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(No.106) 平成16年4月9日 『日本はどう報じられているか』

 皆さんに是非ご一読いただきたい本を紹介します。新潮新書の石澤靖治編『日本はどう報じられているか』です。日本、いやヒロシマの「平和論」を語る上で、こうした見方もあるのかと驚かれる方も多いと思います。私が特に印象深かったところを抜粋して紹介します。

 まず、「はじめに」の一文です。

 イラク問題で日本に協力を求めた当のアメリカの報道は、むしろ同じ日に起きたスペイン7名殺害事件のほうがメインで、日本人外交官の事件は見出しにすらならない新聞もあったほど。自衛隊のイラク派遣問題にしても大騒ぎしているのは日本だけだ。日本人の意識と世界の常識との間には、いまなお歴然たるギャップか存在しているのである。海外の目なんかどうでもいい、もうこれ以上知らなくてもいいという心理と、世界中が日本を注目しているはずと思い込む心理は、実は根底ではつながっている。そこに共通するのは一種の「甘え」である。「出口の見えない不況」や「増大する社会不安」を言い訳にして、日本人は以前にもまして、あまりに内向きになっているのではないか。だが、それですまされるほど、世界は平穏ではない。

 不況を言い訳にして、いつまでも内向きになっている場合ではない。今こそもう一度、日本が世界でどういうポジションに置かれているのかを確認する必要がある。自分が思うほどには、他人は自分のことを思ってはいない。それが世の常である。さりとて自らへの過小評価も道を誤らせる。大事なのは、「世界という鏡」に映った自らの等身大の姿を知ることだ。

 第5章では、「アラブは『ヒロシマ』をどう理解したか〜通じない『戦後平和主義』〜」と題して、私たちが思いもしない方向でヒロシマが理解されていることが分かります。筆者は池内恵(アジア経済研究所研究員)です。

 「ヒロシマ」という言葉は確かにアラブ世界に伝わった。しかし日本人が「ヒロシマ」を通じて訴えているものとされてきた平和主義が伝わっていたかというと、かなり疑わしい。その顕著な例として、ウサーマ・ビン・ラーディンの有名な発言を取り上げてみたい。ビン・ラーディンが2001年の9.11テロ事件に先立つ時期にインタビューに答えたビデオである。事件後の9月20日、「アル=ジャズィーラ」で放映された。そこでは重要な場面で「ヒロシマ」が登場する。

―― 「アメリカこそ核兵器を保有し、極東のナガサキとヒロシマで人民を攻撃したのだ。すでに日本が降伏し、世界大戦が終わりかけていたにもかかわらず、子供も女も老人も一緒にした、人民全体の攻撃に固執したのである。」(「アル=ジャズィーラ」のホームページより)

 「唯一の被爆国である日本が……」というおきまりのフレーズからもたらされる帰結というものは明確でない。「日本は唯一の被爆国である」→「ゆえに核兵器を決して保有しない」というのは、それほど自明な論理展開と帰結ではない。

 アラブ諸国で「ヒロシマ」について突っ込んで議論してみると、認識のギャップはかなり激しい。「原爆を投下された」という「過ちを繰り返さない」ためには、「当然、二度と投下されないように力を蓄える」という決意を日本人が固めているに違いないと、アラブ世界の大多数の人々は考えるようである。

 「日本は核兵器で破壊し尽くされ敗れた→それによってアメリカに対する怨念を抱き、復讐の機会をうかがっている→であるからアメリカは決して日本に核兵器を持たせない→であるから日本人は逆にアメリカに核兵器廃絶を求める戦術を採用して対抗している」という論理展開の方が、世界の多くの国の一般市民にとって自然に聞こえるのである。

