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(No.138) 平成17年 1月21日
       『秋葉忠利氏出版記念講演会並びに記念祝賀会』


 『秋葉忠利氏出版記念講演会並びに記念祝賀会』開催のご案内状を戴きました。


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 せっかくですが、連休の中日で早くから予定が入っておりましたので欠席とさせていただきます。
 この案内状を読ませて戴き、今頃、何の作意があっての行事なのか、はなはだ疑問に感じる所がありますので率直に感じたままを発信させていただきます。

       

 まず、この本についてですが、私のホームページのNo120の追伸1「市長の出版物について」で、市民からの投書を掲載しました。その内容の一部をもう一度披露しましょう。
 「この本は、市長のスピーチと『平和宣言』が収録されております。本人のスピーチは別として、平和宣言の著作権は広島市のものと思います」と言う手紙でした。改めて、この本の出版日を確認しますと2004年7月7日第一刷発行、著者秋葉忠利となっています。

 昨年の7月に発行された書籍の出版記念祝賀会を、8ヶ月も経過し、書店の店頭からも姿を消した2005年2月12日に行われるというのは主催者にどういう思いがあるのでしょうか。

 改めて、発起人の方々の名前と肩書きを注意深く検討させていただきました。24名おられる発起人のほとんどは代表が碓井県医師会会長の選任なのでしょう。14名が医師会関係者と医師会の友好団体であり、県医師会、広島市医師会、県柔道接骨師会、県歯科医師会、県薬剤師会、県看護協会等々です。その他は広島大学関係や原爆被爆者関係等であり、報道はいつもの通り2社です。

 気になるのは、秋葉市長の後援会関係が2名おられることで、この祝賀会は政治活動の一環になるのではないでしょうか。また、この発起人の中に広島市の職員として市から給料が支払われている人がいます。その方は原田康夫氏で、前広島大学学長となっておりますが、現在は広島市に奉職している特別職の公務員です。

 彼の職務権限は、2つの病院の事業管理者であり、市民病院の増改築の責任者です。原田氏は、市民のため、市政のためにも各病院事業の赤字体質を早急に改善するとのことだけが使命であると思います。どこの病院も人員削減の実態もなく、病院のコンピューター化だけが先行しているようで、原田氏の主張であったはずの人員削減は手付かずです。市の職員が上司の政治活動の場に現在の肩書きを外して名前を連ねることはやってはいけないことだと思います。

 もう一つ気になることは何故、宇田誠広島銀行会長なのかであり、また、新球場建設を万人が期待をしながらハラハラしている一番複雑な時期に、何故、松田元広島東洋カープ代表なのでしょうか。大勢の経済人の中の一人であればまだしも、発起人24名の中の経済人は2人きりで、しかも現在、市民、県民が一番注目をしている2人の行動がこれであれば、利益誘導の形しか見えてこないのです。

 これは、行政が新球場建設費を全額負担するという決意の証明なのでしょうか。松田家の先代、先々代の当主は政治の生々しい表舞台には出られなかったと思います。

 市医師会は安芸市民病院の委託からはじまり、千田町の原爆障害対策協議会等々数多くの施設の委託関係があるはずです。また、広島大学は現在、広島市と協議しながら、3月末を目途に広大跡地利用の構想をつくる作業をしているはずです。すべて秋葉市政のご機嫌とりではないでしょうか。

 広島商工会議所会頭ではなく、宇田誠広島銀行会長としての肩書きとなっていますが、広銀は、広島市の指定金融機関であります。本年4月にはペイオフが全面解禁になります。預金者保護のためにも、経済・金融が置かれている競争社会の原則からしても、指定金融機関は単独の銀行ではなく複数の銀行にしてサービスの競争も視野に入れなければならない時代になりつつあるのではないでしょうか。

 最後に会費の件ですが、1万5千円とあります。私のホームページにも何度か書かせて戴きましたが、市長の視線はもはや市民代表というレベルから遠くかけ離れたところにあり、特別な人という感覚になっているのではないでしょうか。本は定価1600円です。何故、1万5千円なのですか。後援会長やみこし連代表世話人もいらっしゃるのに政治資金規正法に基づくパーティーの表示もないのです。

