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(No.161) 平成17年12月1日

『平和大通りの平和の門について』

 
11月19日(土)の中国新聞の社会面に「20年で樹木21種220本消失(平和大通り)」との大きな見出しがありました。広島で生まれ、育ち、昭和20年8月6日に被爆した者にとって、久しぶりに戦災復興の歴史を再認識させてくれる記事でした。

  平和大通り(100m道路)は、戦前、市中心部を道路で南北に隔て、南北同時に火の海にならないよう、防火地帯として100mもの空地を「建物疎開」という方法で造りつつあったものです。しかし、原子爆弾により一瞬のうちに市街地全域が焦土と化し、その威力の大きさの中には無力な結果となりました。しかしながら、戦災復興の中で、大きな目玉として後世に残し広島市民の財産になったものであり、当時の為政者に多大な敬意を払うものです。

  広島市政を預かる人は、この世界初の被爆都市の『心』と平和大通り(100m道路)の樹木の願いや戦災復興の歴史を心に止めてほしいものです。平和大通りは、被爆者、広島市民、近隣市町村や全国から寄せられた広島の復興を願う善意の樹木や苗木が、広島市の復興と共に育った生きた証です。



湯来の森(全景)
(湯来の森(全景))

湯来の森(石碑)
(湯来の森(石碑))

 そうした中、歴史の認識のない為政者が、被爆60周年事業として、フランス人作家の「平和の門」を平和公園前の100m道路に突然設置されました。現代芸術(美術)を否定するものではないのですが、広島の心である「原爆慰霊碑」と「原爆ドーム」を60年も見つめ続け、大きく成長した樹木をいとも簡単に伐採できる「心」が理解できかねるのです。

  樹木にも命があります。特にこの平和記念公園の前の樹木には魂があるように思います。そのうえ、地球温暖化が叫ばれ環境保護を第一に考えなくてはならない時に、一本の大樹や老木を市民の議論なしに伐採することがあっていいものでしょうか。



平和大通りの鳥瞰(平和の門設置前)
(平和大通りの鳥瞰(平和の門設置前))

平和記念公園から(平和の門設置前)
(平和記念公園から(平和の門設置前))


平和大通りの鳥瞰(平和の門設置後)
(平和大通りの鳥瞰(平和の門設置後))

平和記念公園から(平和の門設置後)
(平和記念公園から(平和の門設置後))


 樹木を伐採しないで大樹を移植することを選んだ事業ではアストラムラインの白島地区(昔の長寿園)の付近の「くすのき」です。開通時には、郵便貯金ホールやホームテレビ本社付近に美しい景観が蘇っています。


祗園新道・アストラムライン工事の鳥瞰
(祗園新道・アストラムライン工事の鳥瞰)



 このことは広島市の「緑」「樹木」「環境」に対する取り組みの基本であったはずです。広島市の歴史、心をもう一度学んでほしいものです。広島市の平和運動や平和活動の礎は悲惨な原爆被爆であり、派手な格好だけの平和運動ではないのです。地域に根付いている長崎市の原爆被爆対策の方が、広島市の派手な平和活動より、被爆対策への気配りが暖かく伝わってくるのではないでしょうか。

  それから、市長の平和活動の中でたびたび出てくる「広島長崎講座」には長崎市の参加はありません。単に広島市長が使っている講座の名称でパフォーマンスにしか過ぎない講座であり、本来は「広島被爆講座」か「被爆平和講座」であるはずです。

  造語のうまい市長が、広島市と長崎市が肩をならべた被爆講座でないと世間受けがしないことから、行政組織としての長崎市の参加がなくとも、ただ広島市長の思い入れだけの「広島長崎講座」なのです。長崎市と合意された名称ではないことを市民の皆さんは覚えておいてください。

  このような手法は、政治や行政にたずさわる者は絶対に使ってはならない手法であり、ひとつ間違うと善良な市民を騙す手法になりかねない手法であると思われます。こうしたことからも、平和大通りの新しい活用方法を検討されるのであれば、被爆の歴史と広島の心を再認識してほしいのです。

  このことは、本年3月の予算特別委員会で予算修正(削除)されたクリスタルプラザ周辺の道路敷地へのトイレや植栽の整備費(平和の門の建設場所と同じように大きな樹木の伐採)、電気給排水設備の設置の唐突な計画発表と同じです。平和大通りの再構築を市民の理解を得る努力もしないで、為政者の独断と偏見で姿を変えることができると思われることは危険極まりないことです。

