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(No.131) 平成16年11月24日
           
『インフラストラクチャーについて』


 『CF建設業界2004.11』に、「宿命の国土とインフラの宿命(リバーフロント整備センター理事長・竹村公太郎)」という寄稿文が掲載されていました。
以下、抜粋・要約して紹介します。

 戦後、次々と襲ってきた巨大な台風により多くの人命が失われた。国民の命と財産を守ることは至上命令となり、新たに建設された堤防やダムや放水路はその使命を着実に果たし安全性は着実に向上していった。

 今では中規模の洪水は確実に防止され、洪水の頻度は格段に減少し、人々の頭から洪水は忘れ去られた。しかし、この沖積平野は必ずいつか大洪水に見舞われる。それを確率で表現すれば100%なのだ。残念ながら、その大洪水がいつ襲って来るのかが分からないだけだ。

 河川の専門家たちが使用した確率の概念ほど誤解されているものもない。100年確率の洪水というと、一般の人は「100年に一度だけ来る大洪水」と考えてしまう。そして100年などはあまりにも長い時間軸なので、100年に一度ぐらいの災害なら自分には関係ない、と投げやりに思考を停止してしまう。

 100年確率を分かりやすい算数の式で示すと、100分の1=2分の1×50分の1である。この式の意味は、家を新築してその家に50年間住むと、大水害でその家が壊滅的被害を受ける確率は2分の1、つまりコインの裏表の確率で被害を受けるという意味なのだ。

 そのいつか必ず襲ってくる洪水の被害を最小にするため、今を生きている私たちは今やれることを着実に積み上げていく以外にない。先人たちが未来の私たちのために努力を続けてきたように、私たちは未来の日本人のためにその努力を続けねばならない。それが日本の国土の宿命なのだ。社会資本整備つまりインフラストラクチャーの中で「安全」は最も根源的で普遍的なものなのであるから。

 インフラストラクチャーという言葉を辞書で引くと「下部」となっている。つまりインフラとは下部構造、社会の下部構造なのである。社会の下部構造は社会の上部構造を支えている。人間でたとえると、下部構造は足腰である。この下半身の足腰が上半身を支えている。足腰に支えられて上半身は人間らしい活動を実現させていく。文明社会もそれとまったく同じである。

 文明社会の下部構造のインフラストラクチャーは社会の上部構造の産業、経済、文化、芸術、交流、ボランティアなどの人間らしい社会活動を実現させる。この下部構造が弱まれば上部構造を支えられず、その文明は崩壊していく。かつて世界の文明が崩壊していくさまを見ていると、必ずインフラの崩壊から始まっている。

 森というインフラを消滅させて砂漠の中で崩壊していった文明。交流軸というインフラから外れいつか衰退していった文明。それら文明の崩壊でもっとも普遍的な原因が「安全」というインフラの喪失である。

 インフラレッドとは「赤外線」を指す英単語だという。それは可視の波長を超えた光線で不可視領域の光線を意味していた。また、インフラソニックという言葉は、「不可聴音」という意味で、犬などには聞こえるが人間には聞こえない波長の音域を指す英単語らしい。

 インフラとは、存在しているが人間には見えないもので、インフラストラクチャーとは一般の人には見えない構造物、人々には気が付かれない構造物という意味なのであった。人からは見えない縁の下で社会を支えている構造物なのだ。インフラの意味が分かると、今まで分からなかったことが自然と解けていった。

 何故、インフラが一般の人々に理解されにくいのか。それは当たり前であった。何しろインフラは一般の人々には見えない。人々が理解しマスコミが報じるのは見えるものであり、見えないものを理解しようとしたり報道しようなどとは思いも至らないことなのだ。

 しかし、見えないもの、見えない構造物のインフラをどうやって図にするのか?堤防やダムの存在は見えるがそれらが洪水を防御し、水資源を確保している機能は空気のように見えない。道路もそこにあり車はその上を走っているが、その道路は空気のように当たり前で人には見えない。全てのインフラは完成した瞬間から空気のような存在となる。つまり、存在しているけれど見えない構造物なのである。

 以上、私の印象に残ったところを抜粋して紹介しました。いかがですか。インフラを、これまでの概念とは少し違った視点で見れば、未来の私たちの生活を支えていくためには、何をしていかなければならないのか、改めて確認できると思います。

