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(No.10) 平成14年5月10日 『市政正常化への提言』

 「政治は言葉」とは、市長が就任後の所信表明で言われたものですが、その言葉があいまいで筋が通っていないものであるなら、その言葉を受けとめる側は混乱してしまいます。

 助役問題に係る一連の言動がそうでした。
 1月4日の女性助役公募の発表に始まって、2月定例会の総括質問の間は、市長は「男女共同参画など事務量の増大で3人目の助役が必要」と答弁していました。また、「女性助役には専門分野を任せたい」という公募内容でもありました。
 そして、3月14日の森元助役の事実上の解任理由は、同日の予算特別委員会では「人心一新」でありましたが、翌15日の同委員会では「政から官への圧力」へと理由が変わり、また一方「結果として女性助役選任のための環境づくりができた」との発言もありました。
 このように、当初の事務量の増大という理由はいつの間にか消え、問題が刷りかえられています。
 さらに、女性助役については「市長就任3年目の後半に提案すればいい」と私が助言したかのような発言を幾度もされ、今回の混乱の発端のように話されていますが、そのような事実はなかったことをここに明言しておきます。
 また、当初、政官癒着の実態把握のため、「職員から『免責』という条件で情報提供を受け、調査後は公表する」と話していましたが、4月22日には、それまで政官癒着解明のためと思われていた『調査委員会』を、事務執行健全化のルールづくりのための『事務執行のあり方に関する検討委員会』に変えて設置され、この時には「議員名の公表は難しい」との見解になっていました。また、「職員からの情報提供も全てが『免責』ではない」ことも追加的に補足されました。
 このように、市長の発言は時を追って変わってきています。自分にとって不都合なことや不利益なことは、巧みな言葉によってその場をしのいでいるのです。

 ここで、この「事務執行のあり方に関する検討委員会」について、私の個人的な感想を述べさせていただきます。
 私は、この委員会の調査については、次のような疑問を持っております。
 市長は、委員会の中で、全職員を対象とした実態把握のための調査を行おうとされていますが、情報提供に当たっては、職権の範囲内で『免責』を約束されています。職員を処分するか否かは市長の裁量ということで法的には違法性がないのかも知れませんが、本件のように特定の場合に限定し、あたかも司法取引のように『免責』を情報収集の条件とするような方法は、記憶する限り過去にも例がなく、処分の平等性・公正性の観点から適切な権限行使と言えるのかどうか疑問に思います。
 また、職員の一方的な言い分のみで調査を行おうとしており、この内容については、原則的には非公開の扱いとするようですが、条例の解釈運用は市長が行うものであり、時代の変遷や社会情勢の変化等に伴い、将来的に絶対公表されないとは言い切れないものであると考えます。
 市長は「情報提供者は組織をあげて守る」と言っていますが、万が一公表された場合、職員が事実確認のため法廷等の証言台で矢面に立たされ、精神的にも大きな負担を強いられることは十分予想されることです。そして、公表された情報が事実でなかった場合、既に名前を明かされた議員にとっては大きなダメージを受けることになり、当然、公表された議員は、市長を名誉毀損で訴える可能性もはらんでいることを指摘しておきたいと思います。
 それから、市長は、政治改革とうたったこの調査を、先頭に立ってやると発言されていましたが、市長自らの責任でやるのであれば、市長自身が委員長になってやればいいのではないでしょうか。
 なお、この実態把握調査に関する疑問点については、法律の専門家の中にも、同様の見解を持っておられる方がいることを附言しておきます。

