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(No.169) 平成18年3月6日

『子どもの安全対策と心の教育について』

   3月2日と3日に予算特別委員会の文教関係審査が行われました。今年2日間審査となったこの審査では、2学期制の導入や基礎・基本の学力向上についての質疑が繰り広げられましたが、中でも多くの質問項目に上がったのは「子どもの安全対策」です。本市でも昨年11月に発生した矢野西小学校児童の悲惨な事件は記憶に新しく、この事件を教訓とした子どもの安全確保は大きな課題であり、学校、家庭、地域をあげての対応策は講じる必要はあると思います。

   しかし、メディアを含め、あまりに過剰に反応しすぎているのではないでしょうか。「安全」に一方的な反応をするあまり、本来子どもたちが身に付けなければならない大切なものが蔑ろになりはしないかということです。「見知らぬ人に関与しない」ことが当然のこととして身に付き、「人を信用しない」ことが当たり前の人間形成に繋がるのではないかと心配しているのです。

   例えば、通学路で「本当に困っている人がいれば声をかけて助けてあげる」「道を聞かれれば親切に教えてあげる」「見知らぬ人であっても元気で気持ちのよいあいさつができる」…そういった優しさ、正義感、他に目を遣り、思いやる心を醸成させることの方がはるかに大切なことではないでしょうか。

   当たり前のことを当たり前にできる人間になるための基本は、日常のこうした心の触れ合いから身に付くものだと思います。もちろん昨今の社会情勢の中、危機管理体制を強化し、子どもの生命と未来を守るために、これまで以上の安全対策を否定するつもりはありませんが、強化するにしても学校教育全体の中でのバランスを考慮しなくてはなりません。


   こうしたことから考えると、「こどもの見守り活動10万人構想」の規模や態勢には懐疑的にならざるを得ません。「10万人」とは、一人一人に目を配れるようにということで、小学校と中学校の児童、生徒を単純に合計されたようですが、関係者が真剣に議論された上での合意ではなく、最近の行政がよく使う世間受け、マスコミ受けする派手なパフォーマンスにしか過ぎません。

   本来の行政の姿は「子どもから大人まで、地域社会から企業まで」、全ての市民に信頼されることが一番大切なことであると思います。行政の「受け」だけの言葉は朝令暮改の繰り返しとなり、「標語」だけがバブルのように消えていく信頼のできないものとなってしまいます。行政施策は物品を売り買いするためのテレビコマーシャルのようなものではなく、確実に市民に信頼と安全、安心を与える誠意と熱意の繰り返しでなくてはならないのではないでしょうか。


   こうしたことからも、人間として基本的な「心の醸成」が「安全」の前に掻き消されはしないか心配になります。特別委員会の中では、森本委員が藤原正彦氏の著書『国家の品格』を引用されながら、「国際化のために小学校のカリキュラムに中途半端な英語教育を導入するよりも大切な日本語を教え、人間としてまともな思考ができるようにすることが重要ではないか」との意見を述べておられました。

   
「安全」の問題とも相通じるものがあると思いますが、敢えて日本人の心、情緒、人間らしさの重要性を声高に言いたいのです。安全緊急アピールやメディアの過剰反応に煽られて、本来の姿を見失うのではなく、今一度原点に返って日本の教育を見つめる時だと思いますが、皆さんはいかが思われますか。