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(No.108) 平成16年5月12日 『南観音橋の開通について』

 5月9日、午前9時から地元町内会主催の南観音橋渡り初めの祝賀会が開催されました。広島市主催の渡り初め式(5月15日)より1週間も早い地元行事でした。南観音小学校のマーチングバンド(昨秋広島代表として全国大会に出場し東京ドームで行進した児童50名)を先頭に、南観音1丁目公園をスタートし南観音橋を渡った地元住民の顔からは、心底この開通を心待ちしていた「証」が感じ取られました。
 公共事業が本来の必要性からかけ離れた議論が行われている中、取り残された地区の利便性の確保や、地域全体の発展・活性化に一番必要なものが何であるのか教えてくれた開通祝賀行事であると思われます。

 この南観音橋を通過する吉島観音線は、昭和27年3月にデルタ地域を中心に都市計画決定された26本の道路の一つです。駅前観音線(空港通り)との接続点で終わりになるわけですが、本来なら延伸して庚午、高須で、国道2号バイパスにタッチし、西部方面の渋滞緩和に資する補助幹線道路でなければならないと思います。
 このことは、平成2年6月末まで建設省都市局から広島市の助役として派遣されていた椎名さんが本省へ帰るとき指摘していました。また、未解決のまま残されてきた国道2号高架の延伸をどうするのかという思いの中、国道2号高架の工事を最小限の渋滞被害で進めるためには昭和27年に都市計画決定されたデルタ内のいくつかの幹線道路が大きな役割を果たしていくはずだとも述べられていました。

 資料をひも解けば、駅前観音線も霞庚午線も、このたび開通する吉島観音線も全て昭和27年3月に都市計画決定されたものであり、年月の流れの早さとともに公共事業のままならぬ実態を肌身で感じざるを得ません。
 吉島観音線が完成することで国道2号高架の平野町地区までの高架工事に着工しても、出汐町交差点からは霞庚午線へ進路変更し、また国泰寺交差点から吉島観音線へ流入することにより、深刻な交通障害は避けられる状態となりました。椎名元助役も、国道2号高架だけが未完成のまま残されていることを残念に思われているに違いありません。

 ここで、もう一度国道2号高架の経緯と南観音橋の経緯を示します。

        表. 国道2号西広島バイパス(2号高架)の経緯
昭和46年12月  2号高架工事着手
昭和49年 4月   暫定供用開始、オイルショックや地元反対等により工事休止
昭和56年 3月  広島市議会意見書提出
「国道2号線の交通体系整備促進を求める意見書」
昭和61年 3月  市長・議長連名による陳情
「一般国道2号の高架道路の延伸について」
平成 元年10月 
〜 平成3年6月
地元関係者と協議を重ねたが理解が得られず
平成 5年11月  地元関係者(観音本町地区役員)と基本的合意
平成 6年 4月
     〜 6月 
都心部延伸に係る都市計画決定に伴う地元説明会開催
平成 6年 8月   都市計画決定の告示
平成10年10月
     〜11月
都心部延伸(庚午ランプ〜天満川西側)事業説明会
平成11年 5月  T期区間(庚午北〜舟入中町)に工事着手
平成15年10月  T期区間供用開始

         表. 南観音橋の事業経緯
昭和27年 3月  都市計画決定
平成 5年度   路線測量
平成 6年度   土質調査、予備設計
平成 7年10月 事業認可
平成 7年度   用地測量、道路実施設計
平成 8年度   橋りょう実施設計、用地買収着手
平成10年度   左岸(中区)側下部工事
平成11年度   右岸(西区)側下部工事
平成12年度   下部工完了、上部工鋼桁製作架設
平成13年度   鋼桁架設、床版工事
平成14年度   橋面工、取付道路工事(左岸側)
平成15年度   取付道路工事(右岸側)

 道路が人体の血管にたとえられることは以前のホームページでも申し述べました。本当に地域にとっては温かい血の流れを感じる新しい動脈であることを皆さんに理解してほしいと思います。