  言葉では、「市民や議会にわかりやすく公明正大に説明しており、理解を得るべく全力をあげて努力している」と発せられていますが、唯我独尊(昨年の平和宣言の中で物議があった言葉)の独りよがりは世間には通用しないことであるということを心に刻みつけてほしいものです。




(※12月7日追加1(第三原爆特養ホームについて))
  第三原爆特別養護ホームの整備・建設で行政が一番気にかけなくてはならないことは、高齢化した被爆者の救済を1日も早く実施することであり、そのことを心から待ち望んでいるものです。しかしこの整備・建設に行政が心すべき必須条件は、公正、公平で市民の誰もが納得できる透明性であると思います。


  「原爆」、「被爆」であるからこそ、迅速に処理してほしかった施策で、先のホームページで述べましたとおり、行政が本気でこのことに取り組んでくれていれば、今頃は、被爆者は新しい施設に入所できていたはずです。自分達の都合で遅らせたものを、今になって、『少しでも遅れれば被爆者のためにならない』との「恫喝」は本末転倒の行政の自己過信の表れではないでしょうか。


  「特別養護老人ホーム」について関する記事は2004年3月10日の私のホームページ(No.100)で述べたように、吉島に建設された社会福祉老人「清恵会」の件で公明性、公平性を指摘しております。福祉行政と被爆行政は、弱者保護・救済のためであり、行政は市民が納得できる実施施策を示すべきです。


  2年も続けて、議会で大きな疑問を投げかけられているような福祉行政の実態では、市長が目指している透明な市政運営に繋がるのでしょうか。2年も続けば、「官による利益供与」であり、「官製談合」ではなかろうかと指摘されても仕方なく「外なる圧力」とか「内なる圧力」の存在を暗示させるような仕組みが存在するのではないかと危惧します。分かりやすい行政をお願いするものです。



(※12月7日追加2(職員の教育について))
  2005年11月14日付で、市長が指示されたペーパーを紹介します。
2005.11.14

市長指示事項

○各種行事における市長挨拶、市長講演の原稿作成にあたっての留意事項

1    字体はMSPゴシック体、文字の大きさは11ポイント程度(但し挨拶文の場合は原則1枚で収まるように配慮してください)で作成してください。
   段落冒頭の1文字空けは不要です。段落の始まりは全て左詰で記載してください。
   挨拶等の内容が転換する場合は、段落を一行分空けてください。
   講演原稿は、読み上げ調にするのではなく、講演の要点を箇条書きで列挙する形式にしてください。(講演の場合は、市長は原稿を御覧になられた上で、ご自身が表現方法や内容にアレンジを加えながらお話をされます。)


   最後の( )書きが、今の市職員が市長に対する感じ方や市長への接し方が自然のうちに示された文章であろうと思われます。まさに敬語の連発で、ここまで恐怖政治の風潮が浸透したのかと恐怖さえ感じるものです。

   投書の一部を紹介します。
   広島市が長く寒い冬に突入して、早10年になろうとしております。その間、秋葉市長は着々と身固めを進め、今では自分を奉る人間だけを傍に置き、広島市の発展など全く念頭にないご様子。先日配られた文章に失笑してしまい、あまりの可笑しさに、失礼とは思いながら、お手紙を差し上げる次第です。

   「市長は原稿を御覧になられた上で、ご自身が表現方法や内容にアレンジを加えながらお話をされます。」

   秘書が書いた文章だと思われますが、庁内事務連絡に、ここまで奉り上げた言い回しが必要ですか?まるで、秋葉天皇様ですね。たぶん、日常的な市長に対する周りの人間の言動なのでしょう。
我々下級職員には実害は及びませんが、何となく憂鬱な気分は晴れません。何かにつけ、自分の保身と優越感を満たすだけの目的で、市政を動かしているとしか思えません。職員も意欲を持って仕事ができる広島市政はいつ戻ってくるのでしょうか。


   年が明け2006年2月には湯来ロッジで局長研修があるようですが、局長に対する締め付けではなく、職員一人一人の能力開発をするための自由闊達さと気遣いをする相手は市長ではなく、市民に対してだと認識のできる職員をたくさん育てて欲しいものです。

   12月6日の中国新聞8面に「仕事に『無気力』75%」と題して野村総研の調査結果が出ていました。上場企業20〜30代の若手社員の多くが仕事に気力が出ず成長の実感もない、との記事でした。広島市役所も財政、雇用人数からみますと大企業と同じです。職員のモラルの低下を起こさないよう為政者は心がけることが求められているのではないでしょうか。


