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(No.150)2005年5月24日

『NPT会議での廿日市市長のスピーチ』

 5月3日に、ニューヨークで行われた核拡散防止条約(NPT)再検討会議において、廿日市市の山下三郎市長が、各国各地から集まった代表130名を前に被爆体験を証言されました。
 山下廿日市市長から、その原稿をいただきましたので紹介します。生々しい被爆体験と、被爆者として心魂を込めた核廃絶の強い意志、そして心底からの世界平和の希求を感じていただきたいと思います。市長の被爆体験の発表は、多くの人々に感銘を与え、拍手が鳴り止まなかったそうです。

NPT再検討会議発言原稿(2005年5月)
 ご紹介をいただきました広島の廿日市の市長の山下でございます。
  世界初の被爆地ヒロシマで被爆し、地獄を体験した者として、また、世界の非核・平和の実現を願う9万市民の代表者として、「2005NPT再検討会議市長会議代表団会議」で発言させていただく機会をいだきましたことに、深く感謝いたします。
  私はヒロシマの西隣にある、廿日市市という町で育ちました。被爆当時、私は15歳であり、旧制中学校4年生の学徒動員として、広島市内の工場で作業に従事していました。
  あの1945年8月6日の朝も同じでした。空には雲一つない、暑い日でした。私は、7時半から製缶工場の天上クレーンで、製品を揚げていましたが、突然、電源が切れてクレーンが止まったのです。その瞬間、稲妻の何十倍もの強烈な光が「ピカー」と走りました。次には「ドーン」という大音響と共に爆風が襲い、工場の屋根や壁は吹き飛びました。
  私は、無我夢中で、高い天上から鉄柱を伝わって降り、防空壕めがけて突っ走りました。防空壕には、ガラスの破片で血だらけの友人や足を引きずる人などが集まっており、みんな家族のことを心配して、パニック状態に陥っていました。
  午前10時過ぎに「広島市内は、新爆弾で火の海だ。各自、家に帰るなり、避難するなりせよ」との命令が出て、私は、工場を出ましたが、そこはまさに、この世の生き地獄でした。
  即死を免れた被災者が、市内中心部から郊外へ向けて、救助を求めて、ドンドン避難していました。みんなおし黙ったまま、男女の区別もわからないほど、真っ黒な顔、皮膚が焼け、裂けて、垂れ下がっています。誰一人として、まともな衣服を着けておらず、上半身は裸で、ズボンは黒く汚れて、しかもボロボロに裂けていました。
  途中、何千人にも及ぶ瀕死の被災者を目の当たりにしましたが、私にはどうしてあげることもできませんでした。こうした方々のほとんどは、その工場で、あるいは逃げる途中、さらには郊外の救護所で、家族とは離ればなれのまま息を引き取ることになります。
  たった1発の原子爆弾の投下で、一瞬のうちに美しい広島の町は廃墟と化し、子どもや高齢者を含む何十万人の市民が命を落としたのです。
  また、原爆投下後、犠牲となった肉親を捜すためヒロシマへ入り、被爆したため、現在も後遺症に悩まされている人も多くいます。
  私も、何度か広島市内に入りましたが、そこは見渡す限り焼け野原で、家も木も電柱も消え、何一つ残っていない光景が広がっていました。わずかに、近代的な鉄筋の建物がところどころ残っているだけでした。その一つが皆さんよくご存知の原爆ドームです。今まで見ることができなかった市内全域が一望できるのです。このときほど、虚しく、悲しい感慨にとらわれたことはありませんでした。
  幸いにして生き残り、現在、こうして元気に市長を務めてさせていただいている私の使命は、市民の非核・平和への願いを実現するため、私の体験を通じて、核兵器の悲惨さと平和の尊さを、世界中の人々に、そして次の世代の若者達に伝えていくことだと思っています。
  将来を担う子どもたちに、焼け野原ではなく、美しい地球を残し、安心して暮らし続けることができる環境をつくり、引き継ぐことこそが今を生きる我々の努めであると思います。
  子どもはもちろん、世界中のあらゆる人々に、核兵器の悲惨さと地球全体に及ぼす驚異の認識、そして、製造・所有することの無意味さを知ってほしいと思います。
  被爆したときは15歳であった少年も、今は75歳になりました。その私が行動できるのも、あと、わずかです。もう、それ程時間もないわけであります。私には被爆70周年はないと言えます。残された時間を反核平和に捧げたい。それが生きた者の使命であります。これまで、全世界の皆さんと、ここまで歩んできた歩みを、止めてはならない、後戻りしてはならないのです。私の歩みは、まだ、途中です。
  2020年までに世界中の核兵器の廃絶に向けて、そして、核の脅威や武力について語る必要がなく、あらゆる人たちが生き生きと暮らしていける世の中の実現を目指して力を合わせて頑張りましょう。
  ここで皆様にお願いがあります。ぜひ、日本に来ていただき、被爆地ヒロシマ・ナガサキの原爆資料館において、原爆の惨状を直ちにご覧いただきたいと思います。核のない未来を検討するためには、核兵器の使用が人類にもたらした悲惨な実態を確認することが必要です。
  ご清聴、ありがとうございました。

 この後、スタンディングオベーションの拍手が鳴り止まなかったのだそうです。被爆者だからこそ、聴取者の心を打ったのでしょう。75歳の山下市長は、スピーチの中で「私には被爆70周年はない」と残された時間を反核平和に捧げる誓いを述べられました。
 私たちも、被爆60周年を、お祭りではなく、厳粛かつ真摯な気持ちで迎えたいものです。