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(No.101) 平成16年3月16日 『電力入札について』

 『自治体電力―丸紅落札』『自由化の波―中国地方も』…2月27日の中国新聞の見出しです。広島市の本庁舎と市民病院の電力入札の結果を報じたものですが、記事の最後には「電力小売り事業は平成17年4月には50キロワット以上まで自由化され、中国地方の顧客数は約4万5千件にはね上がる。(中略)中電は昨年2月から営業担当者を80人増員。さらに平成18年度までに150人増やして契約維持に努める構えだが、より一層のコスト削減と迫られそうだ」とあります。

 住民の意識では、交通機関と電力は「民」であるのに「官」のような感覚で受け止めているところがあります。こうした中で、今回の電力入札の結果は、「自由化の波がこんなところにも押し寄せているのか」というのが正直な気持ちです。

 こういう状況の中、コストだけに目を向けるのはいかがなものかとも思うわけですが、3月12日の官庁速報(時事通信)には「税収面を加味すると損をしてしまうのでは」などと、入札のあり方に一考を促す記事が書かれています。

 広島市で行われた実際の入札の結果を紹介しますと、市本庁舎の落札価格は丸紅鰍フ81,770,056円で、中国電力鰍ニの差は1,628,110円です。また、市民病院の落札価格は同じ丸紅鰍フ169,913,119円で、中国電力鰍ニの差は581,881円です。

 約160万円と60万円の差ですが、単に価格の差だけで全てを評価してよいものかということです。
 まず思い浮かぶことは事故が発生した時の責任ですが、契約書には「丸紅椛、に事故等が発生したとしても、中国電力鰍ェ丸紅鰍ノ代わって電力を供給する契約となっている」と書かれてあり、電気の安定供給とその責任は担保されているようです。

 しかし、先ほどの税収のこともそうですが、地元企業の連携・育成とか、雇用の確保、あるいは地域の発展など、わずか60〜160万円の入札差に見合わない大きなものがあるのではないでしょうか。
 中国電力鰍フ企業努力も望むものですが、電線も危機管理も中国電力鰍ナあれば、なぜ丸紅鰍ェ…という不思議な気持ちを抱かざるを得ません。地元企業との共存共栄が地方都市にとって一番必要なことと思います。
 地方都市広島市にとっては、全てに公平だけでなく、市民にとって人的にも経済的にもどういう方法が本当に有効なのか、「地元広島」という地方性を含めて入札方法の見直し改革が必要ではないでしょうか。

 なお、落札した丸紅鰍ヘ4月1日から機構改革で中国支社を廃止する旨の発表をされております。落札時にはあった中国支社が4月1日からは存在しないのです。心底、企業の冷酷さを感じます。広島に支社があるかないかは重要な要件です。支社もなくなる企業によく応札させたものだと思います。

(追伸1(観音中の卒業式に出席して))

 3月12日は中学校の卒業式です。今年も我が母校の観音中学校へ出かけました。昨年の整った卒業式と比べ、血の通った情のある式典であったと思われます。
 ここまでの3年間には数々の他人に言えない苦労や悲しみの連続であったろうと思われます。
その努力の積み重ねが、今日の卒業式であったように思われます。
 生徒も立派、教師も立派、父母も立派、よくここまで三者間で苦しみを堪えて来られたこと、それを「崩壊」させなかったこと、心から拍手を送りたいと思います。
 それが、校長をはじめ、担任教師、生徒、父母の「涙」になったものだと思われます。立派な観音中になっていると感じられます。
 長い間、観音中のスローガンの基本は「友情と連帯」のようです。各クラスにも目標スローガンがあり、生徒と父母、教師の間の情の伝達がうまく軌道に乗っている証拠に「みんな笑顔で1.2.3!泣いてもいいけど必ず笑え!!」と、何とも言えない味のある3年6組の標語です。大人の世の中にも立派に通用する標語です。
 来年の卒業式を楽しみにしています。


(追伸2(欧米と日本社会の仕事の進め方))

 3月13日の夜、ブロードキャスターというテレビ番組を見ていました。その中で、『社長』と『部長』と『課長』の職責が欧米と日本でどのように認識の差があるのかというコメントがありました。

 欧米の企業家から日本の企業家を見ると、日本人の『社長』は会議でうんうんと頷いて話を熱心に聞いている。その隣で『部長』が一所懸命質問し議論している。またその隣で『課長』が一言も漏らさずメモをとっている。こんな場面がビジネス最前線である。
 社長が黙って頷いているので、この商談は成立したと報告するのが常であり、日本社会と欧米社会の大きな違いである。
 日本社会では本当は一番末席でメモをとっている『課長』が全ての判断をして、一所懸命議論していた『部長』の判断を仰ぎ、『社長』が最終決裁をするのである。何でも理解でき、どんな対応でもできる仕事のプロである『課長』の判断が全てを決めるなど、欧米人は想像だにしなかった。

 こうした姿は、日本の行政の社会でも変わりはないと確信しています。仮に広島市役所に置き換えますと、『社長』は市長です。『部長』は局長か部長です。『課長』は毎日現場で一所懸命市民の公僕として働いている課長です。仕事のプロで、一番よく物事を理解できているのは課長です。

 広島市が今一番低迷しているのは「人心」だと思っているのですが、テレビを見ながら、課長の姿を思い浮かべました。課長こそが、自信を持って明確に方向を出し、局長や市長に判断を迫る、そして市長は大局に立って最終決断をする…そういう姿を市民は望んでいるのではないでしょうか。