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(No.148)2005年4月14日

『広島平和コンサートについて』

 平成17年度当初予算を審査した予算特別委員会での修正部分の「何故」なのかを私見ではありますが少し述べてみます。

  1回目として、「広島平和コンサート」を取り上げます。市の原案では8月5日と6日に実施、2日合計で4119万円を予算計上していました。市議会では8月5日分の2820万円を削除しました。何故、こんなことになったのかは予算案を提示される、ずいぶん前の市民からの投書です。

 先日8月5日広島市の主催でバッハの「マタイ受難曲」を企画している件ですが、広島市としてはまったく○秘で進めているようです。
 
合唱団は100名程度、合唱連盟とは関係なく広島の岡野先生に依頼してアステールプラザで1月より練習を始めているようです。
  情報としてはドイツに移住している人に依頼して実施するようで、その人は秋葉市長の妹ではないかとの情報です。オーケストラも広響は8月6日佐渡祐指揮で演奏会を行うため無理で、オーケストラは秋葉市長の妹の関係でドイツから呼びソリストを市長の妹で実施するのではないかとの情報です。
  但し、市民局で聞いてもまったく情報を出しません。企画をすべて広島市市民局で進めているようで、合唱団も一般公募はせず、税金で行うのには少々問題があると思います。企画内容はすべて決定していると思います。
  私の感想ですが、何か後ろめたいとこがあるので議会で承認されるまで○秘で進めようとしているとしか思えません。」

※ ここをクリックすると別のウィンドで投書の原文がご覧になれます。

また、別の人からもこのような投書がありました。

被爆60周年事業コンサート情報
  8月5日広島市主催国際会議場でドイツのオーケストラとソリスト合唱団の広島予算は3000万円のようです。このような企画は2〜3年以前より企画しなくては困難で広島市は未だに公表できないと言ってます。もし議会で否決されたらどのように対処するつもりでしょうか。広島の恥です。もう少し事前に議会に承認いただき市民あげて取り組むべきとおもいます。
  8月6日NHKと広島市の共催で佐渡豊指揮で広響と各国から集めたオーケストラと広島の合唱団で平和公園で実施予定で素晴らしい企画と思いますが、平和公園の使用は議会の承認が必要との事で広島市の予算は1000万円のようです。よろしくお願いいたします。
※ ここをクリックすると別のウィンドで投書の原文がご覧になれます。

 
これらの投書から調査が始りました。
 先の投書には「合唱団は100名程度、合唱連盟とは関係なく広島の岡野先生に依頼してアステールプラザで1月より練習を始めているようです」とあります。この岡野先生とは2003年6月29日中国新聞朝刊17ページのなかに「広島ドイツリート協会合唱団(岡野泰子代表)とゲスト歌手の原田康夫前広島大学長がイタリア以外の歌曲やオペラが計16曲を選んで披露する」という文章があり、この岡野先生であろうと思います。

 また、広島平和コンサート2005の開催の趣旨と実施主体は以下のようです。
@ 開催趣旨
   広島市では、広島復興の60年の歴史を改めて振り返り、決意も新たに「ヒロシマの心」を私たち自身が内面化し、広島をさらに美しい都市として次の世代に受け継いでもらうため、また核兵器の廃絶と持続的な世界平和建設のため、様々な被爆60周年事業を展開します。
  今、世界は、ヒロシマの願いとは裏腹に、核兵器の保有、戦争、テロ、暴力、報復の連鎖は止むことを知らず、危機的な情勢にあります。こうしたヒロシマの記憶が薄れつつある今こそ、人類未曾有の経験であった被爆という原点に戻り、新たな希望の種を蒔き、未来に向かう流れを創らなくてはなりません。
  このため、被爆60周年記念事業の一つとして、原爆犠牲者を慰霊するとともに、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けている被爆者と広島のメッセージを発信することを目的に、例年開催してきた「平和の夕べコンサート」を拡充し、本年8月5日と6日の2日間、「広島平和コンサート2005」を開催します。
  5日のコンサートでは、ヒロシマへの思いを共有する世界で活躍している演奏家やソリスト、そして地元の合唱団が参加して、バッハ作曲の「マタイの受難曲」を演奏し静かに原爆犠牲者の冥福を祈り、6日は、「平和の聖地」である平和記念公園から、平和を訴える曲や広島にゆかりのある曲などを交えながら、被爆体験証言や広島市長の平和宣言など、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けている被爆者と広島のメッセージを世界に発信します。
A 主催
  広島平和コンサート2005実行委員会(仮称)
(広島市、NHK広島放送局、被爆者団体、青年会議所等、構成メンパーについて検討中)
 
 趣旨の中で述べられているように「平和の夕べコンサート」は例年開催されており、恒例になっているものを、わざわざ60周年という理由だけで別の催し物にする必要はないのではないでしょうか。

 このことは初めから、バッハの「マタイ受難曲」ありきから全てが始り、この特定したコンサートの理由付けが見つからないので、8月6日NHKの主催の平和の夕べコンサートにかぶせ、別人格の催し物2件を無理やり一つの催し物にして、主催をこれから立ち上げる「広島平和コンサート2005実行委員会(仮称)」にせざるを得ない事情があったのではないでしょうか。