 先人たちが今の私たちに残してくれたもの、そして今の私たちが未来に残さなければならないものは、普遍的で大切なものではなかったのか、今、その場しのぎの発想で改革を訴えることが如何に未来の安全を損なうことになるのか、幅広い議論が必要なのではないでしょうか。

(追伸入札制度について))

 罰則強化を図る独占禁止法の改正案が今国会に提案されるようです。公取委の改正案は、課徴金の算定率を、製造業(建設業など)の場合、現行6%から10%へ引き上げる内容となっています。

 この動きに関連して、競争環境の整備の問題として、現在の入札・契約制度が自由な競争になじまない仕組みとなっていることについても、同時に理解が得られているようです。つまり、罰則の強化を図る前に、制度やその運用の見直しを求めたもののようです。

 自民党は、議員立法で「公共工事の品質確保」に関する『新法』を成立させようとしています。過度の価格競争から懸念される公共工事の品質確保に着眼したものです。

 公共工事を巡るさまざまな課題が取り上げられていますが、価格競争のみという『戦争』が、私たちの社会生活基盤を築いていくために大きなマイナス要因となっていることをようやく認識されたのだと思います。

 私たちの社会基盤をより質の高いものにしていくためにも、発注と受注の過程を見直し、本当の意味で発注、受注という行為が「市場」と呼べるような環境にしていかなければならないということだと思います。『競争』や『罰則』だけが強化され、本来の『目的』が疎外されないよう、『総合評価』を加味した市場形成がなされるよう期待するものです。

(※11月29日追加1(公共工事の品質保全について))

 11月23日発行の経済レポートに、「広島県土木建築部の工事成績評定点――優良、不良工事名を公表」との見出しがありました。
 平成15年度土木建築部所管の工事で、「最高得点は92点、最低点は45点」となったという内容で、87点以上の優良工事と60点未満の不良工事を工事名と会社名を公表しています。

 評点の理由は、「コンクリート打設計画が十分でなく、打設後の状況がよくなかった。施工体制、施工状況が悪かった。配置技術者、施工管理、工程管理、出来ばえが悪かった。施工管理及び品質に問題があった」ということです。

 広島市も工事の出来ばえ、品質等、すべての面で工事を査定し、公表するべきではないでしょうか。公共工事は国民、市民の基礎財産です。ただ単に安ければいいの発想はそろそろやめて、質の保全の面にも大きな目を向けなければならないのではないでしょうか。

(※11月29日追加2(都市再生について))

 月刊誌『春秋』の12月号の巻頭文は、広島県議会の新田篤実議長が寄稿されたものでした。「広島の都市再生」と題し、広島市が今、抱えている諸問題を永年勤続の中区選出の議員の視点で、かつ、広島県議会議長としての視点で、的確に論じられています。
 その一部を紹介させて戴きます。

 広大本部跡地や貨物ヤード跡地に広がる空き地、老朽化した広島市民球場、路線の縮小が続く広島西飛行場。それらは、広島の沈滞ムードの象徴といわれている。広島の都心は広島市だけの問題ではない。広島県、そして中国地方の将来がかかっている。
 
  どのようにして、中国地方での求心力を高めていくのか。その道筋を、どうつけるのか。都市の魅力をつくるためには、人が集まり、人を育て、働き、憩い、住むことができる質の高い都市空間が必要となる。その種地の一つが、広大跡地。

 広島市民球場については、もう待ったなし。球界再編の流れについていけない。とにかく、球場を新しくしないと、カープの存続すら危うくなる。球場を移転という意見もあるが、都心の一等地からは動かせない。便利の悪いところで試合をしても、大きな観客動員は無理だろう。
 
 広島西飛行場は、都市間交通としてどう残すかが課題だ。
 
 いかが感じられますか。財政状態が悪いとか、プライマリーバランスを黒にしなければいけないとか、議論の逃げ口を全て単純に「金が無い」論に摩り替えないで、将来の広島市民のために本当に何が必要なのかを真剣に考えなければならないと思います。

(※12月1日追加3(大衆の目は雪のように白い))

  私のホームページに投書が来ました。「マンネリにならないよう、市民のため、もうひと踏ん張り頑張って欲しい」との激励の添え書きもありました。投書の内容は、中国のことわざを引用した文章ですが、市役所の実情をよく捉えたものとなっており、本人の了解をとりましたので紹介させていただきます。

