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(No.153)2005年7月1日

『収入役交代に係る新聞記事について』

 6月29日の中国新聞に「広島市収入役交代劇〜市長と一部議員に確執?」との見出しが載っていました。この記事について「あまりにお粗末な内容ではないか」との投書がありましたので紹介します。

 けさの「中国総合面」に『市長と一部議員に確執』という記事が掲載されていたが、いささか取り上げ方に疑義がある。記事全体が秋葉市長と一部議員(平野氏)との確執が収入役退任の要因との流れにあるが、議会と首長の対立・確執は、広島市に限らず、よくあることであり、特筆されるべき問題ではない。
 
内部情報が漏れた云々も、どこの行政でも多少はあることであり、特段の理由とは思えない。それにこの程度の提案案件が事前に議会側に伝わっても、別に行政運営に支障があるとは思いがたい。

  むしろ、市長の恣意的な人事こそが問題なのである。いやしくも、行政の長が一議員との確執くらいの理由で、幹部人事を左右するようなことがあっていいものだろうか。もしそうであればあまりに感情的といわざるを得ない。行政トップとしての自覚、識見もなく、首長としては失格である。

  「議員と市長の対立」という構図は、わかりやすい。しかし、そうした「劇場型報道」で済ましてしまえば、ことの本質は覆い隠されてしまう。もっと本質に迫る『冷徹な目』を持つのが、ジャーナリズムではないのか。
 
 秋葉市長の強権的・独善的な政治手法に市の職員は、萎縮し、活力を喪失している。それがスムースな行政運営の大きな障害となっていることも、周知の事実である。市民生活への影響からすれば、その方がもっと深刻である。今回の収入役退任劇は、その一端に過ぎない。それを「対立の構図」で片付けようとする、報道姿勢はあまりに安直、安易である。

  先に議会で否決された「平和コンサート」の開催実行委員会のメンバーに中国新聞社OBが2人も名を連ねている。議会・首長が対立した案件、それも民主的な手続きを経て否決された案件の事業に中国新聞OBが参加すること自体、もはや公平・中立性を欠いた行為である。「OBの行為には関与していない」と言い訳をして見ても、第三者から見ればOBとは言え、「中国新聞」である。あまりに軽率・安易といわざるを得ない。

 いかがですか。実はこの投書は同時に中国新聞あてに匿名で出されていたようです。


(追伸(元駐レバノン特命全権大使・天木直人氏の講演))
 6月28日の広島市議会一般質問で、山本誠議員が元駐レバノン特命全権大使・天木直人氏の講演内容の一部を紹介されました。天木氏は『これでいいのか日本外交』と題して講演されたようです。その一部を抜粋して紹介します。

 私は広島とは縁があって、生まれは山口県下関市なのですが、父親が朝日新聞の地方記者をやっておりまして、私が生まれたときは下関の通信局長をやっていました。その後父親が広島に転勤となり、尾道市の土堂小学校に入学、2〜3年の間そこに通いました。
  また、カナダ大使館勤務時代はテレビで8月6日の記念式典を見ていて、当時の平岡敬広島市長のスピーチに感動しました。平岡さんの後のスピーチは、当時は橋本首相と記憶していますが、官僚が作成した長い文章で、それとの対比で非常に平岡さんの演説が心に訴えるものがあったので、面識はありませんでしたが、「感動しました」という内容の手紙をカナダから送りました。後日、平岡さんが岩波新書から出されていた書籍と一緒に返事をいただきました。
  その後、これも縁でカナダの後にアメリカのデトロイト、自動車産業の街ですが、そこの総領事になっていたときに平岡さんが経済ミッションという形で来られて、そこで初めてお会いしました。
  また、現在の秋葉忠利広島市長がデトロイトに来られて、当時は広島とフォードの関係があったように思いますが、自動車産業が世界的に再編されて、フォードもいろんな形で合理化をしていく、広島市の産業もフォードだけに頼るわけには行かないということで、GMとかダイムラークライスラーを連れて、2日ほど仕事をさせていただいたことがありました。
  私はこの度外務省を辞めるにあたって、政府の政策を批判して、政府・外務省からは敵視され、いろんな誹謗中傷を言われました。そのことを秋葉さんに話したときに、秋葉さんより「人の悪口は一切気にしない。見ることも聞くこともやめて、ほめてくれることだけを聞きなさい」というアドバイスを受けました。
 そうは言ってもそういう強い心はなかなか持てないので、新聞雑誌に少しでも自分のことが書かれているとギョッとして、悪いことが書かれていると非常に気になります。そういうことで広島との縁を申し上げました。

 本会議では秋葉市長も反論されていたようですので、ここでのコメントは控えさせていただきます。

 デトロイトには市議会も同行し、ビッグ3(GM、フォード、ダイムラークライスラー)を訪ね、部品調達や研究開発等の交渉を進めました。天木氏には広島地場産業の振興のため、総領事公邸に広島とデトロイトの強力なかけ橋になる場を設定していただくなど大変お世話になりました。その頃不振にあえいでいた広島の自動車関連産業に新たな道が開けたのは彼のご尽力のおかげです。

 その後、天木氏が帰国され広島で夫婦ご一緒にゴルフをしたのですが、ご本人よりも奥様のほうが数段お上手で、首をひねりながらラウンドされていたのが懐かしく、また微笑ましい姿として脳裏に浮かんでいます。