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(No.92) 平成16年1月23日『スポーツ王国広島復活の足掛り』

 1月18日、第9回全国都道府県対抗男子駅伝が開催され、地元広島県は6位と4年ぶりの入賞を果たしました。翌日の新聞には『広島復活!』『若い力でつかんだ6位』という活字が大きく躍っており、スポーツ王国広島の復活に向けた足掛りになればと念じるものです。
 同じ18日には、男子ハンドボール(湧永製薬)と女子ハンドボール(メイプルレッズ)の優勝祝賀会も催され、春からはじまるプロスポーツ、広島東洋カープとサンフレッチェ広島の活躍を予感させ、広島市民、広島県民に明るい希望と大きな夢を与えてくれることを心から望みます。

 昨年は、行政と各スポーツ団体との思いの差異の大きさに、多くの市民やスポーツ愛好家が「行政とはいったい何であったのか」との思いを痛切に感じられたと思います。
 しかし、この苦い経験をもとに、カープもサンフレッチェも専用の球場、競技場を持つための知恵を、多くの人たちで出し合わなければなりません。
 明るい話題が少なかった昨年と比べ、本年はスポーツの世界から活力と明るさを呼びこみ、少しでも夢の語れる広島を創り上げなければならないと思っています。

 ここでは、文春新書(357)の『マラソンランナー(後藤正治著)』という本を紹介してみたいと思います。

 まず、『日本マラソンの父−金栗四三(かなくり しそう)』を紹介している一文です。
 長距離を走ることは、単調で苦しい。その限界に挑むものがマラソンだ。なにか変化がいるということで、金栗はチームゲームを考案する。大正6年、読売新聞社が「東海道五十三次駅伝競走」なるものを打ち上げたが、金栗との合作であった。当初「マラソンリレー」という名称であったものが、京都・三条大橋から東京・上野まで、東海道五十三次をしのぶ古式豊かなリレー大会に見合う名をということで「駅伝」と名づけられた。駅伝の元祖である。
 金栗は「スポーツすみわけ論」ということをよく口にした。「スポーツには三つのスポーツがある。勝利を至上の目的とするチャンピオンスポーツ、体格向上や教育としてのスポーツ、そして楽しみごととしてのスポーツ。それぞれ意義があって、どれが上でどれが下ということはない」と…。
 金栗の墓石の前に、黒い御影石の碑があって、生前好んで語った言葉が刻まれている。「体力、気力、努力」。日本における「マラソンの父」が真っ先に上げたのは、気力でも努力でもなく体力であった。

 次に、占領下の日本にボストンマラソン優勝の朗報を届けた『アトムボーイ−田中茂樹』の一文です。
 田中茂樹という名前をいまや知る人は少ないだろう。日本がはじめて参加したボストンマラソンの優勝者であり、日本のマラソン史に一ページを刻んだランナーである。敗戦に打ちひしがれていた時代、スポーツにおける出来事が社会に光明を与えたことはよく指摘される。すぐ浮かぶ固有名詞は、水泳の自由形で世界新記録を連発した古橋広之進、あるいはボクシング・フライ級で世界チャンピオンになった白井義男であるが、ボストンから伝わってきたニュースも同じような意味合いを持った。
 当時、日本人選手の遠征が実現した背景には、希代のプロデューサー、『スポーツ野人』の存在がある。岡部平太という。岡部は福岡の人。戦後、岡部が情熱を傾けたものが二つある。一つは戦後まもなく開催された福岡国体の事務局長となって開催に尽力したことである。福岡城前の広場に駐留していた進駐軍を説得して立ち退かせ、突貫工事で競技場をつくった。平和台(ピースヒル)の命名者ともなった。もう一つがマラソンだった。ともにスポーツを通じて敗戦国に元気と活力を、という気持ちからだったのだろう。

 この他にも、田中氏の原爆に対する想いなどが書かれています。
 私が印象に残った部分を中心に紹介しましたが、特に、福岡の平和台の記述を読んだとき、ここにスポーツを通じての街づくりの原点を垣間見たような気がします。また、平和の伝道、世代間の交流等々、スポーツの持つ「力」を感じさせられた本でした。


 (追伸(市役所のしくみと仕事))

 1月15日付けの「市民と市政」に『市役所のしくみと仕事』という特集記事がありました。小学生向けのふり仮名つきの紹介記事ですが、何とも中途半端な内容だという印象を持ちました。

 小学生レベルに分かりやすく伝えるのであれば、もっと図や絵を使いながら、例えば、市民の声がどのように実現されていくのかといった流れをイメージで伝えればいいし、また、中学生レベルに伝えるのであれば、市と議会との関係や各部局の仕事内容をもう少しきちんと説明しなければなりません。

 この記事をみると、「市役所は市民のために仕事をする」という文が、全体説明の中ほどに小さく載っていますが、このこと自体が大前提になるものではないでしょうか。市民のために仕事をするにはどういう過程を踏むのかという出発点です。つまり、市民の立場からの『市役所の仕組み』がイメージされた方がよかったのだと思います。
 実際に掲載されているのは、ただ単に市の機構図を簡単にして、仮名を振っただけのものです。

 また、『市長』は、「市役所の仕事を行う最高責任者」と全てを統括しているような表現で説明されていますが、実際に市民のために仕事を行うまでには、市民を代表する『議会』で予算などを決めるわけです。
 その『議会』の説明は、「市議会議員の集まり」と単なる集団組織のような扱いです。敢えて、議会軽視とは言いませんが、少なくとも、この記事には、市民に『市役所の仕組み』を知ってもらいたいという意思は感じられません。各部局の紹介に至っては、無意味とも言える言葉の羅列に過ぎません。

 スペースの関係もあり、こんな中途半端な記事になったのでしょうが、行政が大々的に発信する広報媒体です。誤解を受けることのないよう細心の注意を払ってもらいたいものです。