 さらに、市長が発言される言葉について、以前から気にかかることがあります。
 市長は、過去2年の平和宣言では、「和解」とか「人道」といった言葉を使っていますが、外へ向けて発信したこれらの言葉と、市長自身がとっている行動とは大きな矛盾が見られるのではないでしょうか。
 例えば、平成12年の平和宣言では、「和解」に向けた対話の必要性を説いていますが、4月2日のホームページでも申し上げたように、市長には、自らが課題解決のため、進んで対話の場に出ていって理解を求める努力をしてほしいのです。オフィスアワーやタウンミーティングだけでなく、市政の方向を決するような大きな案件には市長自らが足を運んで話し合うという行動に出てほしいということです。
 また、平成13年の平和宣言では、「人道」という言葉を使っていますが、この言葉が本来意味している「人のふみ行うべき道。人の人たる道。人倫。(広辞苑)」から言うと、前助役が辞任に至ったときの市長の姿勢は、これを踏み外していると言われても致し方ないことだと思います。つまり、市長は、議論を打ち切るために事実上の解任を行いながら、一方では、助役と市長は一心同体だったと言い、その反面助役を慰留することもなく、もともと前助役の選任は私が決めたものではないと開き直り、最後には女性助役選任のためのいい環境づくりができた、と平気で公言しています。こうした心の冷たさを感じざるを得ない市長の姿勢は「人のふみ行うべき道」とは大きくかけ離れていると断言できるものと思っております。

 また、市長は3月27日の議会終了後に、同一の助役選任同意案を次の議会に再提出しようという意思表示をされましたが、否決直後にこういった発言をされることは、議会と行政の関係を全く無視したものであり、民主主義の原則を持ってしても、また、一般的常識を持ってしても、通常では考えられない言葉を発せられたものと思っています。私がホームページ(4月2日発信)で市長に求めた6月議会に向けた姿勢とは、何度も言いますが、お互いに議論し合って、理解し合おうというプロセスの重要性です。
 マスコミや市民の中には、「お家騒動」と冷ややかな見方をされている方もおられますが、本来議論すべきところを飛ばして、言葉だけをとらえて感情論に走っているからだと思います。市民が求めているのは、明日の広島をどうしていくのか、という政策論の展開です。
 今回の女性助役の件で言えば、こういう施策を実現したいから、そのためにはこういう組織にしたいという説明があって、議論を交わしていくのが本来の姿であったはずです。政策抜きで、「公約だから…」という理由で女性助役を実現したいというのは、道理が通らないものです。
 市長は、選挙で50の公約を掲げて市民の信任を得たと言っていますが、消費税2%や20人学級、市長室1階といった公約を見ておわかりのように、実現が難しいものを棚上げしたり、理屈をつけてあたかも達成したかのように主張されています。そして、可能性のあるものだけ、議論抜きで実現させようとしていますが、そもそも公約とは、耳ざわりのいい言葉だけを並べればいいというものではなく、可能性を見極め、実現に当たっては議論を尽くすという前提に立って掲げるべきものだと思います。
 市長の今回の姿勢は、自らの利益を優先させたいがために結論だけを差し急ぎたいという気持ちが見え隠れしている気がしてなりません。

 最後に、連休の最中の新聞に、小泉内閣を評して「劇場民主主義」とか「ワイドショー政治」といった言葉が載っていました(5月1日中国新聞「ことばの政治学…野中広務自民党元幹事長」)。「パフォーマンスが必要なトップを国民がまだ望んでいるなら…」といったコメントもありました(5月2日産経新聞「キーマン分析…古賀誠自民党前幹事長」)。
 確かに、現代政治は、言葉を使って人気を取れるくらいでないと民主主義とは言えない(前述の中国新聞からの引用)、といった面もあるでしょうが、今、秋葉市長に求められているのは、「感情論から発せられる言葉」ではなく、政策論に重心を置いた「広島の明日を語る言葉」であるとともに、「責任ある決断をし、実行していく行動力」だと思います。
 皆さんはどのように思われますか。

  (追伸)

 今回は、市政正常化のために、議会と行政の関係を本来の建設的な議論の場に戻してほしい、という市民の声を受けて筆をとったものです。
 次回からは、これまでのように、具体的な政策論を展開していけるような発信をしていきたいと思っています。