 

(※12月8日追加3(秋葉市長の本について))
   秋葉忠利著の1986年出版の「『真珠と桜』〜「ヒロシマ」から見たアメリカの心」と、1988年出版の「『人間の心ヒロシマの心』秋葉忠利編」の二冊を読みました。







   『人間の心ヒロシマの心』は編者ですので、著作の『真珠と桜』のはしがきと、本文の「鎖を断つ」とあとがきのそれぞれ一部を紹介させて戴きます。どうお感じになられるかは読む人の感性ですのでコメントはいたしません。

   唯一私なりにコメントさせて戴くなら、現在、市長が世界に向けて広島から平和を発信していると思っている原点は、カタカナの「ヒロシマ・ナガサキ」であり、アキバプロジェクトの延長でしかないということであろうかと思います。現市政での「広島・長崎講座」もカタカナから漢字になっただけの市長の個人的な学習講座にしか過ぎないのではないかと感じたことです。

 以下、はしがき2ページの文章の抜粋です。
   身近なところでは、大学の教授会がある。空理空論を得意とする学者が大学についての重要事項を議論し決定する場だから、表面だけ見ていると、実に理路整然とした議論が展開される。だが、一皮むくと、議論が始る前から「腹」の決っている同僚の方が多いようだ。議論が必要なのは「アメリカ人は、感情だけに基いた決定をしてはいけないと思っているからだ。自分の気持を正当化する理由を探しているんだ」と洞察力に富むD教授は言う。
   日米間の問題についても、同じことが言える。合理的に説明の付く部分、表面に現れた言葉のやり取りだけを見ていては、本質を見失ってしまう恐れがある。感情に深く根を張った考え方や表立って議論されることの少い暗黙の前提といったことにも、もっと目を向けるべきなのではあるまいか。
   例えば「パール・ハーバー」である。地名であると同時に、日本の真珠湾攻撃を意味する。好い年をしたアメリカ人が身を打震わせて怒り狂うほど、感情を強く刺激する言葉でもある。
    その理由はいくつかある。まず、どの国においても、戦争は長い影を引いている。一口に「戦争」とは言っても、国全体のあり方から、国民一人一人の存在にまで複雑に関っている事件だからである。大戦争になると、人類全体の来し方、行く末までが問題になる。戦いが終ってから、長い時間を掛け、様々なレベルで、戦争の意味やその背後にあるより基本的問題についての整理が必要になる。だがアメリカでは、第二次世界大戦について、未だに国としての問題の整理ができていない様に思われる。冷静に過去を振り返り、謙虚に反省を加えた結果ではなく、生のままの感情が、戦後もそのまま受け継がれてしまっている。戦勝国であり、また、「自由の守護者」であったがために、戦争中の(あるいはそれ以前の)考え方感じ方が、依然としてアメリカの基本的価値観として通用しているとも言えるのではあるまいか。


 次は、5ページの抜粋です。
   一言付け加えておくと、ここで私の意味する「ヒロシマ・ナガサキの心」とは、単に原爆の悲惨さや被爆者の苦しみ、あるいは、より大きな戦争の悲劇だけを指すのではない。広島や長崎だけに限定される思い″を意味するのでもない。勿論、核兵器や戦争の悲惨さ、残酷さは肝に銘ずる必要がある。その上で、原爆や戦争に代表される「悲劇」あるいは「悪」に直面しそれを超克する努力、その際に現れる人間としての真実をも含んでいる。さらには、より普遍的な価値観、例えば、良い意味での理想主義、平和を願う心、その実現のための不休の努力、責任感等、日本人の多くが共有している価値観や感情まで指しているつもりである。そして、それを世界に向って最も端的にアピールし得るのが「ヒロシマ」であり、「ナガサキ」だと私は信じている。


