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(No.174) 平成18年3月24日

『市長の発言について』

   3月2日の予算特別委員会(文教関係)で、山田委員が質問した「子どもの見守り活動」についての市長の答弁を紹介します。

   私は本部長として、この呼びかけを職員にした場合には、全員が積極的に協力すると、自発的に言ってくれるものと確信しております。もし、万一、1名でも欠けるようなことがあった場合には、本部長が直接、職務命令とはいきませんが、参加してくれるように説得いたします。

   この答弁で問題なのは、「1名でも欠けるようなことがあった場合には、本部長が直接、職務命令とはいきませんが…」の件です。首長の答弁としては、誠実さに欠け、単なる世間受けするプロパガンダの手法であり、裏を返せば「職員の『生殺与奪の権』は私の手の内にあります」と暗に言っている独裁者の顔ではないでしょうか。

   また、その後3月9日の総務関係の予算特別委員会で、『一連の不祥事の原因・その責任と今後の対策について』における市長答弁でも同じような発言をされています。市長のいつもの手法である自己弁護からですが、いくつか紹介します。

   私自身がまず、モデルにならないといけないと考え、例えば、市長交際費の全面公開、食糧費等の支出につきましては、ゼロということになっておりますけれども、こういうことから始めて職員の良き手本・モデルになるように努力をしてまいりました。

   交際費や食糧費の公開は私たち議会でも同じように透明性を確保しており、何も市長個人だけが公正で透明なのではないのです。

   また、ここで特に申し上げておきたいのは、行政と議会では金銭面(予算)や組織面において大きく条件が違っているということです。議会は単一局であり、行政のように市長のもとに多数の局は存在しません。『局』はそれぞれ年間予算を持ち事業を展開しているのですが、市長の交際費、食糧費がゼロでも各局にはそれに相当するような経費(食糧費等)があるのです。市長の海外出張時にも、経済局や市民局との共同事業を開催し、その費用を担当局からの流用で事業展開しているはずです。

   一般論としてお聞き頂きたいと思いますが、不祥事を起こす市職員には、多くの場合『ある種の噂』がつきまとっている。こういうことが多いというふうに認識しております。
(中略)
   確たる証拠なしに個人を疑うには人権問題ですし、また、刑法でも「疑わしきは罰せず」の原理がございます。従って、これまでは、上司の判断を仰ぐなどの手続きを経て異動の際に配置転換するといった形で対処してきましたが、それには限界がございます。
(中略)
   上司だけの判断で、当該職員を免職等にすることはできません。


   1万2000人もの市職員の一人ひとりに監督・指導・教育を直接することは出来ないのです。その場合、組織で指導・教育(職員研修)するのですが、市長在任7年数ヶ月になりますが、本気で職員の意識改革を断行されたのでしょうか。その気であれば相当な成果が上がっていたはずですが、何かがあった時だけの単なる思いつきと、その場の言い訳と責任回避の繰り返しで今日まできたのではないでしょうか。

   職員が一致協力して網紀粛清に取り組んでくれるよう、さらに努力をしたいと考えております。

   この文は誰が聞いても読んでも、至極あたりまえの文章ですが次の文が気になります。

   そのために、例えば、「飲酒運転をした職員は、事故を起こせば当然ですけれども、事故を起こさなくても免職にする」といったような誰にも分かる内容の条項を柱とするような、服務監理規定の見直しをしたいと考えております。

   前文では「疑わしきは罰せず」の認識を示し、人権問題も提示されていながら、ここでは、市長は簡単に『免職』の言葉を出しています。もちろん飲酒運転は悪であり、それなりの解釈をされたのでしょうが、それにしてもこのような短絡的な思考では、一人の非情な独裁者と思われても仕方ないのではないでしょうか。いかなる理由があれ、『免職』という言葉は人権と生活権を同時に奪うことであり、軽々しく口に出して言う言葉ではないはずです。

   市役所内の腐敗を一掃するためには、残念ながら司直の力を借りなくてはなりません。

   司直の力を借りなくては職員の管理が出来ないとは、7年もの間、職員研修にどのような指示を出されたのですか。「司直の手」にかかる以前に自浄努力の明確な指示を出すべきですし、何故、自己責任を回避されるのですか。市民に分かるように今までの研修方法や研修提案を公表すべきではないでしょうか。

