試結果速報


グラフ


(※5月26日追加4(病院事業に係る投書))
   匿名の投書ですので、原文をそのまま掲載させていただきます。行政当局の「無責任さ」と、現在、騒がれている株式会社と公認会計士ぐるみの「粉飾決算」の行政版ではないでしょうか。


病院・投書

   平成17年10月27日の中国新聞には、「経営改革を進めている広島市民病院が2004年度決算収支で17年ぶりに、約2億9千万円の黒字を計上した」と発表されています。

   しかし、平成18年5月20日の中国新聞には『追加残業代2億4044万円、広島市2病院、若手ら259人分訂正――広島市労働局指導』との見出しで、「労働局の指導を受けて、本年度から支給対象に加えたため、年間の負担増は今回の支給分の2倍に相当する4億8千万円になると試算している」と書かれています。

   「市病院事業局によると時間外勤務手当ては、非常勤嘱託の看護士などには支給してきたが、医師については『経験や研さんの場を提供している』などの理由で支給してこなかった」との行政のコメントですが、これが確かであれ、行政は時間外勤務があったことを認めているわけです。

   時間外勤務手当てを支給しないことは不当勤務の強要であり、その結果として、市民病院事業が黒字に転換したのであり、このことは、秋葉市長と病院事業管理者が意識的に強引に黒字転化をもくろんだ「粉飾決算」ではないでしょうか。

   「市病院事業局経営管理課は『財政健全化のため、今後は人命を尊重しつつも、手当の削減に協力してもらう』としている」とありますが、手当ての削減は人員の削減であり、人命尊重を最優先とする市民病院の医師削減がどれだけ出来るのでしょうか。

   合理化と利益追求の接点がどこにあるのでしょうか。経営管理者の良心と手腕の見せ所です。公設の病院も合理化のあまり、医療ミスが続き医療現場の訴訟の数も増え、医師個人と病院に対し賠償判決がおりています。病院事業管理者の功名心だけで、市民病院の黒字化だけを急がず、計画的に着実な合理化を進めるべきではないでしょうか。

   市民病院も病院棟の増改築はほぼ終わり、残りは西病棟の改築と玄関や待合室等エントランス部分と駐車場の周りの工事です。長い間の夢であった、病院改修もやっと目処が立ったのです。この改修計画も計画から完成まで2代の市長です。器(建物、機器)は完成しますが中身(医師、職員)の公平な充実を心から望むものです。