 次は、本文108ページの「鎖を断つ」の抜粋です。

   その後、倉本さんにお会いしたのは、中国新聞社ニューヨーク支局長今中恒氏を通してだった。笹森さんを訪問してから少し経って、東京での世話人の一人三瓶さんから連絡があった。中国放送東京支社の秋信利彦氏が、私たちのアイデアを広島に伝えてくれた結果、中国新聞ならびに中国放送がスポンサーになってくれるかも知れないというニュースだった。詳しいことは、中国新聞ニューヨーク支局からの連絡を待つようにとも書いてあった。
   今中氏からの電話はそれから一週間程たってかかって来た。ボストンまで行くからぜひ一度会った上で詳しいことを聞きたい。その上で、すべてうまく行けば、中国新聞と中国放送が後盾になって作った広島国際文化財団という財団法人がスポンサーになっても良いと考えている――そんな内容だった。それほど詳しい計画があるわけではなし、金額も千ドルほどである。わざわざボストンまで来て貰うこともないのではないか――私にはそう思えたのだが、広島側では初めからもう少し長期にわたって援助をすることを考えていたようである。
   今にして思えば、面接試験を受けたことになる。聞き上手の今中氏を前にして、ついつい日頃感じていたアメリカ社会への不満などを聞いて貰うことになってしまった。同時に、今中氏が、広島からいわば孤立無援でアメリカに放り出され、アメリカ人の持つ原爆観について私と似たような感想を持っておられることにも気付いて勇気づけられた。このプロジェクトの思想的背景などについても一応、心配はないと判断して下さったようである。
   “面接試験”はもう一度、79年の1月に東京であった。広島国際文化財団の金井宏一郎事務局長、中国放送の秋信利彦氏、中国新聞の日山隆司氏と共にその日主に話したことは「なぜ」という点であった。なぜ私が、アメリカのジャーナリストを広島や長崎に招きたいと考えたのか。この点を説明するのも本書の目的の一つだから、ここで改めて繰り返さないが、今考えると、その他にもう二つ大切な「なぜ」がある。
   まず、前にも書いたように、アメリカの友人達の「なぜ」がある。「広島・長崎については十分知っている。それを今更なぜ」という形で出てくることが多い。しかも「十分知っている」は「これ以上考えたくない」の婉曲表現であることも多い。
    それに答えられるのは被爆者の言葉である。同時に、被爆者ならびに広島・長崎の市民が「なぜ」と自問することも大切なのではなかろうか。それは、アメリカやソ連の人々に「何を」伝えたいかという問と表現の関係にある。その後に「どのように」を考えることが、理に適っているように思う――。



