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(No.63) 平成15年8月5日 『8・6の思い』

 「8月6日、8時15分」私たち被爆者にとって決して忘れられない「時」が今年もやって来ます。日本国民にとって、広島市民にとって、ましてや被爆者にとって絶対に忘れることのできない「時」だろうと思います。
 言葉のごまかしや、美辞麗句の羅列ではなく、人として心の奥底から湧き上がってくる平和な「時」が続くことの願い(希望)を確認する日でもあります。

 この度、講談社から「ピカドン」という作文集が発行されました。2000年に己斐小学校内のロッカーから50年ぶりに発見された小学生が書いた15編の作文が掲載されています。被爆当時4〜6歳だった「あの日」の思いを、6年後の昭和26年10月に己斐小学校の児童たちが綴った作文集です。子どもの目がありのままの情景をとらえ、直接肌で感じ、感性で覚えている貴重な証人の叫びだと思います。被爆者の一人として、是非、目を通していただきたいと思うものです。

 作文は感じたまま、覚えているままの文章ですが、「あの日」が3歳だった私も、そうだったと往時を思い起こされるものがあります。
 6年、M.N.当時5歳の方の文を紹介します。
 「私と弟は、お姉さんに手をつながれて私の家にかえっていくとき、どうろの方をみた。私と弟とおねえさんは、おたがいにかおを手でおさえた。どうろの方には、体のかわがむけて、たれさがったり、あたまから体からけがだらけで血がながれたりしていて、人のかおなどぜんぜんわからないほどであった。中には道ばたにたおれている人や、それはそれは今思い出しただけでもぞっとするようだ。」
 この情景は、私の脳裏からも絶対に消えないものです。

 「原爆はいやだ、戦争はいやだ、平和の世界になって欲しい」…これは、すべての皆さんが言われていることです。しかし、この純粋な思いを政治や行政、また平和運動に不純に使われることのないようありたいものです。

 筆者の那須正幹氏の解説の締めくくりに「私たちは、いま一度この手記を書いた子どもの心に立ち戻らなくてはならないのではないでしょうか。もう一度子ども時代にかえって、現在を見つめなおす必要があると思うのです。それも今すぐに。」とあります。
 広島市民として、被爆60周年を目前にしている今、原点にかえって、地道な地に足のついた被爆対策、平和論を見つけ出さなければならないのではないでしょうか。

     


 (追伸(広島市と長崎市の平和関連予算))

7月18日のホームページで、広島市の平和関連予算について取り上げましたが、ここでは広島市と長崎市の平和関連予算を表にして比較しました。財政的に大変厳しいときです。平和関連予算だけが、突出するのも如何かと思われます。
広島が何をしなくてはならないのか、どこまですればよいのかを考え直す時ではないでしょうか。