 主催者はNHK広島放送局ではなく、NHKであり、広島放送局の主催事業ではなかったようです。その上、このなかに青年会議所とありますが、毎年、青年会議所はこの時期にコンサートを企画しており、本年はこのコンサートがあるので断られ、そのお返しとしての構成員の予定であったのではないでしょうか。

 次に、8月5日と6日の事業の表を掲げますが、全然性格の違うコンサートです。


「広島平和コンサート2005」の経費内訳

 財政逼迫の時に、何故レセプションの予算(60万円×2=120万円)まで計上しなくてはいけないのですか。行政マンの常識を疑います。

 最後にマタイ受難曲のあらすじを紹介しますので、ご覧下さい。

マタイ受難曲のあらすじ
冒頭合唱
   雅歌の形式を借りて「シオンの娘たち」と「信じる者たち」との対話形式により、これから起こるイエスの受難を歌う。コラールがはめ込まれているのが特徴である。
第2〜10番
   イエスが弟子たちの前で自らの運命を予言する。また罪の女の香油をたらす行為を批判する弟子たちをイエスは逆批判する。聖書の中の弟子たちや祭司長たちの叫びは短い合唱として表現されている。第10番のアルトのアリアではキリスト教的な懺悔の関係が語られる
第11〜19番 最後の晩餐とユダの裏切り
   第11番よりユダが登場し、祭司長達とイエスの売り渡しの密約をする。ソプラノソロがユダをのろうように歌う。第13番より今度は過ぎ越しの話が始り、最後の晩餐へと舞台は展開していく。そしてその際イエスは弟子たちの皆の前でユダの企てを暴露する。ユダの裏切りの暗い場面と最後の晩餐の明るい場面とが平行して進むのがこの部分の特徴であり、それぞれ第18番のレシタティーボ・アコンパニャート、第19番のアリアによりしめくくりがなされる。
第20〜23番 イエスの予言(ペテロの否認と自らの復活の予言)
   イエスはここで自らの今後の運命とペテロと弟子たちが自分を否認し、裏切ることを予言する。調性の異なる2つの受難コラールがそんなイエスを見守っている。
第24〜32番前半 イエスの祈りと苦悩・だらしない弟子たち
   イエスは自らの今後に苦悩している。それをよそに弟子たちは眠りこけてしまうていたらく。テノールとバスのアリア、レシタティーボがイエスのこうした苦悩は甘味と喜びである、と歌う。
第32番後半〜36番 イエスの捕縛
   ここよりユダが再登場し、イエスに口づけをし、それを合図にイエスは捕縛される。その後にそれを嘆くシオンの娘やイエスの恋人などの大合唱が3曲続く。第36番よりマタイは後半に入る。
第37〜44番 イエスの裁判始る
   ここよりイエスの裁判がいよいよ開始される。いかさま裁判であり、なかなかイエスを磔刑とすべき証拠は出てこない。しかしそのうち偽証人が現れ、民衆も次第に煽動されてきてしまう。そしてイエス自身が神の子であることを認めてしまうことにより、民衆の騒ぎも頂点に達し、イエスに殴る、蹴るの暴行を加える。第44番のコラールの冷静な眼がそんなイエスをやさしく弁護する。
第45〜48番 ペテロの否認
   有名なペテロの否認の場面。にわとりが鳴いてイエスの言葉を思い出したペテロははっとわれに帰り、泣き出す。最高の名曲である第47番のアリアがそんなペテロをやさしく包み込み、イエスの大きな愛を歌い上げる。
第49〜53番 ユダの自殺
   ユダが再々登場し、お金に眼がくらんでイエスを裏切ってしまったことを悔いて自殺をする。そのユダの後悔がバスのアリアで歌われる。
第54〜66番 イエスの処刑の確定、イエスの連行
   総督ピラトは自らの判断をやめ、民衆にイエスの運命を決めさせようとする。そして処刑されるべきは極悪人バラバかイエスか、との選択を民衆にせまる。民衆は明確に「バラバを釈放せよ」と叫び、ここにイエスの運命は決するのである。死刑の確定したイエスは茨の冠をかぶせられ、民衆の罵声を浴び、頭を小突かれながらゴルゴダへと連行される。随所に民衆によるあざけりの合唱があらわれる。
第67〜78番 イエスの死
   ゴルゴダの丘に到着したイエスは左右の強盗とともに十字架につけられ、息絶える。彼が息絶える直前にアルトのアリアがイエスへの思いを歌う。民衆や弟子たちが期待したエリヤは現れなかったが、天幕が裂け、地震が起きるなどの奇跡が現れ、民衆は「やはりイエスは神の子であったのだ」と思ってしまうのである。その後イエスの墓は彼が復活しないように封印される。最後に第77、78番の合唱で皆でイエスへのお別れを歌う。「マタイ」はその後のイエスの復活への期待を込めて、ここで終了する。