   次に、議会人として理解に苦しむ言葉があります。情報の漏洩の項です。
   もう一つ、服務規定の内容等に反する行動の内で大きな問題となっているものを挙げておきたいと思います。それは情報の漏洩です。競輪の事件も情報の漏洩の一種ですが、これは刑法に触れますけれども、それより大きな文脈における情報の漏洩も考えていただきたいと思います。

   市民の皆さんへの情報は原則公開するというのが本市の方針ですが、ある一定の時期まで、公開すべきではない情報もございます。しかし、現実として多くの情報が漏れています。

   情報漏洩の目的が誹謗中傷であるようなことが明白であっても、情報が漏れている、といった現実がございます。

   このような形で情報漏洩を行っている職員がいたとすれば、その職員並びにその周辺の環境が不祥事を生み出す温床を作っているということになります。

   まず、「競輪の事件も情報の漏洩の一種ですが…」の件ですが、これは漏洩の一種ではなく漏洩そのものです。このような公序良俗に反するものは絶対に二度と起こしてはならないものです。このことへの首長の対応は徹底的な職員教育や職員の意識改革の積み重ねであろうと思います。事件が起きれば首長の責任であり、防止のための教育、指摘マニュアルを作るのも首長の責任です。

   「ある一定の時期まで、公開すべきではない情報もございます」とありますが、私たち議員は市民の要望や住民の意思、環境に対する配慮等々、全ての情報をもとに議論して結論を導くのです。市民や関係者との協議が表面に出て来るのが情報の漏洩と定義付けられれば、市民や関係者等との合意形成の努力を行うことは罪となり、官尊民碑の近代国家成立以前の組織形態に変わり、民主主義国家とは真反対の階級社会への階段を一歩ずつ登っているようです。

   情報の漏洩があってはならないのは個人情報とか国家機密情報ぐらいしかないのではないでしょうか。住民と密着して生活している地方行政の中に多くの秘密事項が存在することは不思議であり、そのようなものはあってはならないもので、市民のために透明な開かれた行政でなければならないはずです。

   「一定の時期まで」とは便宜誘導か営利誘導の期間でしょうか。ここは広島市です。今日、発生した事象はその日のうちか、何日かの期間で必ず情報は流れ出すのが血の通った地域の人間社会であり、自然な情報の伝達方法であると思います。自然に流れる情報の管理までに目を配らなくてはならないのは精神衛生上よくないことであり、そこまで情報管理をしなくてはいけない社会構造は階級社会でしかないのではないでしょうか。

   「情報漏洩の目的が、誹謗中傷である…」とありますが、個人情報の漏洩で誹謗中傷が生じることは絶対に許すことはできません。しかし、行政や執行権者の間には個人情報の漏洩はないはずであり、市長の情報漏洩は政策情報の漏洩を言っているのではないのでしょうか。

   市民のため、住民のための情報が秘密でなければならないものは、公序良俗に反するもの以外はないのではないでしょうか。自分自身に誹謗中傷されるようなことがなければ誰が何を言おうが、泰然自若の精神でいるべきであり、そのことが唯一の意思決定者の宿命ではないでしょうか。

   「このような形で情報漏洩を行っている職員がいたとすれば…」ですが、職員一人ひとりが悪意をもって情報を漏洩するようなことはないと思います。仮にあるとすれば、市民と住民と関係者等との合意形成の過程の話が外に漏れることがあるかもしれませんが、このようなことは罪になる悪意のものではなく、彼等の仕事の一連の作業であると思います。

   人間、特に日本人の発想の中には生まれながらにして人は善人であり、生まれながらにして悪人であるから取り締まりが必要とする性悪説にはなかなか馴染めないのです。

   「私一人が被害者で、議会からも、訳のわからない組織からも理由もなく迫害される可哀想な被害者です」との発信は、行政の決裁権者の心の中にあってはならないのではないでしょうか。

   行政にある情報で公序良俗に違反してない情報は市民共有のもののはずです。情報操作等で市政が混乱することがないよう望むものです。

   この他にも、市長答弁の中で、言葉にすれば何となくニュアンスで分かったような感じがするのですが、文章にすると訳のわからない文章が二つあります。

   市職員の自浄努力・意識が何よりも大切だと思いますが、その努力が実を結ぶための自己完結性に欠けていたという認識がございます。

   競輪の事件も情報の漏洩の一種ですが、これは刑法に触れますけれども、それより大きな文脈における情報の漏洩も考えていただきたいと思います。

   皆さんどう解釈されますか。