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(No.116) 平成16年7月6日  『放影研について』

 今年も8月6日がすぐそこにやって来ています。今さらながら歳月の移り変わりの速さに驚きを感じるものです。
 秋葉市長は「核兵器」とか「核実験」とか、「核」という言葉には非常に敏感に反応されます。しかし、私たち被爆者が今本当に望んでいる被爆者医療や被爆者福祉といった地道な被爆者対策にはあまり興味がないように感じるのは私一人だけでしょうか。
 被爆60周年を来年迎えることは市長就任時から分かっていたはずです。しかし、60周年というけじめの年に何をしようとしているのか何も見えてきません。例えば、原爆第3特養の建設の槌音とか、被爆地域の拡大(黒い雨地域の認定)のための活発な活動などが思い浮かぶのですが、市長自らが本気で推し進めようとする気概が一向に見えてこないのが実感です。

 ここに、平成5年12月議会で議決した「財団法人放射線影響研究所の移転に関する意見書」がありますので要約して紹介します。

 昭和61年度に広島大学工学部跡地に放影研の移転予定地を確保するとともに、その隣接地に広島市総合健康センターを設置したところであり、放影研移転後は、近隣の広島赤十字・原爆病院を含め、これら施設が有機的に連携し、一体となって被爆者の健康管理、治療及び福祉の一層の向上が図ら
れるよう整備に努めているところであります。

 平成4年度には、「放射線影響研究所基本計画」が策定されるなど移転計画が進められてきたところであります。しかし、米国側より財政上の制約から、本市が要望している被爆50周年である平成7年の移転実現が極めて困難な状況となっております。
 放影研の移転計画が遅延することは、移転を機に被爆者の健康管理、治療の充実を期待していた市民を失望させるものであり、また、本市の街づくりにも影響を及ぼすものであります。

 以上が意見書の内容ですが、放影研の移転構想には長い歴史があります。
 米国の旧原爆傷害調査委員会(ABCC)が比治山にできてから60年が経過しようとしており、また特殊な日米の財団法人になってから20数年が経っております。その間、国有地の地代を払い、被爆調査、研究を続けているわけです。私の弟も体内被曝しており、旧ABCCのジープで送迎されながら何年も被爆調査に協力をしていたことを今でも鮮明に思い浮かべます。

 昭和55年(1980年)に故荒木武市長が厚生省に放影研の移転を陳情し、国が初めて移転調査費を付けました。昭和61年(1986年)には広島市が広島大学工学部跡地7000.18m2を取得し、検討委員会が設けられ、平成5年(1993年)には広島大学工学部跡地に1200m2の研究所を56億円をかけて建てる案も作成したはずです。
 しかしながら、放影研を所管する米国のエネルギー省が財政難を理由に移転促進の交渉が暗礁に乗り上げました。

放影研移転予定地の図面
              図.放影研移転予定地

 その後、放影研跡地に博物館建設構想を持っている広島市の意向を受けた厚生省保健医療局が、日米の運営費折半の原則を外れない賃貸方式案を用意し日米会談に臨み、その当時は「この案で話を進めるしかないとの感触を得た」とも述べられていました。
 当時の平岡敬市長も「今考えられる最善の案と思っている。博物館構想もあり、市としてはなるべく早く移転してもらいたい」とのコメントを出されています。

 平成16年6月20日の中国新聞の社説に「蓄積を生かして成果を」との見出しで、広大の放射線障害医療についての記事が載せられています。

 被爆地・広島に立地する特色を生かし、研究成果だけでなく社会に直接貢献する実績も挙げてほしい。
 重症の被曝者の治療にあたる全国2か所目の三次被曝医療の地域体制づくりが近く本格化する。
 一方、広島・長崎で幼いとき被爆した人たちの発がん率がこれから高くなるとの予測もある。
 東海村臨海事故でセーフティネットづくりが急務となった。核のテロや宇宙開発で起きるかもしれない事故に備える必要もある。
 研究実績を挙げにくいなど医学界で注目を集めにくかった放射線障害医療だが、ここへ来て学術基盤の進歩、社会的な要請という追い風が生まれた。
 原医研などが、こうした活動拠点として選ばれた背景には、被爆者を中心にした27万人のデータベースや、白血病データバンクなどの蓄積、近くにある放射線影響研究所の存在、職員はじめ、市民の理解が見逃せない。

 以上が記事の内容です。被爆60周年を1年後に迎えるわけですが、一被爆者として、一市民として、「核廃絶」や「核実験反対」の「核」だけでなく、また、今、市長が熱心に取り組まれている被爆伝承の講座、「広島・長崎講座」の各国、各地の大学での開設という世間受けする華やかなものばかりでなく、私たち被爆者は、被爆実態に合った問題を一つずつ確実に解決していただく、地道な歩みを強く望むものです。
 重ねて申しますが、6月20日の中国新聞の社説「蓄積を生かして成果を」のように、被爆者として放射線を浴びた広島市民は、放射線影響研究所、広島大学医学部、広島原爆病院、日本赤十字、そのうえに広島市民病院、県病院等々の協力を得て、広島市が放射線医療、福祉で世界の中心都市になること、そのための人材、組織、データの蓄積等々全てが広島市には揃っていると思います。広島市が被爆60周年に向けて真剣に取り組むことを心から望むものです。
 皆さんはいかがお考えですか。

(追伸広大跡地にかかる県・市の関係))

 広大本部跡地の取得について、広島県知事は「一次的には広島市の方で…」と発言されています。
 110万都市の中心部にある広大な未利用地は、市が責任を持って土地利用を考えるべきというのが根拠のようですが、これまで広島県が「がんセンター」や「県庁舎」で足を引っ張ってきたのは事実です。県の都合だけで急にボールを投げるのはいかがなものかと思うわけです。
 広大本部跡地及び工学部跡地の土地利用は、これまで市が大きな役割を果たしてきています。広島県は、現在の社会経済情勢の中で、是非とも強力なリーダーシップを発揮すべきだと思いますが、いかがですが。

放影研移転予定地の図面
             図.広島大学本部跡地の図面

広島大学工学部跡地の図面
             図.広島大学工学部跡地の図面