 パキスタンは1998年5月28日に第一回の核実験を行ったが、その直後にシャリーフ首相(当時)がテレビで行った演説は、アラブ世界に限らず、中東・南アジアでの「ヒロシマ」の受け止め方のある種の典型例を示すだろう。シャリーフ首相は、まず中国による協力と賛同に感謝を捧げた上で、演説のきわめて早い段階で日本に向けて語りかけ、経済援助停止を始めとする日本の制裁措置を牽制している。

―― 「この問題に対する日本の立場は理解できる。彼らの懸念も非常によく理解できる。しかし日本が過去に被った惨禍を、我々は避けなければならない。ヒロシマとナガサキに起こったことは、日本が核兵器を保有していれば起こらなかったはずだ。」

 日本の反核運動は核兵器廃絶の要求を「アメリカ」あるいは「西側」にもっぱら突きつけ、ロシアや中国の核については追及の鉾先が鈍ったり、場合によっては弁護さえしかねなかった。アメリカにのみ非難と攻撃の鉾先を向けるというのは、純粋に核兵器の廃絶を求める運動と考えるならば論理的・倫理的一貫性に欠け、理解が困難であるし説得力もないだろう。

 しかし、敗戦国による「復讐」を目的とする運動として理解すれば、一転、非常に納得がいく。アラブ世界では非西欧諸国の反西洋・反米的な民族主義運動の一環として、「ヒロシマ」は理解されてきた。今後の日本の思想・政治状況の展開によっては、その理解は結果的に全く正しかったことになるのかもしれない。

 以上、印象に残ったところを中心に紹介しました。アラブ世界の「ヒロシマ」の理解の仕方は、私たち直接原爆を受けた被災者にとっては思いもしない方向で理解されていることに「恐怖」さえ感じるものです。
 しかし、どのような方法であれ、被爆者の一人として世界の平和、核兵器の廃絶を心から望みます。
 私たちも、今広島から発信している平和論、核廃絶論が一方的な自己満足にならないようにしていかなければなりません。
 是非、一度、この本を読んでみてください。

 最後に、参考までに目次を紹介しておきます。
第1章  イギリス  ハイテク・トイレに驚き、痴漢を笑う
            ――日本の社会風俗に「未来」を見る
第2章 フランス  「経済の国」と「文化の国」の逆転
            ――消えゆく『幸福なエキゾチズム』
第3章 ドイツ   「日本の二の舞」になりたくない
            ――経済無策への冷ややかな視線
第4章 アメリカ  小泉は「沈みゆく船」の船長だ
            ――「日本叩き」から「日本無視」へ
第5章 アラブ世界 アラブは「ヒロシマ」をどう理解したか
            ――通じない「戦後平和主義」
第6章 中国    メディアが煽る「半日感情」
            ――ネット上でも広がる「歪んだ日本像」
第7章 韓国    新世代が主導する「新しい反日」
            ――過去にとらわれないナショナリズムの出現

(追伸(広島市民球場スコアボードの改修について))

 市民球場のスコアボードがようやく改修の運びとなったようです。現在の機器は、耐用年数8千時間を大きく上回る1万2千時間も使用しており、部品も製造中止になっているため、故障してもランプがつかないままの状態がそのまま全国のテレビ画面に映し出されていたわけです。
 今後は、寿命が長く消費電力の少ない発光ダイオード方式のものに取替えることのようです。アテネオリンピックの電光掲示板に使用するフルカラー方式であり、これはカープ球団からの強い要請があったようです。
 事業費は約1億5千万円で、今シーズン終了後の12月中旬に完成のようですが、もちろんこれで全て一新したというわけにはいきません。貨物ヤードが頓挫した後であり、むしろ、焼け跡の後始末をしているようで、やるせない気持ちさえします。
 新方式の部品は耐用年数4万時間ですが、年を経るごとに色は少しずつあせてくるようであり、また、一体いつまで供給できるのかという心配もあります。こうした問題もさることながら、今後の球場そのものの建替えは一体どうなるのか、というカープ存続も含めた大きな問題があります。私たちは、この問題を引き続き注視していきたいと考えております。