 この本の「はじめに」のあいさつ文の中には、「本文中でも触れているように本書は被爆者の皆さんへの感謝が出発点です。加えて、被爆者と魂を重ねて活動してきた多くの人々、広島市の職員、特に平和宣言そしてスピーチの起草や編集、通訳に携わった担当者、中でも広島平和文化センターのスティーブ・リーパー専門員に改めて感謝したいと思います」とあります。公然と広島市の職員、特にスティーブ・リーパーとあるのです。この本は、貴殿一人のものでないのです。

 晴れやかな出版記念パーティーになるのでしょうが、市職員の努力の結集であることをくれぐれも忘れないようにして欲しいものです。
最後に、呉市の小笠原市長さんが昨年10月に出版された対談集『新生・呉の出帆』を参考までに紹介します。まちづくりに視点を置いた対談集となっています。少なくとも、特定の分野(人)に偏ったものにはなっていないようです。

      


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追伸(「野中広務…差別と権力」を読んで)

 標題に掲げる本を読みました。今の広島市政と同じような状態が読み取れるものでしたので、抜粋して紹介します。
 野中の怒りの背景には、府の厳しい締めつけに対する反発があった。野中によれば、共産党が蜷川府政への影響力を強めた1962年(昭和37年)ごろから、郡部の町村長に対して、府政に協力するのかどうかの「踏み絵」が始まり、府の地方事務所が農協会長や商工会長、婦人会長などの人選にまで介入するようになった。

 府の方針に従順でない町村長は知事に面会できず、陳情も認められなかった。だが、共産党の町議なら簡単に会えた。そればかりか、共産党の町議が「ちょっと道路を見てくれ」と府に言うと、土木工営所長が飛んできて「ここには側溝をつくります」「ここは舗装します」とすぐに約束したという。

 前尾(繁三郎)は自著の『政治家の方丈記』(1981年、理想社刊)でこう語っている。「(京都府では)地方事務所をはじめとして、あらゆる諜報網を張り廻らせて、即日逐一府庁の中枢に情況を報告させ、われわれ国会議員に陳情のため上京したり、われわれや、私の秘書でさえ事情視察に帰ると直ちにそれが報告され、地方民が陳情などしようものなら、直ちに地方事務所から呼び出しを受けて、叱責されるという、口には明るい民主府政と呼号しながら、ひどいゲーペーウ一(GPU:ソ連の国家政治保安部の略称)式の極端な晴黒府政、恐怖府政が行なわれた」

 「しかも、その建設の基準は事業の適否ではなく、当該市町村の蜷川府政に対する忠誠度や共産党の党勢拡張に対する貢献度なのである。例えば、丹後半島沿岸道路についていうと、これを開通する過程においては極力これを妨害して、私の中央に対する懸命の努力にも拘らず、国に対する予算を減額して申請したり、与えられた予算を返上したりして、妨害して十年もかかって辛うじて竣工したが、開通すると早速それについて知事の顕彰碑を立てさせたのである」(同著)

 「知事、あなたは重大な差別者であります」野中がそう言って府議会で蜷川を激しく批判したのは、府議2期目の昭和48年3月7日のことだった。「今日まで私はいくたびか府の同和行政の過ちを指摘してきましたが、あなたや関係部課長はこのことに一片の反省もなく過ちを繰り返してこられた。あなたがやってこられた同和行政は、子どもがアメが欲しいといえばアメをやり、ゼニが欲しいといえばゼニをやって、黙らせる同和行政です。そして批判を受ければ、今までの約束を無視してころっと変わる。出てきたとこ、出てきたとこに安易に対処し、妥協するという積み重ねが20年行われてきた」

 国道2号高架や指定都市高速道路の予算を計上するかどうかの問題、また、3度にわたる同一の女性助役の提案、さらには公共事業や補助金の見直し、行政に関わる各種委員の人選への圧力など、一部特定の人の利益にばかり目をやっている広島市政に酷似していると思われませんか。