私の思い まちづくり・経済・交通 総務・人事 議  会 教育・文化
福祉・医療 平和・交流 その他 総合メニュー

(No.67) 平成15年8月22日 『建設業界と公共事業の見直し』

 『建設業界(2003年8月号)』の巻頭言に次のような文章がありました。

 建設業は極めて歴史の旧い営みである。それ故に、往々にして「保守的、閉鎖的」な業界とされてきた。そして、モノづくりに燃えて集い、高度の技能・技術を発揮してきた人々の多くも、時が経つに連れて「請け負い」的気質に染まっていく。
この業界での競争は、行き着くところ応札額の多寡しか競争方法を見出せなくなる。その端的な現象が、全国各地で横行しているダンピングである。
ダンピングは単に建設市場だけで発生しているわけではない。ただ、建設業界では請け負い的気質が加わることによって、「最低制限価格でのくじ引き」という社会通念から掛け離れた営業競争が発生しているのである。
「くじ引き」が競争と言えるか否かは多いに疑問であるが、少なくとも公共工事発注者は痛痒を感じていないし、「競争の結果である」と満足しているようだ。
一方、政治も動かない。これほど不満、不安が充満しているにも拘わらず、ビジョンの一つも出てこない。出てくるのは「展望無き将来」対策ばかりである。
「政治に利用され、発注者に翻弄され、その挙句に授業料を払い赤字工事の発注に奔走する――」「何とかならないの――」「どうにかならないの――」「何とかしてくれ――」
「誰も何にもしてくれない――」……そういう時代なのです。

 最後には、業界の悲鳴さえ聞こえてきます。
 広島市の統計書を見ますと、平成13年の市内の建設業の事業所は4,479、従業者数は50,663人となっています。仮に、家族3人(夫婦・子供1人)として計算しますと約15万人となり、これは市人口の約14%に当たることになります。これだけの人が厳しい競争の中、広島経済で生計を立てているわけです。この他、関連する電気・ガス・水道業、運輸・通信業などを含めると、市経済に及ぼす影響は計り知れないものがあります。
 国や地方の財政難から公共事業は減る一方で、事業減と価格減のダブルパンチで3〜4割は受注額が減っているとの声を聞きます。
 低価格競争の激化は「仕事量に比べ企業の淘汰が進まないから」とも言われ、その低価格落札は一般市民にとって望ましいように受け止められがちですが、「安ければいい」という単純な問題ではありません。過当競争による品質低下や労働条件の悪化、安全対策の不徹底といった大きな問題に発展する可能性もあるわけです。

 また、「公共事業は建設業者のために行われている」といったように、反公共事業サイドの政治的な主張に使われてきたところもありました。しかし、業界に働いている人たちも、無駄な公共事業は省き、厳選し、効率化していくことの必要性は理解されています。そして、もちろん公共事業は建設業のためではなく、生活環境の改善や経済発展のための基盤整備を目指しているのであり、市民生活の向上に貢献するという自負を持たれているわけです。

 今、広島市においても、公共事業の見直しが行われていますが、こういった立場の人たちのことは考えられているのでしょうか。
 トータルとしての需要が減り、業界全ての人が生き延びていくことが難しくなった中で、仮に建設業界再編という状況になったとき、これらの人の生き方も含めてどういう展開の仕方があるのか、民(業界)だけでなく官と両方で議論すべきことではないでしょうか。
 大きな時代の転換期の中で、市民が本当に必要とするものは何かを見極め、その実現のためにはどういう税金の投入の仕方があるのかというトータルの話をしようとすれば、ごく一部の学者だけの議論だけではなく、やはりトータルの議論が必要ではないかということです。

 私は、以前から、公共事業の見直しについては幾度も述べてきました。「今後の財政スタミナで市ができる範囲はどこまでなのかをきちんと整理し、その中で何が最も効果的なのか、そして、それをどういう手順で進めていくべきなのかをしっかり議論し、調整していくべき」(平成14年6月14日『将来ビジョンの構築』等)などです。そして、これらは、まずは組織の中で横断的に取り組むべきことだとも付け加えています。
 学者だけの委員会で広島市の方向を決めていたのでは、一つ間違えると、市民生活に大きな社会不安を引き起こすことになりかねません。

 広島市の公共事業の見直しは委員会方式で既に走り始めていますが、少なくとも委員会からの提言後は、市民生活を営んでいるそれぞれの立場を踏まえて、官民で十分議論できるような場を設定すべきだと思いますが、いかが思われますか。