 中国に「大衆の目は雪のように白い」ということわざがあります。「大衆はよく見ているもので、隠し立てや不正はもちろん、本人の気づかないことも見逃さない」という意味です。地方自治に身を置かれる方は、是非肝に銘じて心にとめていただきたいと思っております。

 今年は台風や地震と、日本中が大きな災害に襲われました。天変地異の出来事も数多く発生し、広島市においても多くの不祥事があり、市職員の逮捕もあり非常に残念な一年でした。

 「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」という古来からのことわざがあります。特に「人の和」ということでは、市職員と市長の関係に幾つかの疑問を持っています。市職員は広島市民の大切な財産であり大切な人材です。市長は、市職員の能力を育み活用する義務があります。このことは市民が享受する権利です。間違っても意欲や能力を失わせ、人間そのものをスポイルするような言動があってはなりません。

 「無能な課長」「辞めたまえ」等々。これは雪のように白い目を持った広島市民が耳にした言葉です。雪のように白い目と心を持った市民は、早朝からあいさつの声掛けをしている市職員の姿を幾度も目にしています。市長や助役の姿はお目にかかったことがないそうです。

 わが国には「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があります。自由と民主主義を何よりも大切にしている日本に北朝鮮から帰った子供たちが、小泉総理が皆と一緒にジュースを飲む姿に驚いていましたが、偉い人ほど礼儀正しいのはわが国の美徳です。

 ついでながら、命令と強制で成り立つ体制はもろいもので、市行政でも同じだと思います。自由に議論して活き活きと仕事する職員の姿は市行政の要で、市長や議員のためではなく、市民のための公僕に徹するべきです。

 今年も残りわずかとなりました。まもなく、12月議会が始まるようで、問題は山積しています。全ての市政関係者が市民の期待に応えられるよう頑張ってほしいと願っています。
 

(※12月2日追加4(日米都市サミットについて))

 11月1日の私のホームページ「今、広島市がすべきこと」で、第1回日米都市サミットの開催費用等について述べました。約2000万円(市民局1274万円、経済局700万)を効果の見込まれない会議に使うのであれば、市民球場建設の足がかりの資金にすればどうか、といった内容です。

 「ひろめーる」の市長エッセイ37号では、「第1回日米都市サミット成功裡に責任を果たすことができました」とし、「この会議を開催するために要した費用も、当初の考え通り以前の形式に比べて、大幅の削減ができました(数億円に対して、今回は約2200万円)」と述べられています。

 この2200万円の内容は、同サミット日本委員会の予算(11市+県市長会=1000万円)を受け入れたもののようですが、全ての事業において予算の透明性が叫ばれている中、第1回日米都市サミットにかかった総経費は本当はいくらであったのでしょうか。

 市民局と経済局の当初予算の額は、それぞれ1274万円と700万円で、合計約2000万円です。これに日本委員会の予算1000万円を加えると、表面に出て来たものだけでも約3,000万円となります。

 会議の運営の他、広島市立大学キャンパスを使っての歓迎パーティー、現代美術館を使ってのサヨナラパーティー、ハナミズキの植樹式、その上、広島平和研究所や広島平和センター等多くの部局がかかわっており、それらの費用も、何がどこでどのように使用されているのか透明にしてほしいものです。

 ホテルからのケータリングでパーティーを開催することは、贅沢で経費のかかるパーティーであり、欧米の貴族趣味の典型ではないでしょうか。このような施設で、市長個人の思いで、飲食まで出来るとなれば市民のパーティーも、個人の結婚式もこれら会場で開催できるシステムにしなくてはなりません。市長には出来て、市民団体や市民には出来ないような公共施設の使用ルールは作るべきではないと思いますが、市民の皆様はいかがお感じでしょうか。

 また、同じ文章の中で、「忙しい中、多くの市会議員の皆さんが参加して下さった」とありますが、何故、今回に限り市会議員の皆さんを文章の中に出して来なければならないのでしょうか。市議会議員は60名おります。オープニングセレモニー(国際会議場)へは約15名の出席で、特筆されているフェアウエルパーティー(現代美術館)への参加者はいなかったとも聞いています。

 国際会議を開催することを全て否定するものではないのです。この第1回日米都市サミットを、なぜ、今、広島市で開催しなければならなかったのでしょうか。北九州市に譲っても本当はよかったのではないでしょうか。広島市の置かれている全ての状況、特に財政状況から見て、「なぜ今」という疑問が残るだけです。市民の皆様はいかがお考えでしょうか。