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(No.39) 平成15年3月 6日 『広島市議会会議規則の改正について』

 3月4日の本会議で可決された広島市議会会議規則の一部改正について、私なりの意見を述べたいと思います。

 まず、第1点目ですが、会議の進め方のルールなのでよく議論してから提案すべきという意見についてです。
 確かに議論すべきという主張を否定するものではありません。また、各派の代表者会議もできればやった方がよかったのかもしれません。ただ、2月25日には、会議規則の改正案を新政クラブの幹事長から各会派に説明しましたが、共産党が独自の改正案を提出してきた以外は他の会派からリアクションがなかったのも事実です。これは議論しようという意思がなかったと言われてもしかたがないと思います。
 その後、3月3日には、本会議開会直前に、自民党・市政改革クラブの幹事長から代表者会議を開いてはどうかと申し入れがありました。しかし、その時には、既に、その日の昼時間にこれらの改正案の取り扱いを諮るための議会運営委員会の開会が予定されておりました。2月25日に各会派に説明した後の早い時期に話があれば、議論のための機会を設けることも検討できたのではないかと思います。

 次に第2点目ですが、提案理由について一部の新聞には改正案は一見後退したような報道がされていますが、これは改正内容が十分に理解されていないためだと思います。
 そもそも無記名投票という制度は、政治的に又は所属会派や地域の利害から離れて自由に自己の意思をそのままストレートに伝えられる方法として全国市議会議長会の標準会議規則に規定されているものです。
 今回改正した内容は、記名投票か、無記名投票かを決定する際、従前の起立採決による方法では、議案など案件に対する各議員の賛否の態度を推測することができるため、それでは無記名投票の主旨に反するということで、表決方法の決定の際には無記名投票で行うことにしたものです。この場合の決定方法も全国市議会議長会の標準会議規則に規定されているものです。
 もちろん審議決定する案件によっては、これまでどおり「簡易」「起立」「記名投票」「無記名投票」のいずれも民主的な方法で用いることができ、決して公開での議論を軽視するような改正ではありません。
 また、従前は、起立採決のため態度を留保し、そのため記名投票・無記名投票とも過半数に至らなかったときは、議長が職権で決めるという個人の裁量に委ねられていましたが、今回の改正により、同じような事態が起こる可能性もなくなり、今後はより明確に、より民主的な扱いができるようになりました。

 第3点目は、提案時期について何故この時期なのかという疑義があった点についてです。
 これは、昨年の2月と6月議会で生じた表決方法(記名投票or無記名投票)の決め方の問題を現在の議員の任期中に是正した方がいいのではないかという意見が多くあったわけです。また、3月4日の議決となったのは、本会議が開ける3月4日と3月19日のいずれの日に議決するかを議会運営委員会で諮ったところ、共産党や新政クラブなど改正案を提出している会派は、既に審議できる状態になっているのだから早急に結論を出した方がいいということで、3月4日が支持されたものです。
 なお、住民投票条例案の議決に無記名投票を使おうとしているのではないかという声がありましたが、そのような声は聞いておりません。

 いずれにしても、これからも開かれた議会運営に努めなければならないと考えており、そのためのより明確で、より民主的な改正案であることを改めて申し上げたいと思います。参考までに、会議規則の改正部分を掲載いたします。

   
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  (追伸)

 市長の発言には「ボランティア精神」という言葉がよく使われています。就任挨拶の中でも「目的意識をはっきり持ち、自己責任でその目的を達成しようという意思」という意味合いで使われています。ある雑誌への寄稿文では「これからの広島を本当に活性化するためには、市の職員全てが同じように『ボランティア精神』を身につけ行動していくことが一番の近道だ」と結ばれています。
 「ボランティア」の元々の意味は「志願兵」ですが、確かにこの言葉には、一般に浸透している「無償奉仕」という言葉で置き換えることができないいろいろな意味を含んでいるようです。辞書やインターネットで調べますと、
@「公共福祉のために自主的に無報酬で活動すること」
A「(無償奉仕に限らず)人の幸せのために自分は何ができるかを自ら考え行動すること」
B「自由意志による行為であり、誰のためでもなく、むしろ自分のために行動すること」
とあります。
 一般的には@の「無報酬で活動すること」と思われている人が多いと思います。また、@〜Bのいずれも「自発性」という意味では共通点があるようですが、ABをみると、奉仕の精神という意味合いでは相反するところもあり、動機も好奇心でも構わないということのようです。つまり、私たちが普段使っている「ボランティア」という言葉の概念と大きな落差を感じざるを得ないところがあるわけです。
 市長が言わんとする「ボランティア」の意味は、上記の例でいうとAの「自ら考え行動すること」になるかと思いますが、日本では一般的にはこういう意味に理解されているでしょうか。
 ある雑誌に「インターネットの基礎研究は米国政府のプロジェクトとしてスタートしたが、それを全世界に広げたのは各国の国策ではなく、ボランティア精神旺盛な世界中の研究者たちだ」という一文が載っていましたが、これは言い換えれば、一人でできることは限られていても多くの人々がボランティア精神を持てば社会を大きく動かす力になるということだと思います。
 つまり、この意味で使えば「ボランティア精神」は、市政を動かす上でも、まちづくりを進めていく上でも必要不可欠なことです。しかし、「ボランティア」の意味が市民に理解されないと、共に社会を動かす力にならないと思います。
 また、市長が言われた「目的意識をはっきり持ち、自己責任でその目的を達成しようという意思」とは、公務員として当然自覚して行動すべきことではないでしょうか。敢えて「ボランティア」という言葉を使わなくても、明確で分かりやすい言葉で職員を指導すべきではないかと思います。
 概念的に落差があるまま使っていたのでは、「政治は言葉」の名を辱しめることになるのではないでしょうか。