 最後に、328ページからのあとがきの文章の抜粋です。

   本書は、私的な日米比較論である。原爆に対してパール・ハーバーを持ち出して事足れりと考えるのが単純過ぎるように、私の感想や解釈も単純過ぎるかもしれない。大きな全体像を描くために捨象した部分が多いからだが、思い違いや誤解があれば、御教示御叱正頂きたい。しかし、私が生活者として見てきたアメリカ像は、それほど特異なものではないような気がしている。例えば、本居宣長の次のような言葉と私のアメリカ観には共通する所があるからだ。
   「まづ異国の書は、何の書もとかく人の善悪をきびしく論弁して、物の道理をさかしくいひ、人ごとにわれがしこにいひなし、風雅の詩文に至りても、とかく我国の歌とはちがひて、人情をばあらはさず、何となくさかしくかしこげに見ゆる也、わが国の物語は、物はかなくしどけなげにて、すこしもさかしだちかしこげなる事はなく、とかくに人情の有のままを、こまかにかきいだせり、すべての人の心といふものは、実情はいかなる人にても、おろかに未練なるもの也、それをかくせばこそかしこげに見ゆれ、まことの心の内をさぐり見れば、たれもたれも児女子の如くはかなきもの也」
   本書もできるだけ「異国の書」的にならないよう努力をしたつもりだが、意余って筆の足らない部分がまだまだ残っているはずである。私自身もアメリカナイズされている以上、数学的な考え方をする機会が多いからである。この点についても御指摘頂ければ幸甚である。
   「はしがき」にも書いた通り、私は原爆だけが特別な悪で、その他のすべてのことが原爆問題に従属すべきだ、とは考えていない。事実、私の知る被爆者の多くが日本の内外で太平洋戦争で犠牲になった人々に思いをはせ、日本の犯した罪を考え、戦争一般に反対し、更に、人間が同じ人間を遇する上での様々な問題について心を砕いている。私もそうした態度を見習いたいと思っている。一言付け加えると、これは被爆者を偶像視しているわけではない。学ぶ対象としての被爆者像を描いたまでで、人間としての被爆者諸氏が、人間的長所も短所もあることは勿論である。
   逆に、マンハッタン計画に参加した科学者批判などは、少々厳しくなり過ぎたかもしれない。一般的に、自分の欠点は分らなくても他人のあらならはっきりと見えるからである。例えば、徳川綱吉について池波正太郎氏は次のように言われる。
   「人間というものは、自分のことはわからない。他人のことはよくわかるんですね。だから他人がなにか言ってくれたときに、お前にそんなことをいう資格があるかと言ってはいけないんです。資格はなくても、他人のことはわかっている。それをきかないと、えてして変なところにいってしまうんですよ。綱吉には、どうもそういう癖があったように見受けられます」
   ただし、行き過ぎがあれば御教示頂きたい。同時に、「他人のふり見て我がふり直せ」もまた大切である。例えばアメリカの平和運動の特徴がそのまま日本の平和運動の弱点になっていることもあろう。アメリカから見ると、日本社会にも多くの不満がある。その他、本書で指摘したことから当然導かれる論理的帰結については、機会があれば筆を改めて論ずるつもりである。
   本書の内容の一部は、『世界』『朝日ジャーナル』『エコノミスト』『新英語研究』などの雑誌に既発表のものである。また「アキバ記者」のレポートや、その反響は、広島国際文化財団発行の『米人記者の見たヒロシマ・ナガサキ』(長沼奈緒子訳)から引かせていただいた。転載を快諾して下さった皆様に御礼申し上げる。
   本書の内容に何か取柄があるとすれば、それは先輩諸賢の行動や考え方を読みかじり、聞きかじっているからに相違ない。それも、生かじりのそしりを免れないかもしれない。たとえば、これは大江健三郎氏あるいは小田実氏の考え方だと明白な部分もあるはずである。学術書ではないので、直接引用したもの以外、特に出典を挙げることは避けたが、非礼にならないことを祈っている。その他多くの被爆者、また周囲から被爆者を支えている人々にも大変教えられることが多かった。それを十分描き尽せない私の筆の至らなさがはがゆいが、直接、被爆体験記等を読まれるよう、おすすめしたい。こうした方々すべて一人一人お名前を挙げて感謝すべきところだが、余りにも人数が多過ぎる。ヒバクシャ・トラベル・グラント・プログラムを全面的に援助して下さった広島国際文化財団(理事長・山本朗中国新聞社社長)と初代事務局長の金井宏一郎氏にその多くの方々の代表として御礼申し上げたい。
   また、私の時間的制約によって、四年がかりの仕事になってしまった執筆を辛抱強くサポートして下さった朝日新聞社図書編集室の山田豊氏にも心から感謝したい。本当のエディターと仕事をする楽しさを十分味わせていただいた。またお忙しいなか表紙のデザインを引き受けて下さった万能の芸術家安野光雅氏にも御礼申し上げる。正にファン冥利に尽きる。
   私事にわたるが本書の執筆だけでなく、本書中にも書いた様々な活動をするため、愚妻べティーと豚児ジミーには大きな犠牲を強いた。英語で被爆の記録を残しておきたいと思ったのは、ジミーがこのまま日本語を憶えずに成長したとしても、日本文化と日本歴史の中で特に大切なことのいくつかは正確に理解してほしいと思ったからだ。幸い、多くの人々の努力によって被爆者たちの生きる姿とその意味を描く英文の記録が増えている。
   最後に一つだけ釈明をしておきたい。外国人ジャーナリストを広島・長崎に招待する事業は金井宏一郎氏の命名によって「アキバ・プロジェクト」と呼ばれている。この仕事が始った1978年、実は父の癌が発見された。善人ではあったが不遇な一生を送った父、特に新聞や雑誌に氏名の載ることを最高の名誉と考えていた父に少しでも親孝行ができればと考え、私はあえてその命名に反対はしなかった。被爆者でもなく・広島の人間でもない者が、被爆体験を人類の体験としてどう継承すべきかという点から、あるいは正当化できるかもしれない。しかし、これは公私混同以外の何物でもない。この機会に改めてお詫びしたい。なお、私自身、これまで「アキバ・プロジェクト」という名称を使ったことは無かったのだが、スペースの制限もあり、「符号」としてという山田氏の意見で、本書では使わせていただいた。
   海外に被爆者の人間的姿を紹介する上で先駆的な業績を残された故金井利博中国新聞論説主幹の遺志を御子息宏一郎氏が継がれた事実から、「金井プロジェクト」と命名されるべきだとも考えられる。あるいは、これが中国新聞社と中国放送全体の志であることから別の名称の方が良いかもしれない。ただし、アメリカでは、被爆者の心を伝えるという趣旨に則って、ヒバクシャ・トラベル・グラント・プログラム(被爆者取材助成計画)で通している。その名称は、必ずしも広島や長崎で受け入れられるものではないかもしれないが、このプロジェクトも新たな構想と名前のもの、高速ギヤにシフトする段階に達したように思う。