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(No.173) 平成18年3月20日

『議会と行政について』

   このところあまりにも目に付き過ぎることに、議会人としては絶対許せないことがあります。それは、行政職員の政治への関与です。議会が終盤になれば必ず起きることですが、行政職員が議員へ「この議案は何とか通してください」とお願いして回っているのです。

   議会は議論し、議決する場です。市長は議案を議会に提出し、行政職員は市長とともに誠実に議会に説明し、議会や市民にその議案を提出する意味を納得させるのが大きな仕事のはずです。

   可・否の判断は各議員がすることであり、可・否の依頼までに職員が口出しすべきではないのです。上司は部下や各職員に「行政とは何か、議会とは何か」を指導しなくてはならないのではないでしょうか。

   国や県など他の自治体では、何故こんなルール違反が起こらないのでしょうか。それは各自ルールに則り仕事をしているからであり、自分達の職務上の限度(やって良いこと、いけないこと)を教えているからです。一番、肝心なことは議会と行政の信頼関係の絆がしっかりしているということです。

   議案の形成過程で、打ち合わせやお互いの勉強、指導など、市民生活に何が必要で何が要らないのかといった勉強や打ち合わせを繰り返しており、成案としてできあがった時にはほとんど合意や意思の形成が成りたっているからです。

   職員、行政の信頼関係があり、市民のための透明性を確保し、日頃議会と行政の話し合いが正常に行なわれていれば、市長の言う談合に繋がることはないのです。秋葉市長が「議会との打ち合わせはしなくても良い」と行政を厳しく指導したとの結果が、このようなルール無視の現場を作ったのだと思われます。

   提案したものはどうしても可決してもらわなければ市長のご機嫌を損なうし、議会に行けば合意のとれるような議案でもなく、どことなく偏った議案の提出になり、市民には議会と行政が綱引きをしているような誤解を与えているのです。

   行政と議会の信頼関係の再構築を望むものですが、まず首長の政治姿勢の改革が望まれるのではないでしょうか。何故なのかは、議案提案権(提出権)は首長にだけ有り、市民の皆さんが理解しているような権限は地方議会にはないのです。

   国は議院内閣制、衆議院議員だけが総理大臣になれるのであり、このことが地方議員と首長との関係との大きな違いです。地方の首長の権限が大きすぎるので、首長の人間性が大きく地方行政の表面に出てくるのです。繰り返し言うようですが、市民の皆さんは議会と首長・行政との関係をよくよく理解され、首長の人間性の大切さを認識してください。

   3月17日の日本経済新聞に広島新球場建設の記事があり、「設計・施工業者を決める選考委員会の伊東豊雄委員長は、『残念だが、残った1グループが該当しないわけではない。計画通り公開プレゼンで審査する』と語った」とあります。

   市側も19日に委員会を開催し、委員会の結論を持って20日には広島市の意思を決定すると何度も答弁されています。その時点では応募企業体は4企業体であり、今回のプレゼンテーションは1企業体です。委員長をはじめ多くの委員の皆さんが出席されていたはずの委員会で結論が出ないのでしょうか。何故、提案が4企業体での委員会では結論が当日には発表出来て、今回の1企業体では結論が持ち越しなのでしょうか。

   下種の勘繰りをしますと、4企業体の中には市長の意図した案があり、1企業体になれば意図した企業体がなくなったのではないでしょうか。もしそうであれば、これこそ「官製談合」か、官指導の何か黒い紐が付いていることになりはしないでしょうか。そのようなことは絶対にないことを望むものですが、この度のコンペは「何故?」という疑問符が、何故こんなについて廻るのでしょうか。

   広大跡地利用の結論出しの問題も、新球場建設の結論出しも、何も結論が出せないようで議会が終わった28日以降に持ち越しなのです。このことの結論は行政、市長の決断が必要であり、市長の責任において結論を導き出すのが首長の仕事ではないでしょうか。

   「善いことは私、悪いことは貴殿」の責任転嫁の権化のようです。本当に市民に分かりやすい政治を行いたいものです。

   確認いたしますが、今回のコンペで残った1企業体が出した案を行政指導で90億円以下の建設費で再提案させることがあれば、これこそ官製談合であり、コンペの価値もなくなるはずです。私のホームページでも述べましたが、(株)竹中工務店は若草町での再開発を『オリックス』と一緒に手掛けています。

   「梨下に冠を正さず」の古事にあります。首長の仕事は公明正大でなければなりません。市民にわかりやすい結論が必要なだけなのです。


(追伸(『改革病』について))
   『ニューズウィーク(06.03.15号)』の『Tokyo Eye』のコラムに、権容爽(コン・ヨンソク)一橋大学専任講師が、現在日本国民が呪縛にかかっている「改革」という世論の流れをわかりやすく解説されています。

   政治から財政、教育、プロ野球にいたるまで、今はまさに「改革の時代」。「改革」という言葉はまるで水戸黄門の印籠だ。誰も反旗を翻すことはできない。改革や革新、改正といった言葉の乱舞を目のあたりにすると、日本社会には「改革病」が蔓延しているように見える。
(中略)
   何を、なぜ、どのように変えてほしいのかという本質的議論が欠落したまま、言葉だけが独り歩きしてしまった。
(中略)
   韓国では今、改革疲れが出はじめている。一度「改革病」にかかると、どこでやめたらいいのかがわからない。変えないと停滞しているように感じられ、変えれば軋轢が生じたり、大切な価値観が失われる。そしてまた改革に走るという悪循環に陥るのが改革病だ。
(中略)
   この病から抜け出すには、まず「変えない」という選択肢があることを認識すべきだ。既存のシステムを信用し、弾力的に運用することで社会に柔軟性が生まれることもある。「無事猶成事(何もしないことが私のすることだ)」という禅の教えのように、時代に流されることなく悠然と構えてはどうだろうか。
   まさに全力で走り続け、疲れ果てている姿の日本人の身体と心を見透かされているように思えます。「私たちは○○を変えない」との覚悟は現代人として大変勇気のいる決断であるように思われます。

   しかし、この言葉を自信を持って発言できるのは、私たち日本人だけではないでしょうか。日本国民も、広島市民も広島市職員も経済界も政界も、伝承すべきもの、継承すべきもの、急いで改革しなければならないものと、時間をかけて少しずつ改革すべきものなど、選択、判断してわかりやすく説明することが必要です。

   職場にも、家庭にも、地域社会にも少しずつお互い理解を得ながら譲り合う心が芽生えれば、日本国民の伝統を受け継ぐ落ち着いた社会、家庭ができるのではないでしょうか。少しずつ改革していく日本人特有の「ゆとり」の精神文化をもう一度思い起こしてほしいものです。